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格好つけることが上達した大人達。


週末は6週間ぶりに晴れるらしい。確かに雨ばかりが続いてあっという間に桜の花弁が道に散らばった。それを見てどこか残念で冷ややかな気持ちを抱いていた。そうした状況と比例するかの様に、突出した楽しみや晴れ間を見つけ出せない代わり、ちょっとしたマイナス点ばかりに気を取られてしまっている。それは家のことであり、職場のことであり、趣味のことでもある。


何かしらの方法で打この状況から打破しなければいけないと理解していながらも、こういう苦しみに似た気持ちはダラダラと私の中で回り続けてしまうから何かと厄介だ。自分の気持ちをゼロに戻そうと思い、今はカフェでコーヒーとシュガードーナツを味わっている。パーテーションを挟んで前の席では男子高校生が分厚い参考書を前に頑張っているというのに、全く私は何をしているのやら。


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子供は大人に憧れを持つ。ただ長く生きている分経験豊富で「格好いい」と思うから。でも内心は年月を重ねてもそんなに簡単に大きく変化するわけではない。それでも私達大人は「格好つけること」が必然的に上手くなる。それもまたきっと、格好つけている大人の背中を見てきたからだろう。タバコやお酒を始める理由なんて大体が格好つけなのだから。


電車の窓に映る私は、隣に女子高生が立つと非常に焦ってしまう。疲労しか体現していない私と、キラキラした女子高生は比べるまでもなく放つ輝きが違う。いくら職場で「25歳は若い」と称されても、現実は現実で若い子と比べればそれなりの年齢だということを忘れそうになることが不思議だ。比べる対象を変えれば一目瞭然で浮かれていてはいけない。


時々本当に不安になる。あまりに自分の精神年齢が学生の頃と変わっていなくて。そんな私はきちんと大人として対等に扱われているのだろうか、本当は子供をあやす様な感覚でしか対応されていないのではないか、と。あるか分からないことで勝手に不安になって心が苦しくなって、そうなるとこのループは楽に断ち切れない。自分の気楽にどこへでも行ける行動力が好きだ。でもこうして悩み続けてしまうジメジメの性格はとても嫌いだ。悩むべき要素とそうでない要素。そこをしっかり分別つけていかなければいけない。


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今年26、あと4年で30代に入る。歳を重ねることに対して嫌な感情はないけれど、それ以上にこのままではいけないという危機感を持ち続けている。誰かと共に家庭を築くという将来ビジョンがない私はどういう道を歩むことを望んでいるのか。自滅してしまう前にもっと今のうちから考えないといけない。幸い、恋愛を楽しむエネルギーをそこに回せるから、時間はたっぷりある。


もっとしっかりドッシリと生きていきたい。私が憧れた大人達はもっと大人だったけれど、もしかして憧れた大人達も必死に格好つけていただけなのか。


そう考えると、大人ってズルくて退屈だけれども、可愛いのかもしれない。みんな必死に与えられた場所で生きている。


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