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来年の手帳、買いましたか?

LOFTや東急ハンズが大好きだ。季節感を強く感じる気がするから。春なら桜の便箋が並び、夏なら流し素麺の機械の堂々たる姿。秋には茶色・オレンジ色のほっこりアイテムが増え、冬は勿論クリスマスと今年で言うならば虎のポチ袋。

私は毎年この12月前に差し掛かるタイミングで必ずLOFTにワクワクしながら行くことが恒例行事だ。目的は来年の手帳。子供の頃は大人が出先でも持っていく手帳の存在が理解できなかった。「私の母は毎日何をそんなに記録しているのだろうか」或いは「そんなに書くことがあるのだろうか」と疑問を抱いていたけれど、社会人になってからただ1冊の手帳の偉大さを実感する日々が増えた。それはビジネス手帳ではなく、ただ普段を記録して行くための、なんてことのない手帳。

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私が思うに手帳は「自分を安定させる道具」だ。会社は安定・安心を私にくれるけれど、幸せな時間よりも淡々と流れる時間・しんどい時間の方が多い。それに気がついたのは割と初期段階だった。1番の趣味、野球観戦は自分の血液を循環させ「スカッ」っとさせてくれる空間だけど、毎日その幸せタイムに足を踏み入れられるほど金銭的余裕はないし、むしろ当たり前になってしまったら勿体無いとすら思う場所。だからもっと現実的に、私がしっかりと自分と向き合えるのはあえてデジタル・手書きの手帳になっていた。それはノートに手書きをするでもnoteに文字を打ち込むことでもリカバリー出来ないことで。この三つの違いは何なのか考えてみた。

○まずノートに手書きをすることは、考えがまとまっていない時にとりあえず書き出す場所だ。大きなノートに「使い方・書く場所」を気にする事なく雑に書いていいのは、誰に見せるものではないし、読み返すことを目的としない。そんなことを乱雑に書く吐き出し場だ。

○次にnoteに文字を打ち込むことは、ノートに手書きして思ったことを、自分の中で大きく感情が動いた一つのことを、少し他所行きな綺麗な言葉を選び残して行く場所だ。実際の身の回りの繋がりはなくとも、知らない人も読むことができる場だからこそ時間をかけて。要は、非現実的な繋がりがある場所でもある。

○最後に手帳に手書きをすることは、上記二つとは異なり、目標に突き動かされるモチベーションになる場所。スケジュールを入れることによって楽しみなことに向けカウントダウンをし、それを実現させるために今その瞬間から自分が逆算して出来ることを冷静に見つめ実行していく。例えば今の私は12月半ばに温泉に行く予定だからそれまでにの日数を数え「あと〇〇日」と書き込み、仕事やお金、少しのダイエットの意欲を高めている。


何がいい、何が悪いというものはない。それぞれのツール・人によって使い方好みが異なるけれど「吐き出し、考え、実行する」この事を淡々とこなすことは余に難しい。緻密な計算を立てても、強く自身と約束したとしても、100%の完成度で1日を生きることはできない。それでいいんだと思う。予期せぬことが起こる退屈なのに退屈ではない人の人生なんだからしょうがない。私の手帳は夢や願望ばかり書いていて、いかにもポジティブ内容だけど、実際にTo Doリストにレ点を入れられるのは僅かだ。これもまた、これでいいと思っている。しょうがないじゃないか。

100%で生きられなくても、目標を確認し、自分のペースで悲しい日を減らせるように。私はそのために気持ちが上げるために手帳を書いている。

「来年の手帳、買いましたか?」



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