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「文章を書くときは、ネタの強さに頼るな!」という動画を観た話。

これは、西野亮廣さんの動画のサムネイルに書いてあった言葉です。

私は今まで、この方のコンテンツを頻繁にチェックするわけでもなく、
何か作品を最初から最後まで観たことはありませんでした。

「文章を書くときは、ネタの強さに頼るな!」

しかし、たまたまYouTubeで見つけたこの言葉が物凄く刺さってきました。

「これはnote毎日投稿を続ける者にとって至言になり得るのでは・・・?」と、思えましたので備忘録として残しておきます。

***

ネタを探して、熟考している場合じゃない。

西野さんが仰る結論はこうでした。


「おもしろい話があったから書く」ではダメ。
それをしてると、おもしろい話が日常で起こらない限り発信できないから。

ネタなんてそうそう落ちてないじゃないですか。
毎日毎日100点のエピソードなんて落ちてないですよね。
せいぜい30点くらいのネタしか落ちてないですよね。

なので、大切なのは30点くらいのネタをコーティングして70点くらいにして発信すること。

そのためにはどうすればいいかというと、熟考していてはダメなんですよ。

まず書き始めてみるのが大事。ブログでもなんでもいいから、まずオチなんかみつからなくてもバーって書いちゃう。

それをずっと続けていくうちに、どっかでオチをつけなきゃいけないわけだから、そのときにはじめて訓練になるんですね。

確かに、そうですね。

会社と家の往復だけを週に5日もしていれば、
30点どころか15点くらいのネタしかない日常が当たり前となっています。

その状況でnoteに毎日投稿するのは誰しもができることではないと思います。

それでも頑張って15点のネタをかき集め書き進めてみますが、

「これ、読んでて面白いか?」
「なあんか、読みにくい文章だなあ・・・」

なんて思い、悲観して筆を止めてしまったりもします。
(そしてまた下書きだけが溜まっていく)

正しい文章でなくても、伝わることが大切。

惹きつけられる文章には、”型”にハマっていない場合もあります。

「スキルは気持ちにかなわない」
というような言葉をよく耳にしますが、
まさにそのとおりだと思います。

西野さんはこの点にも言及されていました。


文章の目的は伝えること
じゃないですか。

どれだけおもしろかろうが、どれだけ意味のあることであろうが、伝わらないとまったく意味がないってことですね。

文章もそうだし、言葉もそうですね。
コミュニケーションは伝わらないと意味がない。

ぜったいに見誤っちゃいけないのが、
正しい文章=伝わるではないということ。


例えば、かわいい子を表現する際に自分の童貞感をだしたいと思ったら、「あの子は”カワイ”すぎる」
よりも、
「あの子は”カワイイ”すぎる」
のほうがちょっと童貞感でません?

「カワイすぎる」のほうが表現としてはあってるかもしれないけど、
「カワイイすぎる」のほうがアホっぽくて童貞感をだすっていう目的は達成している。

童貞感をだすってことを目的にするなら「カワイイすぎる」のほうがあってますよね。

言葉の選び方がアンバランスでも、
濃度がある文章って見かけます。

気の利いたボキャブラリーが羅列していても、
なんだか心が踊らない文章もあります。

これが最適解と思える言葉を選び続ける。


書き手が愛されないことには続きが読まれないわけだから、教科書みたいな文章書いたって読む気が失せちゃうんですよね。

そうすると伝わらない。
やっぱり書き手はその時その時でいちばん適した言葉を選び続けなきゃいけないわけです。

じゃあ、どのように言葉を選んでいけばいいのか?

これ答えは、量をこなすしかない。
たくさん文章書くしかないの。

あらゆる側面から最適解と思える言葉を選び続け、
ネタが無くてもひたすら書き続ける。

しかし、もちろんゴールは読み手が楽しめるような展開にする。

だから書き進めた先に、やっぱり懊悩は必要。

それを繰り返すことで実力を伸ばし、「作品」を生み出し続ける。

至極、当たり前だと分かっていたつもりでも、
あらためて言われるとハッとさせられた動画でした。

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