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人生が変わる瞬間の音を聞いた

 2019年6月都内某所、あれはどこの映画館だっただろう。旧友の二人と共に公開されたばかりの映画「愛がなんだ」を観に行った。

 当時付き合っていた彼と旅行にいく予定が5日前にドタキャンされ、急遽予定を変更して私は旧友がいる東京に片道4時間をかけて足を運んだ。その頃彼との関係は雲行きが怪しくなっていて、その原因もうすうす感じ取っていた。

 今思い出しても、あの夜が私の人生の大きなターニングポイントだった。非日常な体験をしたわけでも、大それた出来事が起きたわけでもない。いくつかの偶然が重なり、何かが私をあの日あの場所に導いてくれたのだ。なんでもないような1日がその後の私の人生観を180度変えた。

 それまでの私はただただ自分のことが大嫌いだった。ネガティブで心配性で強がりで弱虫で良いところなんて一つもないと思って過ごしていたし、ひたすらに生きていることが辛く、許されないような気持ちで生きてきた。簡単に言ってしまえば自己肯定感が底辺の人間だった。常に目に見えない何かに怯え、何かと戦っていた。突然身体が動かなくなって、活力がマイナスになった時期もあった。

 自分を愛せない人間が人を愛そうとしたところでうまくいくわけもなく、その相手を愛しているというよりは、依存先を探すような恋愛ばかりをその頃は繰り返していた。自己犠牲こそが愛だと勘違いしていたし、尽くすことが美徳だったし、それに応えてくれないと気が狂いそうだった。少し不幸な時が一番幸福を感じた。好きだと言ってくれる男性に「嬉しい」と微笑みながら「こんな私を好きだなんて、なんて趣味が悪いのだろう」と心の中ではどす黒い感情が渦巻いていた。私自身がこんな人間になってしまった原因はたくさんあるのだろうけど、きっと些細な出来事の積み重ねで歪んでしまった。こんな意味のわからない感情は到底他人にわかってもらえるはずもなく、生きづらさを常に抱えては心の奥に無理やり押し込んで漬物石で上から蓋をしていた。「変わりたい」それがその頃の私のたった一つの願いだった。


そんな時に観た映画が角田光代原作、今泉監督の「愛がなんだ」だ。

猫背でひょろひょろのマモちゃんに出会い、恋に落ちた。その時から、テルコの世界はマモちゃん一色に染まり始める。会社の電話はとらないのに、マモちゃんからの着信には秒速で対応、呼び出されると残業もせずにさっさと退社。友達の助言も聞き流し、どこにいようと電話一本で駆け付け(あくまでさりげなく)、平日デートに誘われれば余裕で会社をぶっちぎり、クビ寸前。大好きだし、超幸せ。マモちゃん優しいし。だけど。マモちゃんは、テルコのことが好きじゃない(あらすじ公式サイト引用)

 マモちゃんだけがテルコの世界で、都合よく扱われても嬉しくて幸せで相手のパーソナルスペースガン無視で愛をぶつけていく、自分というものが何もない。好きな男のために私生活全てを犠牲にしてしまう魅力のない女性だった。なんて痛々しく見苦しい恋愛なのだろうか。けれど、テルコの考えていること、これから言うであろう台詞、それをしたときのマモちゃんの反応、その全てを私は手に取るようにわかってしまったのだ。スクリーンの中には確かに私がいた。エンドロールが流れ始めて、館内が明るくなるまでの数分間何とも言えない虚無感と高揚感が交互に襲ってきたのを覚えている。

 映画館を出てふたりと小洒落たイタリアンでお酒を飲みながら、愛がなんだの感想会を開くことにした。一人はカクテル、一人はノンアル、私はワインだったような気がする。

 「もうね、テルコの気持ちが痛いほど分かってしまって本当に苦しかった。だってマモちゃん引いてるじゃん、なのに都合いい時だけすり寄ってくるじゃん。それ分かってても嬉しいんだもん。テルコの世界はマモちゃん一色だからもうマモちゃんになりたいんだよ。わかるよ。でもマモちゃんは絶対何があってもテルコのことを好きになることはないんだよ。あーしんどい。」

と天井を見上げながら言った私に友だちが言った。

「テルコに共感できる部分なんてあったの?!あんな捨身で人を好きになれるなんてそれはそれで凄いよね。私は結局一番自分が好きだから、テルコには共感出来なかったし、どちらかと言うとマモちゃんかも。」

 頭を思い切り殴られたような衝撃が脳内に走ったのを覚えている。風がザーと吹き抜けてゴゴゴと自分の足下が揺らぐ音がしたあと、パズルの最後のピースがハマるような「カチ」という音が聞こえた。小洒落たイタリアンのお店にそんな効果音がなるわけもないし風が吹くわけもないだろうから幻想なんだろう。ただあの時私の中では確かにそれら全ての音が聞こえた。人生が変わる瞬間の音だった。

 ボーっとしながら口を小さくパクパクさせている私をみて友人は「どうしたの?何か私変なこと言った?」と尋ねてきた。私がずっと探していたものは自分を無条件に愛してくれる人でも、ダメなところを受け入れてくれる人でもない。愛されようと無理に努力する必要なんてなかったのだ。

 「そっか、凄い。そういうことなのね。私は自分のことが大嫌いだと思って生きてきたから、君がそうやって自分を一番好きと言い切れることが本当に衝撃だった。びっくりした。マモちゃんは自分軸でテルコは他人軸なんだ。」

 私が長い間掴めなくて欲しいと願い続けてきたものは自分自身への愛だったのだ。ネガティブで強がりで弱虫な私を変えたかったのではない、否定したかったのではない、ただ受け入れ愛したかったのだ。

「私今人生が変わる音がしたの。きっとこれから変わる気がする。探してた最後のピースがハマったの今!ありがとう。本当にありがとう。」

興奮気味に話す私に友人二人は顔を見合わせていた。あの時彼と付き合わなかったら、旅行の計画をしなかったら、ドタキャンされなかったらあの日東京に行くこともなかった。愛がなんだを観なかったら、彼女の言葉を聞くこともなかった。全ての偶然がもしかしたら運命に導かれた道だったのかもしれないと思った。

 帰りの新幹線に乗る前に表参道のヴァレンティノに寄って真っ赤なハイヒールを買った。「これから私は必ず幸せになるの。私を私が幸せにしてあげるの。私がちゃんと変われたと思った日にこの靴を卸すよ。それまでのお守り。」そう言って買った10万円のハイヒール。

 その日から私は私を幸せにしてくれないものに執着することをやめた。物も人も断捨離をした。自分が笑顔でいられる選択をしてきた。疲れてしまったらだらしなく息抜きをするようにした。出来ない自分を責めず出来た自分をこれでもかというほど心の中で褒めた。背筋を伸ばして常に口角をあげることを意識して過ごした。無理なダイエットはやめて身体が欲しがるものを食べたいタイミングで食べるようにした。今まで何をしても減らなかった体重は13kg痩せた。人から褒められたら素直に「ありがとう」というようにした。それ以上に誰かの良さを見つけて口に出そうと心に決めた。

 目の前の世界が一気に変わっていくのを感じていた。自分の心一つで見えているものが大きく変わることが衝撃だった。

 約1年半後の2020年11月ヴァレンティノのハイヒールに初めて足を通した。ロングワンピースとヴァレンティノを履いて行ったフレンチ料理のお店で108本の薔薇を抱えた今の夫にプロポーズをしてもらった。

 夫と一緒にいる時の自分がとても好きだ。夫のそばにいると私は私を好きでいられる。思っていることが顔に全部出てしまう位単純で少年のような愛しい人。こんなにも穏やかに人を愛せることを初めて教えてくれた人だ。もう過去の私はそこには居なかった。

 今も東京に住む友人二人に報告を兼ねてお礼の連絡をした。彼女たちからは「君が自分を大切にすることが出来たから今があるんだよ。本当におめでとう。」と言ってもらえた。この二人が居たから今の自分がある。自分ファーストで生きる人生はとても生きやすい。母親であろうと、妻であろうと自分を大切にしてこそ家族や他人を大切にできるのだ。


 もしも今昔の自分に会うことができるならば、「あなたは自分を幸せにできるから大丈夫だよ、もう頑張る方向を間違えないで。」と抱きしめてあげたい。彼女はきっと真っ暗な部屋の角で今も膝を抱いて泣いているはずだから。

 

 

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