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批判には誤解や理解や和解というお互いのゴールが存在する。

『よく「批判するのはダサい」「批判なんてしていないで自分のやりたいことをやろう」と言ってくる人がいます。こういったことを言う人間は、非難や誹謗中傷と批判の区別ができていませんし、批判の意味や役割を無視している場合が多いです。間違っていることに対して間違っている、悪いことには悪いと言うのは当たり前のことです。~要するに、事実誤認や極端な評価の違いに対して指摘すると、「批判をするな」と言われる世界がある。おかしいことにはおかしいと言わなければいけない。当たり前のことです。しかし現実には、その当たり前が通用しない世界がある。それが可視化され、目立つようになった背景には、インターネットの発達とSNSの発展があります。誰でも発信ができる世の中になったことで、そういった事実誤認や極端な評価の違いが区別できない人、批判と罵詈雑言の違いがわからない人が可視化されているのです。思想家の内田樹氏がよく引き合いに出す小説家・村上春樹氏の言葉に「時代によって知性の総量は変わらない」というものがあります。私もそのとおり、そのような批判と罵詈雑言の区別ができない人の数が増えているわけではないと思っています。ではなぜ、そういった人が増えているように見えるのか。ネコをねずみだと思ってしまうような人でも誰でも発信でき、それが目に見えるようになったからです。これまでは、そんな人間の声がこれほど遠くまで聞こえてきたり、大きくなったりすることはありえませんでした。そういった人間には「発信手段」が存在しなかったからです。しかし、いまは違います。TwitterでもYouTubeでも誰でも声を上げられます。それはもちろん大きなメリットを生み出す一方で、「間違った声」を増幅させてしまう危険とも表裏一体です。そのうえ、それらの「間違った声」は目立ちやすく、目立つものは増幅する可能性が高い。増幅し、間違ったものが伝播する。ネコを見ていた人たちも「確かにあれは、見ようによってはねずみでもおかしくないか」といった具合に伝播する可能性が増えてくるのです。そこに着目するのが悪い人間です。彼らはネコをネコだとわかっているにもかかわらず「ねずみがネコだっておかしくないじゃないか」と言うことによって、判断能力の低い人や何かに悩んでいる人たちを煽動していく。みんながそう言っているからそう言っておけば儲かるという理屈で、煽動する人間が現れているのが現代の特徴の1つです。~「理想の自分を諦めるな!」と言うことで儲かっている人間がいる。そういう人たちは「批判をするな」と言う。でもそれは本当に正しいのでしょうか?そうやってあなたたちにモノを売るためのポジショントークではないでしょうか?そこに気づき、できない自分を認めることからしか、自分を高めたり、本当にできることを発見したりすることはできません。「批判力」とは、そういったできない自分を認め、真っ当に生きていくために必要な力なのです。』

ヒトの意見に異を唱えるのが批判であり批判には誤解や理解や和解というお互いのゴールが存在する。中傷も誹謗もお互いのゴールは無く一方通行か衝突しかない。だいたい良い事しか言わない奴は信用できないし、詐欺師は優しい顔して近づいてくるのだ。

「批判と中傷」区別つかない人がカモにされる訳
煽動する人は言いくるめたほうが得だから言う
https://toyokeizai.net/articles/-/355370

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