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似たようなエッセイに左右されないでいたい

本のジャンルが迷子だ。

学生の頃は小説を読み漁り、20代を越えてからはビジネス書やエッセイ本を好んで手にしてきた。他の人の体験談やマインドの部分を知りたかったからなのだけど。でも、ここ最近はエッセイ本を読んでいると「もうそろそろ次のステージに行かなければいけないな」と思うことが増えた。

というのも、本に書いてある中身がみんな似たようなことだということにずっと気がついていて、それでもその人に対しての尊敬があったから選択してきたけれど、いまその言葉を素直に受けとることが出来なくなってしまった。確かに言葉の使い方は違うけれど要約してしまうと結論はほぼ同じことばかり。新刊を手にしても、必ずどこかで読んだことがあるような文に心が動かなくなり、真っ新な状態の発見や憧れがいつの間にかなくなってしまったからだ。


この感覚は入学や就職と似た感覚だ。知らない世界は無条件でワクワクする。これから経験することを想像して期待するけれど、実際幾日か過ごすと毎日同じことの繰り返しである現実が見えてしまい、慣れてしまえば朝起きるのが辛くなり、誰かに愚痴りたくなる。私と作者は別人と分かりながらも、勝手な期待をして当たり障りのない言葉を読んでは、勝手に裏切られた気持ちになってしまう事を苦しく思っていた。多くの人の本やyoutubeでのエッセイ、SNS等読んでみたけれど、なんだか真似事の様な気がして、そう思ってしまう自分が嫌だった。

もちろん、そうではないとは頭では分かっている。その人のことを深く知っているわけではないから、どんな背景でその文章を書いたのか知らないのに偉そうだけれども、きっとその言葉は自分が出会った言葉を自身に落とし込んで、それを放出しているものなのではないかなと想像している。だから似たニュアンスのものが世の中に多く存在している。100%のオリジナルではないもの。



自分で考えて自分で動く。さんざん学んできたはずなのに実行してこなかったのは綺麗に舗装された道を楽に進みたかっただけなのだろう。ちょっと迷ったら、すぐそこに誰の言葉か分からない様な教科書通りの答えがあるけれども。それって、とてもつまらない。そしてそれは永遠の自身の指針にはならないだろう。


自身の指針は誰かの言葉で左右されるものではない、自分で見つけて行くしか方法はないはずなのだから、いい加減楽をすることをやめよう。だからエッセイから少し離れてみようと思う。多くの本を読むことで人の意見を取り入れようとしたことに対しては良かったことだ。でもそれに自分が流されてしまっては絶対に意味がないのだ。





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