忍び寄る敵
サウナの「整った」がイマイチ把握できていない私です。どうもこんにちは。負け惜しみではないですが「整う」とかどうでもいいと思ってます。
温泉が好きである。
死ぬまでに一度は湯治をしてみたい。
若い頃から(主に酒を中心に)無茶をし、散々身体を痛めつけてきた。
自覚がそこそこある程度にボロボロだ。
そんな身体を湯治でゆっくりと癒したい。
このようなことがささやかな夢であるぐらい温泉が好きである。
ただ、あまり「観光地」しているところは苦手だ。
それは人が多いから。
基本的に人が苦手な自分にとって、人が群れている環境は結構苦痛。
温泉はのんびりと人の目を気にせずに入りたい。
そのため、私が選ぶ温泉宿は、
一、鄙びている
一、客室数が少ない
一、できれば源泉掛け流し
となる。
数年前の話だけど、そんな私が一度行ってみたいと思っていた温泉へ遂に行くことができた。
そこは群馬県の法師温泉。長寿館という一軒宿である。
日本秘湯を守る会に加盟しているこの宿は、上信越高原国立公園内にあり、与謝野晶子や川端康成など、多くの文豪にも愛されたらしい。
名実ともに日本を代表する秘湯と呼ばれている老舗だ。
実に鄙びていていい感じじゃないか。
全館木造建築で、本館が建てられたのは明治8年。
何年前かわからないが、とにかく古いということだ。
伺ったのは秋。山の中だけあって紅葉がじつに見事。
冬は実に美しい銀世界が広がるらしい。ぜひ冬にも来てみたいものだ。
因みにこの宿は、テルマエ・ロマエという映画のロケ地になった場所。
古くは上原謙と高峰三枝子の「フルムーン」の広告で使われた場所でもある。
それにしてもなんだろう。この覆い尽くさんばかりの色気。
なんとも隠しきれないエロス。そこはかとなく漂う昭和感。
河川敷とかに捨てられている水を吸って乾いてカピカピになったビニ本をとことん上品にしたような感じだ。
昭和のエロスは重い。
長寿館の建物は登録有形文化財に指定されている。
言うまでもない。館内はひたすらレトロ。
玄関を入ると吹き抜けになっていて広々。
古い建物のくせしてお洒落である。
むしろ、古い建物だからこそお洒落なのかもしれない。
囲炉裏の部屋もある。
写真を撮る前、ひとり旅と思わしき女性の外人さんがちょこんと座っていた。
実に微笑ましく、そして日本は治安が良いのだなと思う。
廊下も実にレトロ。
古いだけあって、歩くとミシミシ鳴くのはご愛敬。
重量制限がないのかは気になるところだ。
部屋の前には川が流れ、長旅の疲れを癒やしてくれる。
つらつらと書いてきたが、館内の説明などはどうでもよい。
早く湯に浸かりたい。
仲居さんの挨拶もそこそこに、お茶も菓子も頂かずに、荷物を投げ捨て浴衣に着替えて湯に向かう。
さすがに浴場は撮影禁止なので写真はない。
ここの名物「法師乃湯」は、大正時代に建てられたもの。天井は貼られておらず、丸太を削った野太い梁や屋根裏がむき出しになっている。実に豪快。
これが大正ロマンというものなのだろうか?
温泉も湯船の底に敷かれた砂利の間から源泉が湧出しており、場所によって温度が違う。じっくり温まりたいならぬるめのところで長く浸かればよいし、江戸っ子を気取りたいなら熱いところ浸かればよい。
といっても、熱いところで41度程度だから大したことはない。
長く浸かれて、しっかり温まることができるということだ。
なお、泉質はカルシウム・ナトリウム-硫酸塩泉とのこと。お湯は透き通っていて癖はない。硫黄泉とかが苦手な人でも安心。
効能はよく読まなかったけど、まあどこの温泉にも書いてあるような病には効くのであろう。昔から栄えているのだ。きっと効く。
しっかりと浸かり、体はポカポカ。
むしろポカポカすぎる。これは不味い。汗が止まらない。
「せっかくの温泉なんだ!」と、つい貧乏性が出てしまい、長く浸かりすぎてしまうのだ。
これ、温泉に行くと毎回やってしまう。学習しない。馬鹿なのである。
そんな感じで、自分の馬鹿さ加減に少し落ち込みながら部屋に戻る。
とりあえず買っておいた水を飲みながら、静かにくつろぐ。
あ、そうだ。館内図を見よう。
テーブルを見ると、来たときには気付かなかった冊子が置いてある。
私は湯上がり。温まった身体。
虫は温かいところが大好きだ。
カメムシだって例外ではない。
ブーーーン。ピタッ。
あーーーーーー。
ブーーン。ブーーン。ピタッ。ピタッ。
ブーーン。ピタッ。ブーーン。ピタッ。
ブーーン。ブーーン。ブーーン。
ピタッ。ピタッ。ピタッ。
プチッ。
あぁぁ。踏んじまった。
パクッ。
あぁぁ。口の中に飛び込んできやがった。
振り向いたらブーーーン。
撃退したらブーーーン。
足を振り上げたらブーーーン。
はぁはぁはぁ。
ナチュラルに有酸素運動をする私。
でもな。
「ぜひ!実戦しちゃってください」はないだろ。
しかも「実践」ではなく「実戦」だ。
…いや、待てよ。
なるほど。わかった。
湯治とは戦いなのだ。
戦うことにより、人は健康を保てるということなのだ。
カメムシとの戦いの末に導き出される有酸素運動。
これが、湯治が身体に良い理由なのだ。
不快。いや深い。
実に深い。
そしてこの戦いは、朝まで続くのであった。
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