見出し画像

『光瀬龍ジュヴナイルSF 未収録作品集』(盛林堂ミステリアス文庫、2021.5)の紹介と、蛇足として光瀬龍「同業者」(1960)試論。


 こんにちは。
 SF作家・光瀬龍(みつせ・りゅう、1928~1999)の単行本未収録作品集が書肆盛林堂から発売されました。値段もそれほどではなかった(本体3500円)こともあって(ぎりぎり)私でも入手できたので、紹介していきます。

『光瀬龍ジュヴナイルSF 未収録作品集』(2021)

 本書は、2021年5月16日(日)に開催された第32回文学フリマ東京で頒布されました(「書肆盛林堂」(タ-27・28)にて)。
 私は通販で入手したのですが、まだ在庫があるようです。

 監修(編者)は、未収録原稿を中心に集成した研究本『光瀬龍 SF作家の曳航』(ラピュータエクセレンス、2009年7月)を出版している大橋博之さん。表紙イラストは光瀬のジュヴナイル(少年向け)SFの代表作『夕映え作戦』のコミカライズ版の画が、描き手である大野ツトムさんに許可を得て使用されてます。

画像5

 本書は「盛林堂ミステリアス文庫」の一冊ですが、版型は文庫本(A6)サイズではなく、文芸誌と同型のA5サイズです(月刊ペン社の「妖精文庫」(B6単行本サイズ)みたいですが、でも「盛林堂ミステリアス文庫」にはちゃんとA6文庫本サイズのものもあります)。

 収録は、以下の14作品。

画像1

        ↑ 同書目次

 収録作は、多くが学習雑誌をはじめとした1960~80年代の少年少女雑誌に掲載された読切小説です。『中一時代』、『中二時代』、『中三時代』(ともに旺文社)、『高一コース』、『高三コース』、『ヤングエース』、『小説女学生コース』(ともに学研)、『Cobalt』(集英社)に掲載された作品たちでした。

 幻の『夕映え作戦』第2部など気になる作品ばかりです。
 小学生のころ、窓から夕焼けの光が斜めに指している図書館の片隅で、目に染みる赤い光で埃がきらめきながら舞うのを見ながら、ボロボロになった少年少女SFばかり読んでいた私には、どの作品も、文章からあの懐かしい感触がして、胸がくるしくなります。

 このなかで私が初出掲載誌を持っているものは80年代の「月見草で待ち伏せ」だけなのですが、掲載時には、『月光写真いりませんか』というシリーズの第一作としての掲載でした。このシリーズは、単行本化されていません(そもそも続いたのかどうかも定かではなく……)。
 掲載誌の『Cobalt』1983年秋号(集英社)表紙でも、シリーズ名である『月光写真いりませんか』の方がタイトルのように印字されていました(なので一瞬、「あ、未収録作品持ってた」と勘違いしそうになりました)。

画像4

 SFファンにとっては豪華な書き手が目白押しな「ロマンチックSF特集」ですが、それに交じって片岡義男の短篇作品(「もうひとつラヴ・ソング」)も載っているんですね。

 当時は80年代SFブームの只中であったこともあり、少女小説もSF的な作品を吸収しながら変化しているときでした。
 やがて1990年代になると、「ハイスクール・オーラバスター」(若木未生)とか「炎の蜃気楼(ミラージュ)」(桑原水菜)とか、この時期(1980年代半ばくらい)にちょうど中高生だった読み手が、こんどは書き手側に回って、SFファンタジー的な長篇少女小説の名作が次々と生み出されていくことになるのですが、それはまた、別のお話。

画像2

 この「月見草で待ち合わせ」の扉ページと見開きでとなりのページに載っているは、火浦功・岬兄悟・大原まり子・新井素子ら当時の若手SF作家たち(彼らはこの時期同時に少女小説家でもあった)によるバンドユニット「Flathips」のグラビアページでした(『S-Fマガジン』や『奇想天外』で活躍していた彼女/彼らを『Cobalt』編集部に紹介したのは同世代作家の久美沙織さんであったという豆知識も添えておきます)。

画像3

 大橋博之さんの解説によると、「月見草で待ち伏せ」に登場する少女と犬は光瀬の次女と愛犬がモデルになっているそうで、作中に登場する「PaPa」と呼ばれる男性も光瀬自身を思わせるとのこと。

 いや、それにしても、これで光瀬龍の未収録作品はコンプリートされたのだなぁ、と感動するのは早計の様子。

 最初は文庫スタイルを希望したが、収録できる作品が少なくなることからこの形になった。それでも企画時は37作品をセレクトしたのに、ページの関係でしぶしぶ14作品に絞った。「これは外せない」という作品のみが残っているが、やり残した感があり少々、残念ではある。(大橋博之「編集後記」 - 同書 434頁)

 未収録作品集に未収録の作品が、あと23作品もあるらしい。
 同じような本があと1~2冊出せそうなほどの作品数!
 いつか光瀬の全集が刊行されることがあれば(可能だろうか)、そのときにこそ全貌が明らかになるのかもしれませんが、しかしそれまではこうして、限られた予算と枠組みの中で地道に作品をまとめていくしかないのかもしれません。


ところで……

 ここからは蛇足です。
 今回みてきた『光瀬龍ジュヴナイルSF 未収録作品集』のカバー折り返しには、端的ながら的確に光瀬の略歴がまとめられています。

1928年3月18日、東京生まれ。(中略)60年、5F同人誌(宇宙塵)に発表したショートショート「同業者」が、〈ヒッチコック・マガジン日本版〉に転載されて作家 デビュー。
62年、「時の海一九七九年」を〈SFマガジン〉に発表 して、本格的にSF作家としての活動を開始する。 『タばえ作戦』『暁はただ銀色』などのジュヴナイル SFを数多く発表。また、タイトルに年号を冠した一連の宇宙SFは「宇宙年代記」ものと呼ばれて読者を 魅了した。(中略)
1999年7月7日没。没後、その功績に対して第20回日本SF大賞特別賞が贈られた。

 これを読んで、そういえば、光瀬のデビュー作である「同業者」という作品のことを、大学生のときに文芸サークル誌で評論したことがあるのを思い出したのでした。

 当時、読者層(サークルの後輩と同輩)からはスルーにつぐスルーで不憫にもともかく読まれなかったので(もちろん読者とのミスマッチだけでなく、論自体の分かりにくさに問題があったせいなのですが:圧縮しすぎていた論理の道筋だけはできるだけわかるよう直しました)、ここに公にすることで、勝手ながら論を供養させていただきたいと思います。


「希望の萌芽、墓碑銘への道――光瀬龍「同業者」考――」(2016)


 古書店があったので寄ってみたら、意外な一冊に出会った。
 『ヒッチコック・マガジン』(日本版)だ。しかも、わりと初期のものだった。たぶん、往年のミステリ・ファンには見慣れた雑誌なのだろうが、若輩者の僕には珍しい逸品だった(半世紀以上昔の雑誌なのだから当然だけれど)。例えば同じ探偵小説誌でも、『幻影城』なんかだと割とどの古書店にもある印象で、ほかにも『幻想文学』や『奇想天外』なら何度か見かけたことがある。ただ、『ヒッチコック・マガジン』を生で見るのは初めてだった(とはいっても僕は国文学科生のくせにあんまり積極的に古書店を開拓していない怠惰な学生なので、あんまり参考にはならないかもしれない)。
 そもそも、それがどんな雑誌なのかをよく分かっていなかった。僕は山川方夫さんの小説が好きなので、多くのショートショートの初出誌としてその名を認知はしてはいたが、しかしまさか、本当にあのアルフレッド・ヒッチコックが編集していたとは思っていなかったのだ。驚いた。
 そんなわけで今回は、そのときに手に入れた「スリラーの巨匠が編集する新型推理小説雑誌」『ヒッチコック・マガジン』(日本版)1960年(昭和35年)8月号に掲載の、光瀬龍「同業者」をご紹介しようと思う(この作品は後に光瀬龍の第1作品集『墓碑銘二〇〇七』(早川書房、1963年8月 / 角川文庫、1975年8月)にも収録されているので、図書館などでもお読み頂けると思います)。
 光瀬龍(みつせ・りゅう、1929~1999)といえば、代表作として『百億の昼と千億の夜』(『S-Fマガジン』連載時には「百億の昼、千億の夜」)を思い浮かべる方も多いのではないかと思われる。
 『百億の昼と千億の夜』は萩尾望都によって漫画化されたし、1960年代の作品にもかかわらず、1980年代から2010年代に至るまで日本SFの歴代ベスト10の上位に位置し続けてきた(『読書マガジン』1982年のSFベスト第2位、『S-Fマガジン』1989年のSFベスト第1位、1998年に第2位、2006年に第1位、2014年に第3位)。光瀬には「宇宙詩人」の異名もあって、東洋無常観的な味のある美しい作風がひとつの特徴ともいえる。他にも『平家物語』などの時代小説や、『夕映え作戦』や『暁はただ銀色』、『消えた町』などの少年少女小説(ジュヴナイルSF)の名手でもあり、戦後SF第一世代を代表する書き手のひとりである。
 ちなみに「同業者」は、光瀬の初の商業誌掲載作品であるらしい。当時創刊したばかりのSF同人誌『宇宙塵』1960年4月号から転載された「同業者」は、ハードボイルド調のSFショートショート作品であるため、極力ネタバレは避けたい。
 とくにこの作品は、謎の多い状況を読み進めていくことがスリリングで、最後のオチに驚きや哀切が感じられるためだ。そのためここでは(光瀬龍研究家・コラムニストの立川ゆかり氏の評にならって)、本作は「同族どうしの殺し合い」の物語として紹介させていただきたい。
 立川ゆかりは「是空の作家・光瀬龍」でこう述べている。

 ……銃撃戦の描写が見事で、SFというよりハードボイルド色の濃い作品となった。
 この作品には、未完の戯曲「夜の虹」(〈SFマガジン〉二〇一二年八月号で紹介)と同じ命題がひそんでいる。どちらも、図らずも同族同士が闘うという悲運が描かれているからだ。
 そういえば「派遣軍還る」も、機構に操られる者とそれを許さない者の、意図しない同族同士の闘いが描かれた。光瀬は「同業者」を書いてすぐ、「派遣軍還る」を執筆した。「夜の虹」を下敷きに、作品を変化させていったのだろう。
 戦争体験がある光瀬だからこそ、争いのむなしさを作品に封じ込め、提示した。(第8回、『S-Fマガジン』2012年9月号掲載)


 また、1960年1~6月の安保闘争について鑑み、

 ……演劇青年の頃に書きそこねた戯曲のテーマを引き継いだ、としたが、重ねて言えば、この安保闘争を皮肉る意味もあったのだろう。「同業者」のラスト、主人公の呟きを、条約発効後に反安保派が抱いただろう気持ちとして読んでみるとそれがわかる。
 ――孤独か。孤独ではない悲しみか。いや哀しみなどとも違う。……然し、どうでもよいことだった。もう……。
 同じ民族同士の争いは、虚しい結果しか残さなかった。(第9回、『S-Fマガジン』2012年10月号掲載)


と本作について纏めている。

 だが、それだけなのだろうか?
 この読みが、たしかにひとつの妥当な読解であることに疑いはない。
 しかし僕は、「同業者」を読んでみて、また違った考えに思い至っている。この最後の主人公の呟き――孤独か。孤独ではない悲しみか。いや哀しみなどとも違う。然し、どうでもよいことだった。もう……。――これは自己の心象を語っているのみではなかったのではないか? という可能性だ。つまり本作のラストからは、「争いのむなしさ」とは逆のベクトルを読み取ることも、また可能なのではないかと思われるのである。
 物語に関するネタバレは避けたいが、これだけは言わせてほしい。
 本作のラストには確かに虚しさがあるのだが、しかしよくよく読めば、この虚しさは主人公の同族=「同業者」に対するシンパシーでもあるのだ、と気がつく。最後の呟きは己の〈諦め〉ではない
 それは自らと闘った男の心象を、想像し代弁しているのである。そのように読んでみれば、最後の呟きを導く、その直前の一節、「何故なら俺と彼は同業者だからだ。」の含意も、おのずから明らかになるのではないか?
 彼は、自分と闘った男の〈虚しさ〉を感じて呟き、世界に飼いならされてしまった〈もう一人の自分〉を、そのとき不意に、客観的に意識したのだ。
 その先にある感情とは、俺は(俺たちは)これでいいのだろうか?という自省の感情なのではなかっただろうか。であれば主人公は、「とうに彼等に対する復讐など放棄してしまっていた」不甲斐ない自分を恥じ、決別したいと思ったのではないだろうか?
 だから「同業者」のラストに表現されているのは、単なる諦観ではなく、諦観を乗越えた先にある、奮起への可能性なのである。

 その心象が結実した言葉が、2年半後に発表されることになる「墓碑銘二〇〇七」(『S-Fマガジン』1963年1月号)に登場する鍵語「墓碑銘」だったと考えられはしないだろうか。

 題名に入っている「墓碑銘」という言葉は、光瀬がつけていた日記にたびたび登場する。
 光瀬はかつて、「真実なんて何の働きも持ちはしない」と、おのれの魂を湖上の舟に乗せ、旅立たせたことがあった。その気持ちこそ「墓碑銘」だ、とした。
 作品の中で使われた「墓碑銘」という言葉も、同じ意味だろう。真実、つまり概念化したものなど、生きる上では何の役にも立たない。それより、自分で闘いつくりあげたものこそ大切で、それこそが「墓碑銘」なのだった。
 どんなに厳しい状況にあっても闘いを止めてはいけなかった。墓碑銘に刻まれる自己証明をかなえるまでは死んではいけないのだ、と思うトジ。
 夢や希望を捨ててはいけない、と励まされているようだ。死は、夢を諦めることだった。(立川ゆかり「是空の作家・光瀬龍」第9回、『S-Fマガジン』2012年10月号掲載)


 立川ゆかり氏は「同業者」と「墓碑銘二〇〇七」について全く別の文脈からしか論じていないが、一見矛盾するこの作風にこそ、光瀬龍の一貫性が読み取られるのではないだろうか。
 光瀬にとって〈虚しさ〉は、決して行き止まりを示す単なる壁ではなかった。その先には再奮起の可能性が開かれていたのである。それは「墓碑銘」へと至る闘いの道であった。
 『S-Fマガジン』1963年10月号 54ページで、光瀬はインタビューに次のように答えている。

 「――いま崩壊していても、それを一所懸命作り上げた人間がいる。そういった文明のはかなさ、人間の行動の空しさに魅せられているんですね

 「同業者」から「墓碑銘二〇〇七」、そしてその後に続く流れは、まさにこれを確認していく流れであったのではないか?
 闘争は虚しいが、だがその闘争によって作り上げられたもの――〈墓碑銘〉――こそが大切であり、だからこそ、闘いをやめるわけにはいかない。だが、それもまた、空しい――
 「同業者」ラストに込められた感情が「虚しさ」に終始するものであったのか、はたまた、そこにはその先への〈希望〉がほのめいているのか、それをご自分の目で確かめていただくためにも、ぜひ本作を実際にお読みいただければ幸いである。文体は、このときすでに、光瀬龍であった。

(2016年9月4日(日)11:20 初稿)
『天然水』vol.58(2016年10月21日発行)に投稿・掲載)
(→ 2021年6月6日(日)22:00 推敲済)
補注(全体に対しての注記)
 補注1:『ヒッチコック・マガジン』……1959年7月に創刊(宝石社)。アメリカの映画監督のアルフレッド・ヒッチコックが編集するアルフレッドヒッチコックミステリマガジン(AHMM)と宝石社が提携し、AHMMの翻訳版+宝石社のオリジナル企画を内容とするミステリとサスペンス中心の小説誌として発刊されていた。当時、AHMM版を『ヒッチコック・マガジン』(本国版)、宝石社版を『ヒッチコック・マガジン』(日本版)と呼称した。1963年7月に終刊。
 補注2:光瀬龍「同業者」は、『墓碑銘二〇〇七』の他、『日本SF・原点への招待 「宇宙塵」傑作選』第1巻(講談社、1977年5月)、『消えた神の顔』(ハヤカワ文庫JA、1979年6月)にも収録されている。
 補注3:立川ゆかり「是空の作家・光瀬龍」(『S-Fマガジン』連載)は、のちに『夢をのみ 日本SFの金字塔・光瀬龍』(ツーワンライフ、2017年8月)として単行本化されている。引用は連載版より。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?