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ランドセルの話


記憶力に乏しい私は今より約19年前のことなんて覚えていない。気がついた時にはエンジ色のリスのマークが入ったランドセルを背負い毎日学校に通っていた。

6歳の子供が自分で選ぶにしては渋めのカラーの赤のランドセルは、父方の祖父母からのプレゼントだと聞かされていた。私が幼稚園児の時に亡くなったため写真での姿ばかりが脳内で生きていて、動いている姿は思い浮かべられないけれど、そのランドセルを見るたびに心のどこかがギュッと摘まれる様な感覚を味わっていた。昔からそういうセンチメンタルな感情だけには敏感だった様で、今考えると少しおかしい。兎にも角にも、祖父母がきっと悩んで選んでくれたランドセルを私はとにかく大切に使った。


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会社に行くため家を出るのは7時30分。駅に向かう最中に多くの小学生とすれ違う。マンションが多く建つ、ここら辺の地域は毎日集団投稿をしているようで(もしかしたら時代の変化かもしれない)、20〜30人が団体で一列に並んでいる。その後ろ姿は昔のように「赤」と「黒」の2色ではない。

ピンク・オレンジ・青・緑・紫・茶色・紺・・・本当に64色色鉛筆が完成しそうなほど多彩。かえって赤と黒が珍しいくらいだ・


ピンクやオレンジはとても可愛らしい。いかにも子供カラーだけれど驚くことに茶色や緑の暗めのカラーの方が割合的には多い。大人が好みそうな色が半分を占めているのはきっと地域の差だけではないのだろう。


最近の子供服にしても「大人の服をそのまま小さくしました。」みたいな洒落ているものが店頭に並んでいるし、子供が自らそれを手にしている。いやいや私普通にお洒落力負けるわ〜と思いながら横目で通り過ぎることはよくある。じゃあ果たして洋服と同じように、あの渋い色のランドセルも入学式の前に子供達が選んでいるのか。それともお母さんの誘導に訳もわからず頷いているのだろうか。


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「子供は子供らしく」という理想理念も今ではただの固定概念と言われ、自由の選択が主張される世の中では古すぎる考えなのかもしれない。ただそうであったとしても、口紅を塗ったりイヤリングを耳から下げている、そういう小学生を見かけると少し後退りしてしまうのは私だけではないだろう。どうしても自分の世代と比べスマホゲームではなく、「木登り」ばかりしていた時の方が健全で無垢で純粋で、可愛らしくあって欲しいとその姿を求めてしまうのだ。こうして次世代に対して疑問の数が増えていくことが歳を重ねるということならば、少しだけ心が痛む。


そしてその度に、子供の時は当たり前だった環境はとても恵まれていたのだなと深く痛感するのだ。ネットに強い子であれば将来何も不自由はしないだろう。でも、ネットの外から得られるもっと心に訴えかけるような出来事や自身の成長は、これから先の子供達はどこから学べるのだろう。


押し付けがましい意見だと承知の上で、どこか第四の視点辺りで、集団投稿をするカラフルな背中を眺めている会社員です。今日はランドセルの姿を一人も見かけなかった。あぁそうか春休みか、と一人で納得して、学生の特権の長期休みを羨ましく思った会社員です。


大人になってから気がつくことが多い世の中、子供達のために出来ることってなんなんだろう。







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