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23時の救急車:本当に大切なことを学んだ2時間

先程、母親が夜間緊急外来へ緊急搬送されました。気持ちが酷く動揺しパニックになり怖くて震え泣くことしか出来ずにいましたが、2時間が経った今ようやく頭に酸素が周り、そして気持ちを落ち着けるために今、noteに向き合っています。

以前「何があってもしいなの味方だ」と言ってくれた友人。パニックになって一番最初にその友人が頭に浮かび、とにかく温もりを感じたくて連絡を入れました。頼りたい、助けて欲しいと思いました。でも私はまた人を信じすぎてしまったようです。

23時。そんな簡単に連絡が取れるはずないのに、私は信じていました。「味方」と言われた時、私もこの人の味方でいようと思って、いつどんな時でも助けようと自身の中で誓っていましたが。でも同じテンションで「味方」を使ったとは限らないのです。その人にはその人の生活があって、連絡が取れないこともある。気が付かないこともある。スルーしたい時もある。それなのに私は、自分と同じなのかと思ってしまい助けを求めてしまいました。「私ならまだこの時間寝てないな」とか「私なら気がつくな」とか。私の基準で物事を見てしまうのは本当に悪い癖だけど

同時に、何かが私の中で折れてしまいました。

結局、その人とは連絡が取れず、普段連絡をまめに取っている別の友人に「実は今こういう状況で・・・」と話すことができ、すぐに電話をくれて、その声に安心して泣いて。支離滅裂になっている私の言葉に嫌な空気を出さず長電話に付き合ってくれて「何かあったらいつでも連絡して」と温かい言葉までくれて。

その出来事を通して、助けてくれる人を私は大切にしなければいけないと思いました。自分の性格は前向きで、人見知りなく、直ぐに人を信じられるところだと胸を張って応えてきましたがそれは、時として悪い向きの転がります。長所と短所は表裏一体。

前向きな性格は、そうじゃない人の気持ちを理解してあげられない時があり、人見知りがない性格は、ズケズケと間合いを詰めてしまうことがあり、そしてすぐに人を信じる性格は、信じすぎて自分が苦しむ日々が多くあります。

勿論、連絡が取れなかった友人を責めているわけでは決してなく。ただ、それぞれの生活環境が変わっているのだから、もういつまでも昔の話を引きずったり、憧れを捨てきれなかったり、誰かの言葉をひどく信じてしまったり。そういう形ないものに縋ることはもう良くないんだな、と実感しています。私自身も変わらなきゃいけないな、とも思いました。

大事なことはきっと本当に辛い時に助け合える、それを本当に実行し合える人と、生きていく時々のタイミングで支え合っていくことだな、と今は思うのです。自分を守ってくれる人は変わっていくのです。私の守るべき人も変わるのです。

そんな話です。何だかまだ混乱していて、言葉がうまく残せないけど。付き添いで病院へ向かった父親からの連絡を待ちながら、今日は夜を過ごそうと思います。

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