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旅の記録を残してみる #7 ~出雲編 絶望の中の光~

平成30年、高校1年生。俺は、居場所を完全に失っていた。

当時付き合っていた彼女は、虐待を受けていると俺に言っていた。
毎日夜中までヒステリーに付き合う日々。
リストカットは当たり前。傷だらけの腕の写真が送られてくる。

「死にたい」
俺も当時の彼女も口をつけばそればかりだった。

学校にも居場所はなかった。色々あって、クラスで孤立した。
半分は俺のせい、半分は環境のせい。
登校はするものの、辛く、勝手に帰るようになった。

遠くへ行きたい

俺は、放課後のほとんどをラピスと共に過ごした。

ある日、ラピスと話し合う。
「また旅がしたい」

福岡から一泊程度でそれなりに楽しめる場所。
あえて、高校の奴らが行きそうにない場所。

「出雲に行こう」
話はそう固まった。
俺、インテ、ラピス、ロータス、タイムの5人で再び。

5人のライングループ名は、「玲瓏たる少年たちの刹那、そして青春」
…まあ、人間誰も皆、黒歴史を抱えている。

冬の大移動

集合は、4:30。駅から近いインテの家に全員で集合した。

始発に乗り、小倉駅で立ち食いうどん。12月の寒さが肌を刺す。

俺は、未だにうどんを見ると旅を思い出す。

そして、悲劇が起こる。
名誉にかけて誰かは伏せるが、5人のうちの1人が便所に行き、電車に乗り遅れてしまう。

小月駅。

少し計画に遅れながらも、列車は進む。

乗客は俺らだけ。前回に学び、暇つぶし。
乗り換え。10時だが、既に5時間揺られている。

山口線に乗りながら、北へと進む。山の中を突き進み、周囲には昔ながらの家ばかりが並ぶ。

ホームもかなり簡易的なものが多い。

気が付けば山口県を超え、島根県へ。益田駅に到着。
益田駅で浜田行に乗り換える。

車窓は常に海。

日本海側、山陰の海はどこか哀愁を覚える。
1番の問題児ラピスは、浜田駅でふざけていた。そのときに、インテの携帯がホームに落ちた。
なんとかなったものの、危なっかしい旅である。

気づけば、出雲市駅に着いていた。

17時半到着。

宿は、とんでもない厚意の場所。
学生限定で、16畳の部屋を1人3000円で貸してくれた。

さて、俺は夜景を見たいと考えていた。
近くに夜景が綺麗な展望台があるとのこと。5人で向かう。

最初はよかったんだ。普通の住宅街だった。
段々と周囲の雰囲気がおかしくなっていく。
ラピスとインテの顔色がどんどん悪くなる。

2人、霊感あるんだった。
「おい、帰ろうぜ…」2人が言う。

歩いているうちに、おそらく地元の人なのだろう、3人組に会った。
「展望台?ここすでに怖いけど、あの獣道行ったらもっと怖いっすよ」
笑いながら彼らは去って行った。

とりあえず、獣道に近づいてみる。
そのとき、別のものが目に入った。

慰霊碑だ。
俺も流石にやばいと思った。
足が動かなくなった。

ラピスとインテが騒ぐ。「おい、何か見える…やばい。」

慰霊碑に手を合わせ、慌てて5人で逃げ帰った。

後味も悪いので、なんか皆でワイワイしようぜ、と。コンビニで色々買って帰った。
高1には贅沢だった。

次の日は朝早いのに、寝たのは3時。ま、そんなもんか。

後日、ネットで検索したら心霊スポットだったらしい。鳥肌が止まらなかった。

今考えても良い部屋だった
懐かしの高1

出雲徘徊

さて、朝になり、宿を発つことになった。
出雲大社までは、宿から少しある。一畑電車という私鉄を使って、出雲市駅から20分強といったところか。

小さな「出雲大社前駅」

無事駅に到着して降りようとしたところ、何やらラピスの様子がおかしい。切符を駅員が受け取る列から外れ、独りで何かしている。

「切符失くした」
さすがラピス。俺らが5人でいたことが証拠となり、駅員さん、見逃してくれた。

さて、訳も分からず出雲大社の方へと歩く。
まず着いたのは旧大社駅。

大社駅

意味もなく悪ふざけがしたい高校生たちは、変な写真を撮ることを愛している。インテが「廃線でビートルズをやりたい」と言い出した。

確かに横断歩道ではある

その後は、博物館に行って、出雲大社にお参りして。そんな普通の旅行を楽しんでいた。

旅をしていると、色々な人から声を掛けられる。稲佐の浜に向かうときに、爺さんから声を掛けられた。何を話していたかは覚えていない。あれから6年以上経った今、あの人は何をしているのだろうか。

稲佐の浜

さて、終電で帰るにしても、出雲市駅を16時頃には発たないといけない。一畑電車で戻る。

手動改札

そして割子そばを強引に食べた。時間がないから、急いで。この旅に余裕などないのである。

16時に出雲市駅を発ち、18時を過ぎてから益田駅に着いた。12月の突き刺すような寒さの中、辺りは既に真っ暗である。

益田駅

ただ、ひたすら、ディーゼルで運ばれるだけ。19時に益田を出てから、山口線に乗る。地福、仁保、宮野…色んな駅を通り過ぎる。そのすべてに、その土地の歴史、人々がいて、俺らと違う日常を送っている。
考え事をしていなければ、気が狂うような旅だ。人生を考える時間としては、非常に有効だが。

21時に新山口駅に着いた。赤い電車から黄色い電車に乗り換え、下関に向かう。嘉川、厚東、厚狭…福岡県民にこの駅名を言ってもあまりピンとこないだろうが、俺らからしたら馴染みの駅名と化している。

そうして、下関に着いたのは22時半。一瞬で門司に着き、南福岡へと帰る。

言っては悪いのだが、山陽本線の乗り心地は悪い。山陰本線はもっと悪い。まあ、それも味があっていいのだが。
鹿児島本線に乗ったときに、電車が静かで驚いた。福岡に来た山口県民に聞くと、同じことを言う人が多い。俺は気づけば山口県民になったかもしれない。

快速でもなく、普通で戻るのである。遠くないわけがない。
馴染みのない駅名も、馴染みのある駅名も、一つ一つ写真を撮るようにしていた。

全員死んだような顔で電車に揺られていた。
南福岡に着いたのは0時40分頃。既に日付が変わっていた。

このメンツで旅をするのは、実はこれが最後になる。もちろん、意図したわけではない。インテに関しては、この後卒業まで二回しか会わなかった。

居場所を失っていた俺にとって、旅とは何なのか。
同行者がいる旅、いない旅、意味も異なってくる。

人生は、自分だけのもののように思えて、環境、出会い、そんなもので一瞬で変化してしまう。
本来交わらなかった人生と人生が、線路のように交わって、それぞれまた離れていくこともある。旅とは、そういうものなのかもしれない。

~続く~

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