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時計が、一度に壊れた。


時計が、壊れた。一度に、壊れた。


壁掛け時計も。腕時計も。


正確には、
一度にすべてが
同じタイミングで壊れたのではなくて。


家にある壁掛け時計合計むっつのうち
半分のみっつが。

置時計よっつのうち、ふたつが

腕時計、10本のうち7本が。


同じ日に壊れたわけではなく、
約1ヶ月のうちに次々と。


電池を換えても、もう動かない、

金具が壊れた、

ベルトの一部分が切れた、

針がとれた、


と、だいたいそんな症状。


不思議なのは、

壊れたもの全部がぜんぶ、
同じタイミングに買ったものじゃない、
そのこと。


確かにもう20年近くの付き合いのもの、

買った時期がはっきり思い出せるほど
3年くらい前に手にして一目惚れしたもの、

10年くらい前に通販で何となく気にいって買ったもの、

買った時期は忘れてしまったけれど、
その時のノリで買って、
案外気に入ってよく使うもの、


………… などなど、本当に様々で。


もちろん、今まで生きてきて、
理由はともかく、
どの時計もたまに止まることはあったし、
腕時計は、使っていれば痛んで
ベルトや金具がイカれるものだ。


ただ、それが、

ほんの1ヶ月の間に、立て続けに、
次々と何らかの不具合を時計達は起こした。


最初はあまり気にとめていなかった。


だんだん、またか、これもか、と
不具合が重なるにつれて、
何らかの予告だろうかと感じるようになった。


時を司る道具、
それが、次々と壊れる


────── それは、
わたしの生き方なり、
時間の過ごし方なり、
そういったものに、
なにか重大なことが起こる予兆ではないだろうか



そんな風に思っていたところ。


たしかに、
ひとつ 事件が起こった。


わたしがわたしの時間を割いて、
業務をしてお給金をもらっている組織。

そこが、変わるという。

今、身を置いている組織はなくなる。

だからといって、
ただちにクビになるわけじゃない。

組織の人足を牛耳るドンみたいな人は、今後のわたしの身の振り方について希望を聴いてくれた。

だから、
この仕事はできない、
これならできる、
と、正直に伝えた。

その時点で、
時計の故障はこのことの暗示かと
直感した。


その後、
随分と大きな組織改編のためか、
今後のわたしの行き場について
なかなかお返事はなかった。


わたしは返事を待つ間に、
時計達の処置をほどこした。


修理のしようがなさそうで、
組織の話以前に
処分してしまったものもある。

これから処分するものもある。

残念だけど、修理の方が高くつくので
処分を決意したものもある。


よく見れば塗装もはげはげで、
電池を入れ換えてまで使うか躊躇しているものも。


故障した壁掛け時計の替わりは、
なかなか気に入ったものが見つからず難儀した。

電池交換だけなのに、
1週間程度お預かりといわれたものもある。

交換するベルトは、気に入った色がない。

そもそも、修理にはその時計のショップまで持ち込まねばならないものもあった。
そのショップは、以前は隣駅にあったのに、今は電車で1時間以上もかかる場所へ移転していた。



…………… つまりは、
何らかの時計の補修をするのにも、
いちいちうまくいかない
のだ。



そんな日々を過ぎた、今日。


ドンの指令を携えた、わたしの直属の上司がわたしを呼んだ。
その上司は、神様のようにやさしく、悪魔のように仕事ができる、わたし史上で最高の完璧な上司だ。


その上司から告げられた
ドンからの指令。


それは、
なんと、
できない、と言った仕事をやれ
というものだった。


単純にできないとか、
やりたくないと言っているのではない。
わたしの事情と、
わたしの体調と
あらゆることを考慮して
わたしは精一杯誠意をもって
できる、できないを伝えたのだ。


なのに、できないことをやれ、と
ドンは言っている。


あらかじめ、
どうしてもできないことをやれというなら
わたしは組織を完全にやめる、と
神様のような上司を介して伝えていた。


だから、
『それは、わたしに組織をやめろ、
ってことですね?』
と上司に確認した。


そういうわけじゃない、と
上司は言う。

わたしは断った。
やれるなら、最初からできないとは言わない。
だったら組織をやめる、と
再び伝えた。


上司はドン
わたしの返事を伝えた。

すると、ドン
土日によく考えて欲しいと言ってきた。


今日の、今の時点で
この件はここで止まっている。


時計が壊れた暗示の本性は、
間違いなくこのことだ


わたしは今、
組織をやめるか、
自分の意思と自分の体調をこれ以上犠牲にして、組織、いや、お金のために言われた行き先へいくのか。

いずれかを決めねばならず、
真剣に考えている。


わたしにイエスと言って欲しいから、
行き先の人たちは決して悪いようにはしないと言っていると、上司から事細かに言われた。

業務を失ったら、
収入のアテは、まったくない。


上司は上司で、胸を痛めていた。

わたしだけでなく、
今回の組織改編で
多くの兵隊が苦しんでいる。
みんなに希望を言わせておいて、
全く違う行先を告げる、ドン

本当に、誰も笑顔にならないし、
まったく意味がわからないやり方だ。

行き先を断るものも少なくないという。
このことで体調を崩した者もいる。

今回のあらたな人足配置内容に
非常に疑問を抱く、
そんないわゆる管理職も大勢いる。


わたしの行先だって、
ほんの少しの工夫で
他のできることがあるはずなのだ。



他の方の不安の声を聴きながら、
本当に無理ならドンの言いなりになっちゃだめだよ、
と、わたしはみんなをそう励ました。


……… だったら、
わたしも絶対言いなりになっちゃだめだ。

そんな心の声が強く響く。


組織をやめれば、
簡単に手にすることにできないお金を
手放すことになる。
それをもったいないと言ったり、
嘲笑う者もいるだろう。

しかし、今以上に、
笑い声より溜息の多い日々になることが
目に見えている。


後悔する人生を送りたくない。
常日頃、口ではそう言いながら、
やりたくない、そして本能がやってはいけないと叫んでいる業務を、
組織に屈してがんばりますと言い、ドンを喜ばすことに、何の意味があるだろう。



この先の展開は、まだわからない。

壊れた時計たちが教えてくれる道の行く末は、週明け。





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