孤独
元来、私は「孤独」を過度に感じてしまう性分のように思える。
両親や年の離れた兄に愛情を持って育てられ、
学校生活でいじめられることもなく、むしろ気にかけてもらえることが多かったように思う。
時々、
私のことを良いように感じない人もいたけど、
そうした人はかなりの少数で、
これまで19年間を生きてきてとても人の出会いに恵まれている印象を受ける。
それにも関わらず私は「孤独」に苛まれている。
何が私を「孤独」にさせているのか。
ふと思ったのは、
私が自分以外の人間を心から信用できないから「孤独」を感じるのかもしれないということ。
では、
なぜ私は自分以外の人間を心から信用できないのであろうか?
それはずばり自分以外であるからとしか言いようがない。
いま、相手が何を思って何を言おうとしているか、
相手の視線や口調、仕草からなどから表面的に映るものは視界に収めることができる。
だが、相手が心の底で何を思い、何を見えないようにしているか。
見えないものはいくら見ようと試みても見ることができない。
相手が普段、見えなくしているものを私にも共有しない限りは見ることができない。
自分でも何を言っているのか分からなくなってきたところだが、
要は内面が見えない限り、他人のことを信用できないということだ。
だが、内面というものは見えなくて当たり前ではないか?
それはそうだ。
しかし、
あまりにも見えなさすぎる気がしてしまう。
うわべだけの人間関係というのか。
これは私の人間性にも問題があるのかもしれないが、
私が今まで出会ってきた人々のなかでお互いに胸のうちをさらけ出すような関係性になった人が存在しない。
そういった関係性を築ける人が仮にいたとすればそれは「親友」とでも言うのだろうか?
ビジネスライクに近い、
お互いに遠すぎず近すぎない味気のない人間関係を築いた記憶しか私にはない。
なので、どうしても「親友」のような人が存在する人を羨ましく感じてしまう。
自分がいま、こうして抱いてる感情を共有できる、そして共感してくれるような人がいたらどれだけ救われるのだろうか。
新型コロナウイルスによって、一人で考え込むことが多くなったように思える。
そんななか、「孤独」という感情は以前にも増して強くなりなぜ私が「孤独」を感じるのか考えるようになった。
そして、「孤独」を感じないためにどうすれば良いのか以前にも増して考えるようになっている。
自分がいま一つの答えとして導き出したものは、
相手に自分の内面を見せることだ。
おそらく
いままではこれをとても恐れていた自分がいた。
信用することができないから内面を見せることができない。
だが、そうではないのかもしれない。
自分が内面を見せないから相手からも信用されず、
相手も内面を見せてくれない。
自分が心を開けば良いだけのように思えてしまった。
もちろん、誰彼構わず心を開くつもりはない。
自分が心を開いても良いと思える人に対して心を開くつもりだ。
これまでの人生では仲良くなりたいと思っても自分から仲良くなるだなんてことはなかった。
そのため、仲良くなりたいと思った人と仲良くなれた記憶はない。
誰かに恋をして改めて思ったが、友達作りでも自分から仲良くなろうとしないと仲良くなれないことの方が圧倒的に多い。
世の中シャイな人間が多すぎるのだ。
そんなことにも気づかず、
高校までの人間関係をなおざりにしてしまったことを今ではとても後悔している。
どれだけうわべの人間関係を嫌っても、そんなものは環境が変化してしまえば一瞬で消えてしまう。
それをもっと意識していれば良かった。
うわべの人間関係がそもそもなければ胸のうちを打ち明けるような仲になることなんかできもしないのに。
これまでの人生いったい何を思って人と関わってきたのか。
本当に勿体ないことをしたと思う。
ものすごくまとまりも何もなくなってしまったが、孤独を感じるくらいだったらもっと嫌でも人と関わって生きりゃ良かったなという話。
孤独を和らげるには誰かと関わるしかないなって思う。ほんと。
でもきっと、この感覚って「孤独」を味わったことがないと考えないのかもしれない。
一日に家族以外の誰とも話さないような「孤独」を味わったことがないと。
当時は「孤独」を感じていなかったから、そんなことは「普通」だったけれど、いま考えたらあれはとても「孤独」だったなと思う。
人付き合いの重要性に気づいても、なかなかそれを深めることができない現状にはとても憤りを感じる。
でも、そうしたなかでも関係性を深めるためになにができるか。
いま、自分の人生に一番重要な観点だと思っている。
「親友」ほしいな。
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