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72候【花鳥風月】啓蟄の候


虫出しのかみなり響き、土ひら


天地のプラスとマイナスが引かれあう、いかづち、いなずま、いなびかり、かんなり、らいさま、ごろつきと、いろんな呼び名がある雷ですが、立春過ぎて「虫出しの雷」が鳴り響くと、虫もカエルも蛇たちも、多くの生きものが目を覚ます季節がいよいよ到来、という気分が高まります。

地表があたためられ、水が大きくうごきはじめると大気中の寒暖差が激しい流れを生み出して雲をつくり、プラスとマイナスが上下に分かれて雷が発生する、というのは学校で教えられる内容ですが、古人にとって雷雲は、龍が生み出すものでした。

炎を生み風を従え、水を司る龍神さまのご咆哮のような雷を合図に、春を迎える火、風、水、土の四大元素界の精霊たちは、いったいどんな働きをしているのでしょう。

大気や川と同じように土中のなかでも水のうごきが活発になり、微生物やミネラルの交流も盛んになって、その気配は大地全体に伝搬し、足の裏にかすかな振動を伝えてくる日もあると思います。

押したり引いたり、ぶつかったりと、交流が活発になると土元素界の精霊たちもぼやぼやしてはいられません。
シュタイナー曰く、土の精霊グノームたちは地中に住まうものでありながら、地球外のものを示す存在であるといいます。

「あまりに強く土と癒着すると、わしらは蛙の姿になっちまうぜ」と、地中のグノームたちは感じています。

彼らは絶えず両棲類の姿から離れようとし、地球外の宇宙の理念に満たされます。

(グノームたちが)地中にありながら土から離れようとする力によって、上方への植物の成長の方向が与えられます。グノームが植物を本来の大地の姿から離して、上方に成長させるのです。

ルドルフ・シュタイナー「天使たち 妖精たち」

水がゆるんで循環しはじめることで植物たちの芽吹きも活発になりますが、土元素界ではグノームたちの土に対する反発が上昇力になって、植物が天にむかう成長力へ転化されるとは、なんてたいへんなお役目だろうと思います。

「土に癒着すると蛙になっちまうぜ」と戦々恐々のグノームたちは、四六時中、湿った土中に身を置きながら、宇宙理念を0.3秒たりとも忘れないように瞑想している修行僧のようです。

蛙や両棲類は比喩として「創造降下によって小さく小さく細分化された地球の生命種」を意味しており、あまりにも分化されすぎて、宇宙理念を思い出すこともなく、毎日をただ水の確保と目の前にあらわれる食事、排泄行為、天敵から身を守ることに費やし、それ以外のことは考えられなくなっている状態なのかな、と。

蛙になっちまわないように、グノームたちは土のなかにありつつ決して土に同化することはない、「泥中の蓮」極まれりな在りようです。
春の土ひらかれるころに、足裏やお尻にむずりと蠢きの気配を感じたら、グノームたちのエネルギーが上昇気流をつくっているサインかもしれません。
音楽や香りを大気に満たし、天にむかう上昇気流をいっしょに楽しんでみるのも一興かな、と。

魔法使いの弟子のみなさんに警告

王子を蛙に変えるのは大したことではない。
比較的簡単だ。
ご機嫌ななめの課長なら、だれでも毎日やってこなす。
でも、蛙を王子に変える、
これには大いなる芸か力か、
それとも、愛がいる。

ミヒャエル・エンデ「エンデのメモ箱」


肩の力をぬいてのびのびできるキャロル・キング、春に聴きたいお気に入りナチュラル・ウーマンのひとりです。
蛙の変化魔法にかかりそうになったときは解除魔法としてパワープレイしています。



大蛤おおはまぐりの吐息


春の海には蜃気楼がたち、海上に、あるはずのない町をみることもあります。
大気のなかで光が舞い踊り(屈折し)、遠くのものが浮かび上がったり逆さまにみえたりする現象と教わった蜃気楼ですが、学校で教わることはたいてい杓子定規な解釈ひとつ分。
エビデンスありきの偏狭視点だけでは人生、退屈の極みまっしぐらになってしまいます。

蜃気楼の「蜃」は大きなはまぐりのことで、蛤の総大将が春の陽気で大あくびして、吐きだす大気によって楼閣がたつ、と。
そんな伝承もここではないどこかの次元ではあたりまえの話で、わたしたちが逃げ水と呼ぶアスファルトの光は、ユニコーンやアマルテイアが駆けぬけた光の痕跡かもしれません。

伝説やいにしえの物語にはあそび心が満ちており、身近な動植物や天地、海、星へのリスペクトがこめられています。
合意的現実の世界線をとびこえて、(象徴としての)蛙にならない工夫がなされている「ファンタジー」や「おとぎ話」の視点で春の世界に浸ってみると、天空領域の生命存在は意外にも、すぐおとなりを悠々闊歩されているかもしれません。


啓蟄けいちつの候、今年は3月6日から。

蟄虫啓戸すごもりのむしとをひらく-冬籠りをしていた虫が出てくるころ
桃始笑ももはじめてさく-桃の花が咲きはじめるころ
菜虫化蝶ななしちょうとなる-青虫が羽化して蝶になるころ


桃と雷神


72候にある桃始笑ももはじめてさくでは、桃花が咲くことを「笑」と表現したセンスに痺れます。
木偏にきざしと書く桃は、むかしの桃の種子がかんたんに割れたことから、2つに割れることはめでたい兆しと考え「桃」という字が作られたという語源説があります。

漢字の「兆」は元々は象形文字で、「きざし」(兆候)を意味していた。
動物の骨や亀の甲を焼いて占う亀卜(きぼく)の時に、骨や甲に生じる亀裂の形に象り、占いまたはきざしを意味していた。
この亀裂の形によって、「兆」の字が作られた。

ウィキペディアー兆

日本最古の桃の種は、およそ6000年前の縄文遺跡から出土されています。
桃は食用、薬用、観賞用、祭祀にと、はばひろく使用されていた記録がのこっており、とくに平安時代から重用されてきました。
江戸時代の百科事典ともいえる和漢三才図会わかんさんさいずえからは、日本各地で桃の木が栽培されていたことがうかがえます。

種子の桃核とうかく桃仁とうにんと呼ばれる部位は漢方として血行促進に用いられ、花のつぼみは利尿、便秘解消薬になり、桃の葉をつかった桃葉湯とうようとうは、暑気祓いとして日本に古くから伝わる療法です。

古事記によるとイザナギが黄泉比良坂よもつひらさかで、黄泉の国の住人たちであるイザナミ勢に桃の実を投げて退散させたと伝えられ、桃はすっかり霊力のある邪気祓い果実として有名になりました。

桃から逃げた黄泉の国の住人といっても、さまざまいらっしゃると思うのでウィキを見てみますと、

鬼女の黄泉醜女(よもつしこめ。醜女は怪力のある女の意)を使って、逃げるイザナギを追いかけるが、黄泉醜女たちは彼(イザナギ)が投げた葡萄や筍を食べるのに気を取られ、役に立たなかった。

イザナミは代わりに雷神と鬼の軍団・黄泉軍を送りこむが、イザナギは黄泉比良坂まで逃げのび、そこにあった霊力のある桃の実(意富加牟豆美命[おおかむづみのみこと])を投げつけて追手を退ける。

最後にイザナミ自身が追いかけてきたが、イザナギは千引の岩(動かすのに千人力を必要とするような巨石)を黄泉比良坂に置いて道を塞ぐ。

ウィキペディア-黄泉平坂

とありました。
桃で追い払ったのは雷神と鬼軍団で、それをいつの頃からか邪気としたんですね。
果実の中心に大きな核のある桃、その内側に種子が入っていますが、種のまわりの空間は竹の中空とおなじように神の鎮座する場所と考えられていました。

岡山県ホームページ-古代のモモ

神の宿る桃から生まれた桃太郎のお話は、日本民族の英雄ひな型のひとつ。
桃太郎は鬼退治にいってみごと鬼どもを成敗し、たくさんのお宝を手にします。
世界中で勇者の元型となったものたちには、ごろつきの嫌われ者をやっつける武勇伝がもれなくセットになっており、怪物役は勇者が勇者であるためになくてはならない相棒です。
英雄物語は勇者と怪物がいなければ、物語として成立しません。

まさかりかついだ金太郎(坂田金時)には酒呑童子。
ギリシャ神話の勇者テセウスにはミノタウロス。
インド神話の戦士ラーマには羅刹の王ラーヴァナ。
ゲルマン神話のジークフリートには竜。
イングランドの英雄ロビン・フッドには悪政を敷くジョン王。
古代オリエント界の英雄ギルガメシュにはエンキドゥ(2人は戦ったのち互いを認め合い親友になります)。

怪物と勇者は、元はひとつの源から分化したもので、2つに割れたつがいの魂、ゆえに自分が向きあう存在に、いつしかってゆくこともあり、プラスとマイナスに分担して互いの領域を生きているのではないのかと、どのお話を読んでも、感じてしまいます。

雷神の元型は世界中にみられ
シュメール・アッカドのイシュクル、アダド
ウガリットのバアル
ゾロアスターやバラモン、ヒンドゥーのインドラ
ギリシャのゼウス
ローマのユピテル
北欧神話のトールなどなど、
天地を明確に分け、常世と現世の境界線をはっきりさせようと奮起されてきた雷神のお話が伝えられています。

雷はプラスとマイナスに分かれた電荷が互いにむかって放出される一撃ですが、それは天地が分かちがたくつながっている現象とみることもできます。
つながってはいるものの、境界線をきっちりせんことには、天地が割れた甲斐もなし、いつでもゴロピシャドンドンと天地をかき混ぜるような要素は天空側に寄せて、土という固形物や、食物が実る地上世界を登場させたのではないのかな、と。

天地が割れて分極することを「兆」という字に表し、分かれたことによって、ひとつの物語がはじまる舞台がととのう。
兆しや予兆という概念は、そんな風にうまれてきたのかもしれません。

日本では角があり、トラ模様のしましまパンツがコスチュームとして定着し、すっかり鬼と化している雷神さまですが、現代で鬼門とされている丑寅の方角に邪神や悪鬼がいると伝えられてきたことから、牛の角とトラ模様パンツが起用された説があります。
12干支を方位にあてはめると、北東に丑寅うしとら、その対極にあるのは南西の羊申ひつじさるです。

群馬サファリパークさんの記事に桃太郎のお話がありましたので、イラストお借りしました。

群馬サファリパーク-ブログ「鬼と十二支と桃太郎」


桃と雷神(桃太郎と鬼)の組み合わせは、元をたどれば互いを補完する分身で、天地に分かれた兄弟分かもしれません。
より純粋で清浄な成分は桃がわに寄せて、それ以外のすべて、つまり正体不明の闇(シャドウ)で鬼がつくられた、と。
地球という舞台で役割分担したからには、互いの領分をまもって融合・癒着しないように、相手を敵と認識してきたのではないのかな、と。

勇者として地上を闊歩する桃太郎御一行様、天空に追いやられ架空の生物とされた雷神や鬼神さま。
勝ったり負けたりの戦い設定もそろそろ古めかしい。
勧善懲悪に嬉々とするのにも飽きてきたことですし、おとぎ話に新風を吹き込んで、未来の子供たちにあたらしいお話を紡いでゆくのも現代人に託された、たいせつな作業なのではないかしらん。

起承転結から一回り大きなサイクルの「起」につながる、終わりのない物語。
循環する生命、すべてとのつながりを基盤にしたあたらしいひな型。

「物語」というふわりとしたものが、人の心理、つまり社会の基盤になって、歴史という物語を生んできました。
いまに伝えられる世界中の神話や古典文学をもとにして、人工知能に読書感想文を書いてもらったら、喜怒哀楽や、個人的得意分野、好み、プロパガンダに偏らない解説がでまわって、地球社会という枠を客観視する視点が、スタンダードになるのかもしれません。

人工知能と共存してゆく近未来では、人が豊かな感受性と引き換えに記憶合戦に溺れて、ただ「知っている」とか「覚えた」ことで点数づけされる制度もなくなってゆくように思います。

情報を記憶して分類、整理、データ化するのは AIの方が断然得意でしょうし、次の舞台での人類の役割は、対象をみるときの解像度の高さや、大局的で有機的なつながりを想像すること、「常識」「通念」「きまりごと」枠で、考えることに制限がかかっていた分野に疑問を投げかけること(フシギやなぞや違和感の正体を堂々と探求するとか)あたりに集約されていくのではないのかな。

わたしはよく、アーサー・C・クラークの第三の法則を思い起こす。
「十分に進んだテクノロジーは、魔法と区別がつかない」というものだ。J・K・ローリングのハリー・ポッターを、こうした観点から考えてみよう。たんなるおとぎ話かもしれないが、これからほんの数十年先に実在する世の中を、けっこうまともに描いたものかもしれない。

「ポスト・ヒューマン誕生:コンピュータが人類の知性を超えるとき」レイ・カーツワイル

シンギュラリティ(技術的特異点)について語れるほどの知識は持ちあわせていませんが、SNSや書物で流布している情報をひろいあつめて、いまのところ私が思うのは、あいまいなものはすべて「鬼」などの、これまたあいまい存在に背負わせて忌み嫌い、禁忌エリアに蓋をする、というグレイゾーンありきの生活スタイルは「あまりにフェアじゃないよね、うちらいままでどうかしてたんじゃない?」という人が増え、消えていくのではないのかな、と考えています。


太陽は魚座後半です


想像の限りを尽くして、ありったけの純粋さと清浄さを集約した、桃をはじめとするキャラクター存在を、愛でたり味わったりするよろこびは、桃を自分じゃないものと定義しなければ享受できない体験といえましょう。

ことほどさように現代の地球社会は、そんな感じで成り立っているのではないかしらん。
成分比率の差はあれど、桃という奇跡のような果物を創造し、結実させた背景には、桃を桃たらしめたその他すべての、排除された成分というものが存在し、天地のあいだに多様性という妙を生み出したのではないのかな、と。

自然界では雲や霧、大海を象徴とする魚座のころは、桃成分も鬼成分もいちどぜんぶ混ざり合ってしまうようなスポットが、地球のあちこちに出没してくる、みたいな感覚があります。

土の精霊、グノームたちが大勢集まって強烈な上昇気流を生み出しているスポットもあれば、春に開花する花々が天仙界とのきざはしになる香りを漂わせているスポットもありましょう。

魚座のころは天地開闢に必要だった境界線の向こうがわに、精神を広げるチャンスが到来し、こころ遊ばせる「お楽しみ会」が連日開催されているような感じがします。

雲や霧のように境界線は流動的に輪郭をうごかし、とらえどころのないものや、不確かなもの、あいまいなものが混ざり合って、天地無用シールがいっとき剝がされるような。
ユニコーンが地に咲くすみれを食み、虹龍が金盞花の水滴をたしなみ、フェニックスが没薬樹の樹液をついばんでいるような。

魚座的ファンタジーの大盤振舞をとくと味わいつつ、新しい一年の幕が切っておろされる牡羊座のはじまり・春分の日にむけて、笑い、踊り、歌うよろこびに浸るウォーミングアップを、のこりの15日間も存分に楽しんでゆきたいと思います。

Carole King - I Feel the Earth Move (Official Audio)
https://www.youtube.com/watch?v=6913KnbMpHM

☆☆☆

お読みくださりありがとうございました。
こちらにもぜひ遊びにきてください。
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