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30歳、人生の既視感と向き合う

気がつけば30歳になっていた私。ふと、心がときめく種類が変わってきたような気もします。それ以上に、既視感。20代という若くてフットワークが軽く、時間や体力のある時に興味あることに費やしてきたからでしょうか。東京に住んでいたこともあって、目まぐるしい変化を体感してきました。つまり都会に影響を受けてきました。


20代と30代の経験

いろいろなことに既視感をおぼえます。20代の頃はあんなに楽しくてハマっていたことなのに、30歳にもなれば、なぜか「もういいかな」というやる前からの諦めというよりか、いや違うな・・・それはもうしなくてもいいという判断に切り替わっていきました。

昔の私ならば、もっと軽率に手を出しては謳歌していたものです。もうフェーズが変わってきたってことなんですよね。それが20代と30代の違いなのかもしれません。

20代のすべての体験が活きてくる

私は20代の時、ファッションが大好きでした。ブランドものが大好きで、コレクターのように集めていました。今でこそすべて売り払ったのですが。まぁそれは置いといて、若いからこそ純粋に好きな服装も挑戦できた気がします。

・ファッションというかつての趣味

ドクターマーチンのごっつい靴を履いてみたり、vivienne westwoodのビッグオーブネックレスをつけてみたり、カラコンをしたり、原色ド派手なバッグを持ってみたり。30代でこれはもう痛いですよね。そういうことも気しない年代でした。とはいえ、背伸びしてハイブランドなCHANELのバッグを使ってみたことも。

痛いこともしたからこそ、ある種の満足はもう体験しました。一見無意味で、でも楽しかった経験の一つでもあるファッション。今はもう、こういった自己主張の激しいファッションは興味がなく、コレクター気質は抜けましたが、それは経験あってこそ言えること。

・経験し尽くしたからこそ

「もういいかな」になるんですよね。ここで培った感性というのは、自分が自分であるための表現に役立ちました。何色が私を際立たせるだとか、こういうファッションは自分に合っており、逆にこれは流行であろうと似合わないなど。自分研究みたいな。

経験値を積めば、”みんなと一緒”にはならない

一通りファッションを楽しんだ私は、今はもう自分のスタイルを確立しています。たかがファッション、されどファッション。女性は特に、自分の外面を気にしがちです。本当は内面にこそ悩んでいるけれど、どうしても人に見られやすいのが若い女性。必然的に気にするようになるのは普通のことです。ですので、若い時のファッションは、その人が結構現れていると思います。

・量産系は自分ではない

いわゆる普通な女の子って、平均的になんとなく可愛く、周りと同化している量産系。私はこれに対して「つまらない」と思っていました。もっと自分の好きを追求したらいいのに、と思いました。モテるため、みんなと同じがいい、インフルエンサーに似せたい、だとかの他人軸を生きているように見えたから。

私だって、いいなと思ったら取り入れます。しかし、あの人のようになりたいというルッキズムからは来ていません。ファッションの追求はある意味自分の確立でした。

・自分のときめきを探す

とにかくやってみる。ファッションに限らず、自分の心がときめくものをやってやって、体験しまくる。これができるのは20代の特権だと思います。もちろん、年齢は関係ないとは思いますが、若い時の経験は思わぬところで沸々といい影響を受けているなぁと、30歳の今、リターンを感じています。

『やりきった』から『既視感』、そして次へ

既視感というのは、経験から来るとお伝えしました。その経験を通して感じるのは、「やりきった」という満足感、達成感、未練のない気持ちよさ、一区切り、といったポジティブな気持ちを感じますね。すると、新たなステージに目がいくのです。

・経験からくる既視感

私の場合、先ほどはファッションを例に取り上げましたが、他にもありますよ。ミシンで服をつくったり、コスプレしたり、アクセサリーをつくって販売してみたり、手芸をとことんやりました。また、洋画も一時期は毎日1本は見ていました。モノクロ映画にまで手を出して見尽くしました。

スピリチュアルや自己啓発の本も、300冊を超えるほど読みまくりました。これらの一例は、大量だからすごいとは言いません。しかし、やりきるってことは、ある程度そうなるんですよね。

・新しいことを楽しみまくる

やりきったからこそ、だらだらと延長線にならないともいえます。何が言いたいかというと、新しいことが始められるのです。経験から得られるものを知っています。私の場合、20代は自分の好き(趣味ともいえますね)を追求してきました。やりきりました。

疎かになっていたのは、恋愛。そもそも当時は興味がありませんでした。しかし、30歳の今、心から恋愛をしてみたいとやっと熱がでてきました。

自分から「やりたい」と思わなければ意味がない

私が次に挑戦したいことは、これまでのような自分に向かっていくような趣味ではありません。そういう方面で自分の興味は20代でやり尽くしました。逆にしていなかったこと、人との交流をしてみたい。もう少し詳しくいえば、恋愛。なんなら、結婚。

・20代半ばからの結婚ブーム

25歳頃から、私の周りでは結婚ブームでした。年頃でもあり、そうなると私も焦りは感じました。しかし、結婚する意義が見出せず、そもそも誰かと一緒になるイメージもつかず、乗り気ではありませんでした。それよりも、やりたいことはたくさんある、といった感じでしたね。

・20代を経験しまくった先の30代

一通り経験をしてからの30歳、最近は世間に対して既視感をもちます。今まで見ていた視点はもう、つまらなくなったのです。懐かしいけれど、改めてやりたいとは思えない。

それよりも、人と共有したり、交流をする中で何かを発見してみたいなと、近しい人間と同じ時間を生きてみることに興味が出てきました。そういう意味で、結婚には興味が出てきたのです。してみたいなと。

結局、すべては経験

体験していないのに、否定するのはつまらないことですよね。これは私がいろいろなことに挑戦してきて思うことです。世間がどう言おうと、自分が体験しなくては納得ができません。ここで得た納得は、別の機会で活きてきてきます。

・経験を通して自分を知る

何よりも自分の好きとか個性がみるみる見えてきて、「私はこういう人なんだ」と知ることができる喜びにも繋がります。だから、経験あるのみです。そして、既視感を覚えたら、それって深い意味があるということ。

・既視感を覚えた30代からがスタート

30歳からが勝負、なんて私は思いましたね。あらゆることに既視感をおぼえるというのは、次にいくのか、それとも次という挑戦をやめるのか、にも繋がっていくのかもしれません。20代の頃とは同じ感覚ではない、既視感の多い30代だからこそ、新しい経験へどんどん挑戦していきたいなと思います。これを読んだあなたはどう思いますか?普段は考えないようなテーマだからこそ、改めて見つめ直してみるのも面白いですよ。

※この記事は、2024/2/24 に書いたものです。
※【私のブログSTART】2024/2 WordPressにて開設→2024/4 現noteに移転

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