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コインで辿る古代ギリシア・ローマの歴史と文化


古代ギリシア・ローマで発行されたコインの図像をもとに彼らの歴史と文化を辿る。コインという日常の生活で利用されたアイテムから当時の謎を紐解いていく。前7世紀に登場したコインは、その利便性から驚くべきことに2000年以上経った現在でも利用され続けている。それほどの大発明であったということだろう。近年、電子マネーの登場により貨幣経済の形態が変容しつつある。そんな時代だからこそ、貨幣の原点である古代ギリシア・ローマをもう一度振り返ってみたい。


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南部イタリアのブルティウム地方カウロニアで前475〜前425年に発行されたノモス銀貨。ギリシア人による植民都市で、ローマの支配がまだ及んでいない前5世紀の作。鹿とアポロンを表している。両面共に発行都市カウロニアを示す文字VAꓘが示されている。Kは反転しており、文字は右から左にかけて読む。

アポロンが描かれている方はΛVAꓘと刻印されており、カウロニアの「ロ」の音を示すラムダまで記している。アポロンの姿勢はゼウスやアテナなどの神々が投槍を振りかざす際のポーズで、ギリシア芸術で頻繁に見られるスタイルである。カウロニアはシラクサとの戦争で衰退した後、ポエニ戦争で消滅した。

裸で描かれる古代ギリシアの神々

古代ギリシアの神々は、全裸で表現されることが多い。彼らは究極の肉体を持つため、敢えて全裸で描かれた。裸が最も美しいので、衣服を着る必要性がなかった。誰に見られても全く恥ずかしくない究極の肉体だったから、裸でも堂々していた。現代人とは全く異なる古代ギリシア人らしい考え方は興味深い。


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パンフィリア地方のシデで発行されたテトラドラクマ銀貨。ギリシアの女神アテナの肖像を描いている。アテナは馬の毛を飾ったコリントス式兜を装備している。鼻が隠れるのがこの兜の特徴である。実用的な面で言えば、表情を相手に読み取られづらい利点を持つが、視界が悪く音が聞こえにくい難点もある。


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プトレマイオス2世の治世に発行されたエジプトのオボル貨。通常、発行地はアレクサンドリアだが、本貨はシチリア島で発行された。プトレマイオスはヒエロン2世の軍事クーデターを支援するため、シチリアに造幣所を用意した。これらの貨幣はシチリアに派遣されたエジプト軍の兵士の給与として配られた。


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共和政ローマで前82年に発行されたデナリウス銀貨。ローマ本土ではなく、ガリア属州総督ガイウス・ウァレリウス・フラックスにより、ガリア地方マッシリア(現フランス・マルセイユ)駐留基地内で発行された。兵士の給与支払いや物資調達等に利用された。個人の名で発行されたローマ初の軍用貨だった。

本貨の裏面に描かれたローマ軍旗のデザインは、マルクス・アントニウスによりリバイバルされた。彼が前32〜前31年にアクティウムの海戦に向けて発行した軍用貨に同構図のものがデザインされている。ローマ軍の強さと権力を象徴した鷲を象った軍旗で、実際の材質は銅に塗金したものだったと伝えられる。


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共和政ローマで前81年にガイウス・マリウスにより発行されたデナリウス銀貨。セラトゥスと呼ばれるエッジに切れ込みが入った特殊な形状を持つ。偽造防止対策と推測されているが、はっきりした理由は分かっていない。作業工程で負担が大きいのか一時的に製造されたが、すぐに造られなくなってしまった。

タキトゥスの『年代記』によれば、古代ローマには新しい土地で二頭の牡牛を引き周回する習慣があったという。ローマにおいて大地は女神であるから、牡牛と接触させることで豊穣を願う意味合いがあったのだろう。古代ローマの各地名が女性形であるのは、彼らが大地を女神の化身と捉えていたことによる。

マリウス/マリアは古代ローマの平民階級の氏族名で、この氏族から出た最も著名な人物はスッラと敵対したガイウス・マリウスである。本貨発行者の名もガイウス・マリウスだが、同姓同名の別人である。ローマは名前のヴァリエーションが少なく、このような現象が起こる。それゆえ、親の名前も併記した。

本貨で言えば、「C・F」という部分が「ガイウスの息子」の意で、発行者ガイウス・マリウスの父がガイウスという名だったことが分かる。また、ローマでは長男に父と同じ名前を付ける慣習があったので、ガイウス・マリウスが一家の長男であったことも同時に分かる。「S・C」は「元老院決議」の意である。


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共和政期のローマで発行されたデナリウス銀貨。シケリア属州で起こった奴隷反乱の制圧を描いている。軍装したローマ人がシケリア人を押さえ込む構図は、一目でローマの圧倒的な権力を伝える。発行者は反乱の鎮圧にあたった人物の末裔であり、先祖の功績を称えると共に自身の出自をアピールしている。


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共和政ローマで前74年に発行されたデナリウス銀貨。発行担当者はガイウス・ポスティミウス・タティウス。ディアナの胸像、猟犬と槍を表している。同タイプだが型が異なるため、女神の表情などに差異がある。また、前者は磨いた痕跡が見られるが、後者は経年劣化による自然なトーンが付いた状態である。


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結婚を守護する古代ローマの女神ユノーを描いたデナリウス銀貨。彼女は6月を司る女神だった。6月に挙式を挙げるのが理想とされるのは、彼女の加護を受けた月だからである。昨今、コロナ離婚が話題になっているが、そうした障害に負けず、夫婦やカップルたちが末長く円満で幸福であることを願っている。


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ローマ帝国を象徴する狼。狼のような強く気高さを感じられる動物は、栄光のローマにふさわしい。始祖ロムルスは雌狼の下で育った孤児だった。 もちろん雌狼に育てられたというのは隠喩で、娼婦に拾われたことを指している。孤児が溢れたローマでは、娼婦が彼らを引き取り娼館で教育して仕事を与えた。


スピントリナ

表に寝台の男女、裏にローマ数字が刻印されたトークン。古代ローマの娼館で使用されたもので、店舗で受けられるサービス内容を示していると考えられている。だが、調査隊による遺跡での発見報告はなく、出所は全て骨董マーケットに由来する。18世紀以降に偽造され、マーケットに流された可能性が高い。

スピントリアと呼ばれるこれらは、裏の数字がサービス料金を示していると考えられている。神聖な皇帝の肖像を描いた貨幣を娼館で使用するのは無礼と考えられたため、製造されたと推測されている。だが、来歴が不明瞭な時点で疑わしく、誰かが遊びで造ったプライベートコインというのが真相なのだろう。

皇帝の肖像を描いた貨幣を娼館で使用するのは無礼なため、スピントリアが使用されたと推測されているが、娼館や性的な行いが不道徳と考えられるようになったのはキリスト教が浸透した後の世界の思考であり、それこそ現代に生きる私たちの先入観に過ぎず、そもそも古代ローマ人にそのような思想はない。

刻印された数字はサービス料金を示していると推測されているが、同じ図柄に同じ数字が必ずしも刻印されているわけではない。この点に関しては、店舗や娼婦によりサービス料金が異なる可能性もあるので説明がつかないこともないが、現存数が300枚にも満たないなど、当時の娼館の数と全く釣り合わない。

従って、娼館で使用されたトークンという従来の仮説は全く整合性が取れない。これらが娼館用のトークンというのは、まずあり得ないだろう。仮にこれらが当時製造されたものであったとしても、おそらく貴族階級などの裕福な人物が高級娼婦を邸宅に招く際の遊び道具として個人的に造ったものなのだろう。


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前63年はキケロがコンスルを務め、カティリナ弾劾演説を行った。弁護士として活躍した彼の最も著名な演説。この年はカエサル暗殺首謀者カッシウスの弟ルキウス・カッシウスが貨幣発行を担当し、選挙投票の貨幣を発行。彼も兄同様ローマ政界を牛耳るエリートで、カエサルからプロコンスルに任命された。


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ライオンのビガを操るキュベレを描いたデナリウス銀貨。キュベレは小アジアの再生と死の女神で、ローマには共和政期の前203年に流入した。その儀式内容は過激でグロテクスなものだが、彼女はローマで絶大な信仰を集めた。キュベレ神殿では女神に忠誠を誓った宦官たちにより神秘の儀式が執り行われた。


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ガイウス・ユリウス・カエサルが前46年に発行したデナリウス銀貨。スペインで挙兵したポンペイウス軍の残党を討伐するために発行された。制圧したガリア人から奪った盾、兜、動物の頭部を象った装飾のある斧など、武具で組み立てた戦勝記念柱が描かれている。下部にはカエサルの名が刻印されている。


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共和・元老院派による対カエサル戦時緊急発行貨。共和政末期の最高軍司令官メテッルス ・スキピオが発行したデナリウス銀貨である。彼はスキピオ・アフリカヌスの血を引く名門貴族の出身。内戦時は戦象を率いてカエサルに挑むも敗北。その栄光は終焉を迎えた。本貨は消え行くスキピオ家の最期を語る。

表に雷神ユピテルが描かれている。ユピテルはローマの始祖マルスの父で、稲妻で全てを薙ぎ払う恐ろしい男神だった。裏にはスキピオ家のシンボルである戦象が描かれている。スキピオ家がカルタゴとの戦争で勝利し戦象を獲得した功績や、彼らが戦象の扱いを得意としていたことをアピールする意匠である。


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前42年に発行されたデナリウス銀貨。この年はカエサル派と共和・元老院派によるフィリッピの戦いが行われた壮絶な時代だった。これらはクロディウスによりローマ造幣所で発行されたデナリウス銀貨と、ブルートゥスによりマケドニアの陣営内で発行された緊急発行貨である。


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ローマ本土で発行されたデナリウス銀貨がほぼ純銀製であるのに対し、ブルートゥスがマケドニアの陣営内で発行した軍用貨は同じデナリウス銀貨でも銀の純度が97%まで落とされている。ブルートゥスが発行したデナリウス銀貨は自軍の兵士の給与支払いのため、政府の認可を得ず独自に発行したものだった。


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マルクス・アントニウスがアカエア属州アテナイ滞在中に発行したデナリウス銀貨。アントニウスはこの地でオクタウィアとの結婚生活を送った。本貨には鳥占官(アウグル)の装束のアントニウスが描かれている。手には先端が曲がった儀具リトゥウスが握られている。鳥占官は戦勝を占う宗教的役職だった。

この後、アントニウスはオクタウィアを一方的に離縁し、エジプトのクレオパトラとシリアで挙式をあげた。アントニウスはローマ人の妻を捨て、外国の女王の夫となった。その上、ローマの東方属州の一部を勝手にエジプトに譲渡してしまった。ローマ人は彼の不可解な行動に不信感を抱き、排除を望んだ。


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クレオパトラ7世の肖像を描いた貨幣。彼女の治世にリアルタイムで発行された考古遺物である。諸王の女王クレオパトラという称号も刻印されている。シリア・カルキス発行額面不詳AE23mm貨、エジプト・アレクサンドリア発行ディオボル貨・オボル貨・デナリウス貨、キプロス・パフォス発行チャルコン貨。

プルタルコスはクレオパトラ7世がさして美女ではなかったと述べるが、カッシウス・ディオは絶世の美女だったと述べている。困ったことに二人が全く正反対のことを述べている。注意したいのは二人ともクレオパトラが生きていた時代のリアルタイムの人間ではなく、言い伝えを記録したに過ぎない点だ。

発見された当時の貨幣の図像からは、クレオパトラ7世が美女であったか否かは正直よく分からない。そもそも美女の定義というものさえ曖昧であり、個人の主観・嗜好に委ねられる。ただ、共通して鼻の形が鷲鼻のように描かれていることは確かであり、彼女の容姿の特徴を捉える貴重な手がかりにはなる。

カエサルとクレオパトラ

カエサルとクレオパトラはプトレマイオス13世により包囲され、幽閉生活を送った時期があった。カエサリオンはそんな二人の蜜月に誕生したというが、カエサルの直系の子なのかは正直よく分からない。冬が明けるとようやくカエサルの援軍が到着し、反撃を開始した。プトレマイオスは、敗走中に溺死した。
古代エジプトの近親婚文化

古代エジプト人は近親相姦の文化を持つ民族だったと誇張して説明されることがあるが、これは王族に限った例である。また、王族の近親相姦には血の正統性保持と神話の再現という政治・宗教的背景があり、むやみやたらに衝動的に行われたものではなく、計画的且つ支配を円滑にする手立てのひとつだった。
古代エジプト人の歯磨き

大プリニウスによれば、古代エジプト人は小枝を歯ブラシにし、植物の根で作った歯磨き粉を使用していたという。健康を維持するための彼らの知恵だ。だが、古代エジプト人の遺骨を観察すると歯が極端に擦り減っている者が多い。これは彼らが好んだパンに製造過程で細かい砂が混じっていたことによる。
ダムナティオ・メモリアエ

ダムナティオ・メモリアエ(記録抹消刑)は古代ローマの最上級の刑であり、罪人の記録を抹消し、この世に存在しなかったことにする処罰である。古代ローマにおける刑罰として有名だが、古代ローマに始まったことではない。エジプトでもギリシアでも同様のことが行われており、先行例は幾つも存在する。

古代ローマのダムナティオ・メモリアエ(記録抹消刑)の同例が古代エジプトにも存在している。最も著名なものは、トトメス3世がハトシェプスト女王へ行った例だろう。王位継承権を奪われた彼は、女王を憎んでいた。そのため、ハトシェプストの没後に彼女の名を刻んだ記念碑等からその名を削り取った。

古代ローマの帝政後期でダムナティオ・メモリアエの例が減少傾向になるのは、混沌とした時代ゆえに記念碑があまり意味をなさなくなったからだと推測されている。それゆえ、記念碑的役割を担うローマの貨幣も皇帝の肖像から個性がなくなり、似たような肖像、すなわち、記号的な使われ方に変容していく。

古代ローマの帝政後期でダムナティオ・メモリアエの例が減少傾向になるのは、混沌とした時代ゆえに記念碑があまり意味をなさなくなったからだと推測されている。それゆえ、記念碑的役割を担うローマの貨幣も皇帝の肖像から個性がなくなり、似たような肖像、すなわち、記号的な使われ方に変容していく。

トトメス3世がハトシェプスト女王を憎んでおり、ダムナティオ・メモリアエを実行したと長らく推測されてきた。だが、彼が女王を恨んでいた考古学的根拠は一切存在せず、後世の人間の推測に過ぎない。トトメスはその気になれば軍事クーデターを起こせたはずであり、従来の仮説は鵜呑みにできない。

というのも、ハトシェプストの名が削られた記念碑は存在するものの、全くダムナティオ・メモリアエが徹底されていない。二人の仲が本当に憎み合う険悪なものであれば、女王はトトメスに軍司令官の地位を与えたりはしない。そんな危険な権限を与えるのは自殺行為であり、信頼関係がないと成り立たない。

このエジプトの新王国時代第18王朝に行われた例が完全なるダムナティオ・メモリアエと呼べるかは曖昧だが、碑文の一部からハトシェプストの名が削り取られたことで初期のエジプト学者たちが困惑したことは確かである。限定符の規則性が解明されるまで、当初ハトシェプストは男性だと勘違いされていた。


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イエス・キリストがユダヤ人を説教する際に使用したと伝承されるデナリウス銀貨。当時のローマ皇帝ティベリウスと平和の女神パックスの装いをしたリウィアが描かれている。リウィアはティベリウスの母で、前帝アウグストゥスの皇妃。「カエサルのものはカエサルに」というイエスの言葉は著名である。


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アグリッピナの肖像を描いたてテトラドラクマ銀貨。ローマ帝国シリア属州アンティオキア造幣所発行。アグリッピナは暴君ネロの母として、一時はローマ帝国の事実上の最高権力者として君臨した。権力欲や支配欲が強い狡猾な野心家だったが、教養高い優秀な人間だった。彼女の人生がドラマそのものなので数多くの文学や映像作品に取り上げられている。

ユリウス・クラウディウス朝の血縁は美しい容姿を持つことで知られる。初代アウグストゥスは美青年だったことで知られ、彼の姉オクタウィアはローマを代表する美女だった。ゲルマニクスとその息子カリグラも美青年と評判だった。カリグラの妹たちも美女であり、三女リウィッラが特に美しかったという。

ユリウス・クラウディウス朝の皇帝カリグラ、クラウディウス、ネロはアウグストゥスの宿敵アントニウスの血を引く。彼と政略婚したオクタウィアの末裔にあたる。アントニウスはエジプト女王クレオパトラとの間にも子をもうけており、彼にはオクタウィア氏族系統とプトレマイオス氏族系統の末裔がいる。


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クレオパトラ・セレネが処刑を免れ、ローマの属国マウレタニア王国のユバ2世と政略婚していたことは当時発行された貨幣の図像と文字からも確認が取れる。ユバ2世の胸像を表したデナリウス銀貨の反対面にセレネの名の刻印が見られる。また、プリニウスはユバ2世が教養の高い人物だったと記録している。

アントニウスのプトレマイオス氏族系統の血縁はクレオパトラ・セレネが処刑を免れ繋いでいる。セレネがマウレタニアのユバ2世と政略婚し、プトレマイオス・トロメウスとドルシッラをもうけたところまで確認されている。トロメウスはカリグラに殺害されたが、ドルシッラが血を繋いでいる可能性はある。


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ティトゥスの肖像を刻んだデナリウス銀貨。治世期間が短かったため、彼の貨幣は珍しく市場では高額で取引される。エルサレムの屈強な城壁を攻略し、ユダヤの反乱を制圧したローマが誇る指折りの軍司令官である。後に皇帝に即位し賢帝と称えられた。プリニウスの『博物誌』は彼に捧げられた書物である。


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ネルウァの治世に発行されたデュポンディウス貨。彼の肖像を表している。デュポンディウス貨は銅と亜鉛を合金した黄銅貨として紹介されるが、本貨は錫が混ぜられた青銅貨だった。デュポンディウスの素材は、どうやら黄銅だけではなかったようだ。現在、黄銅、青銅、銅鉛、純銅の4種類を確認している。

デュポンディウス貨はアス貨と直径があまり変わらないため区別するのが難しいが、皇帝の肖像に描かれた冠で見分けられる。デュポンディウス貨は鋭い光線を模した太陽冠であるのに対し、アス貨はオークの葉でできた市民冠を戴いている。これは意図して分けられており、当時もこの差で認識したのだろう。


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ローマ帝国の全盛期に君臨したハドリアヌス。トラヤヌスと同じくヒスパニア属州を拠点としたイタリア系有力氏族だった。ギリシア文化に傾倒し、哲学者の装いを模倣して髭を蓄えた。貨幣の肖像を年代順に並べると、彼以降の皇帝は髭を蓄えた姿で描かれている。皇帝は帝国のファッションリーダーだった。

旅を愛し、帝国を巡視した賢帝として知られるが、実際は元老院とコミュニケーションが取れない状態にあったことがローマを離れていた理由だった。彼は即位時に数名の元老院議員を処刑している。帝位継承権を簒奪して不正に即位した可能性があり、殺害された者はその秘密を握っていたのかもしれない。


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ハドリアヌスの皇妃ウィビア・サビナを描いた銀貨。二人は前帝トラヤヌスの妃プロティナの提案で政略婚した。ハドリアヌスとウィビアの間に直系の子はおらず、帝位は側近アントニヌス・ピウスに引き継がれた。彼女はハドリアヌスの帝国巡視の旅にも同行した。ローマ帝国の最盛期に君臨した皇妃である。


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ローマ帝国アラビア属州ボストラ造幣所で112〜114年に発行されたテトラドラクマ銀貨。トラヤヌスの肖像を描いている。アラビア属州は彼の治世に併合されたローマ帝国の属州だった。領域としては、かつてのナバテア王国一帯であり、現在のヨルダン 、シリア、サウジアラビア、シナイ半島に相当する。


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ローマ帝国アラビア属州ボストラ造幣所で112〜114年に発行されたテトラドラクマ銀貨。ペルゲのアルテミス神殿を描いている。ペルゲはパンフィリア地方の都市で現在のトルコに位置した。ペルゲのアルテミスは巨大なレースを装飾した帽子を戴く姿で表現される。本貨にもその特徴がはっきり表されている。

同じアルテミスでも地域によって性質が異なる。少なくとも三種のアルテミスが存在している。ギリシア本土で信仰された処女神としてのアルテミス。それとは正反対の性質の多産を司るエフェソスのアルテミス。ローマの地母神ディアナと習合し、純潔と多産が折衷した母子の守護者としてアルテミスである。

東方のアルテミスは豊穣と多産の女神として信仰され、西方のアルテミスは純潔と処女の女神として信仰されていた。アルテミスという同じ名で呼称されているが、両者は明らかに性質が異なる。だが、どちらにせよ彼女が広域で絶大な人気を誇り、人々の心の拠り所としての役割を果たしていたことは確かだ。

古代ローマでは東方由来の四つの宗教が流行していた。イシス、キュベレ、ミトラス、キリストである。エジプト起源のイシスは船乗りと母子を守護した。キュベレは再生の女神で、ヘレニズム文化を経由して流入したミトラスは軍から特に好まれた武神だった。最終的には、キリスト教に全て淘汰されていく。


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ローマ帝国下モエシア属州マルキアノで198〜217年に発行されたペンタサリオン貨。下モエシア属州は、現在のブルガリアに相当する地域だった。カラカラとその母ユリア・ドムナの向き合う肖像が描かれている。東方属州の共通言語はギリシア語に定められていたため、本貨もギリシア文字で表記されている。


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古代ローマの結婚記念貨。カラカラ帝とプラウティラ妃の結婚を祝したデナリウス銀貨。手を繋ぐ二人の周囲には、ラテン文字で「CONCORDIAE AETERNAE」と刻印されている。これは「永遠の融和」を意味している。末長く夫婦が円満であることを願った銘文である。


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マクリヌスの肖像を描いたデナリウス銀貨。帝政中期のローマ皇帝で、カラカラを暗殺して帝位を簒奪した。マクリヌスのような治世期間が短い皇帝でも、その肖像を刻んだ貨幣が製造され現存している。彼は元老院議員でなく皇帝に即位した最初の人物だった。騎士階級の出身で、親衛隊長官を務めていた。

マクシミヌス・トラクスの肖像を描いたデナリウス銀貨。彼はローマ帝国の軍人皇帝時代の最初の皇帝として区分される。この時代は半世紀に亘って皇帝が慌ただしく入れ替わる混乱期だった。トラクスとは彼がトラキア出身だったことから付けられたあだ名だが、実際はダキア出身だったことが分かっている。

マクリヌスについては、元老院議員のカッシウス・ディオが記録を残している。ディオはマクリヌスが卑しい出自と述べているが、彼の皮肉屋な性格から察するに記録は脚色されている。実際はアフリカ属州カエサリアの裕福な家系の生まれで、法律に精通していたことから文官としてのキャリアを歩んでいた。

法律家としてのキャリアを積み、親衛隊長官まで務めたマクリヌスは、ディオが述べる卑しい人物どころか、実際は文武両道の優れた人物だったと言える。この時代を境に騎士階級が力をより持ち始めるようになり、貴族階級が政界を牛耳る時代は終焉しつつあった。実際、この後に軍人皇帝時代が幕を挙げる。


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フィリップス・アラブスの肖像を描いたテトラドラクマ銀貨。ローマ帝国シリア属州アンティオキア造幣所で発行された。セウェルス朝時代のマクリヌスと同じく文官から親衛隊長官に就任し皇帝に君臨した文武両道のエリートと推測される。アラブスという蔑称の通り、アラビア出身だったことから蔑まれた。

フィリップス・アラブスの治世にローマ帝国は建国から1000年を迎えた。記念祭事がローマ市内で行われ、都市は人々の活気で溢れたが、帝国の財政は厳しく、諸外国からの民族侵入に苦しむ厳しい時代だった。先代が獲得した属州も一部が失われていた。帝国の支配力は低迷しており、皇帝は頭を抱えていた。

ローマ軍の花形プラエトリアニ

ローマ帝国で花形の軍団はプラエトリアニだった。皇帝護衛部隊で、皇帝が自ら遠征に参加しない限りは安全なローマ市での内地勤務だった。給与も他の軍団とは比べものにならないほど良かった。だが、属州や国境線で頻繁に交戦している軍団兵と異なり、ほとんど戦わないため、実戦経験がなく貧弱だった。

帝都ローマの常駐兵は5000人ほどだったため、攻め入られるとかなり危険な状態にあった。加えてローマ市の内地勤務兵は実戦経験が浅い。そのため、各属州及び国境線に配置された駐留基地で脅威は全てを食い止める必要があった。ローマ帝国は意外にも、中央がスカスカなドーナツ状の防衛分布をしていた。


コインという物資的な安心感が好きだ。陶器や石、貝や茶葉など、コインには様々な材質が存在するが、基本的には金属でできている。あの重厚感は、手にした時になぜか安堵感を与える。だが、コインも近年の電子マネー化の流れの中で、いずれは廃れ、発行されなくなってしまうのだろうか。なぜなら、偉大なる古代ギリシア・ローマ文明でさえ歴史の流れの中で息途絶え、現在ではその多くが失われ、忘れ去られてしまったからだ。そんなふうに思うと、すごく寂しさがある。だが、コインという彼らが遺したアイテムは現在に引き継がれ、その文化・制度は今でも残っている。どれだけ電子マネー化が進んでも、人類はコインという物質的安堵感から、その発行をし続けるのか。それとも、次第にやめていってしまうのか。たとえ結果がどうであれ、コインの登場が人類に与えた影響は絶大であり、これを超える大発見はこれから先もそう多くはないだろう。電子マネーもコインの発展形態のひとつであり、貨幣・資産という概念が人間から消えるわけではないのだから。


Shelk 詩瑠久🦋




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