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HSPのわたしの今日を散文で。2024.4.9

 朝からどしゃ降り。それでも、用事があって外出した。
 それだけでもう、充分偉い。
 HSPだからか、関係ないのか、とにかく雨に濡れるのがひどくストレス。
 それでもちゃんと任務を遂行したわたし。それだけでもう偉すぎる。



 行先で、子供達の清らかな歌声に出会う。混声の合唱だ。

 男子も女子も、透きとおった声を重ね合う。
 あの子たちの声は透明なのに、重なることで厚みと深みと存在感が間違いなく増している。

 その歌声が、心に届く。
 あの子たちが音と言葉に想いを込めて、真っ直ぐ真摯に歌っているから。

 いいな、形のない何かが届くのって、すごくいい。
 自分が感動するのがわかる。感じて、心が動く、それが感動。
 
 そして、誰しもお互いにいいものを届け合えたらいいのにな。
 わたしも、「 素敵な言葉をお届けします 」みたいなことを言ってみたい。
 けど、それは纏わりついた不浄と不条理を拭い去るまで無理なんだろな。
 言葉は、生き様を映す。
 縛りなく自分を思うように自由を生きられる人達から、素直で伸び伸びとした言葉が生まれる。それを浴びている方が、気持ちがいいに決まっている。

 そんなことを思いながら、叩きつけるような雨音の不穏さを和らげる歌声に聴き入った。





 その後、とあるボランティアを引き受けることになった。
 引き受けなくてもいいのに、「 写真を撮るのが仕事です 」という言葉に惹かれてしまった。
 どうしようかなと慎重に考えるより先に口が動いて「 やります 」と勝手に言っていた。

 「 一粒万倍日の今日、新しいことに挑戦!ワクワクしてます! 」とか書けばいいのに、うわべだけの美しい言葉を書けば書くほど違和感で居心地悪い。
 だから書かない。

 実際には、ちょっと後悔気味のわたし。
 HSPで疲れやすいのに、ただでさえ日常に縛れているのに、余計な負担を背負ってしまった。
 これからの自分にきっと役に立つと言い聞かせても、知らない人とのメッセージアプリのやりとりにさっそく気を使って疲れている。

 とはいえ、この世の中でわたしにできることをして役に立つ、という目線でいえば、このボランティアには意味がある。

 HSPでもHSS型のがあるんじゃないかと最近感じる。
 静かで穏やかなだけでは満たされなくて、どこか変わったものを求めてしまう。でも、変化は疲れるから苦手なの。
 いったいどうしろと。自分の取り扱いにも疲れるのよね。
 
 そう、とにかく疲れる。何かを感じまくって、考えまくって疲れる。
 それがHSPなんだとよく思う。





 そんなこんなで諸々の用事を終えた。
 
 どしゃ降りの雨の中、無言でひたすら家へと歩く。

 帰宅した途端、どうしようもなく疲れてしまった。

 それでも再び夕方、別の用事で駅前まで足を運ぶ。

 
 ふと、用事だらけで何も書けないことに、強烈なストレスを抱いてしまった。
 だから今、こうして書いている。


 何だか今日は、ことさら偉い一日。
 雨の中をがんばって、新しいことを引き受けて、ゆっくりする間もなくまたがんばって動き続けて。

 偉い、偉い、偉い。
 自分を誉めよう。
 自分を大事に、自分を優先していいんだよ。
 自分を優先できていないなら、そんな中でも真面目に生きてる、そのことを誉めるべきだよ。
 自由になりきれなくても、ちゃんと自分に向き合って生きている。


 シャワーのような心地いい言葉を流すのは無理でも、どこかの誰かにそっと届いて寄り添えるような言葉をきっと書けるのを信じて、生きよう。 


 そして、とりあえず明日の日中はゆっくり休もう。
 
  


 

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