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幽霊なんてただの自然現象?「ドビンソン漂流記」『ユーレイなんて怖くない!』/しかしユーレイはいない⑥

夏。かつては、お盆の時期になると、真っ昼間のワイドショーなんかでも、本当に会った怖い話、みたいなコーナーがあったりして、「怪談」や「心霊現象」はとても身近な存在だった。

僕が住んでいた田舎では、夜ともなれば家の電気を消してしまうと本当の暗闇が広がっていて、不気味といったらなかったので、その意味でも「幽霊」がすぐ身近にいるものだと思っていた。

実際には「ほとんど」霊的なものは目撃していないが、それでもゾワゾワと鳥肌が立つような怖さ、恐怖を感じたことは二度や三度ではきかなかったように思う。


藤子作品では、あらゆるタイトルで「幽霊」をテーマとしたい話が描かれている。一つの理由としては、子供の世界ではユーレイが、極めて身近な恐怖だったことがある。それともう一つ、藤子作品は月刊誌での連載が多かったので、夏の号のテーマとして「幽霊」がうってつけであったことも理由となる。

ただ、実際のところ膨大な藤子作品の「幽霊」に関するエピソードで、本当の幽霊が出てくることは極めてまれである。「幽霊がいるのでは・・・」と話を展開させていき、結局幽霊はニセモノだった、というようなオチになりがちなのである。

藤子先生は、インタビューでも幽霊の存在はあまり信じていないようなことをおっしゃっていて、そうした思想が背景にあるように思う。僕はこうした「反幽霊もの」を「しかしユーレイはいない」と括った呼び名にしているが、このテーマの類似作品が数多く存在しているのだ。


二年前の夏に、そうした「しかしユーレイはいない」について、5本の記事を書いている。取りあげた作品としては、「ドラえもん」「オバケのQ太郎」「ウメ星デンカ」「パーマン」「エスパー魔美」とそうそうたるラインナップが並んでいる。

しかしながら、「しかしユーレイはいない」ジャンルは、他のマイナーな作品でも描かれており、各種見所のある様々なパターンがあったりして、かねてから記事にしておきたいと考えていた。

そこで今回、二年前の続編として、「しかしユーレイはいない」作品をさらに4本記事にしていく。正直ビュー数が伸びないタイプの作品ばかりであることは覚悟の上。しかしながら、これを僕が記事にしないで誰がするという思いで、着手する次第である。


これまでの5本の記事は以下。特に1本目の「ドラえもん」の記事は、藤子作品における幽霊の扱われ方の考察をしていますので、是非ともご覧下さいませ。


それでは二年ぶりのシリーズ再開。今回取り上げる作品は「ドビンソン漂流記」である。

え、何その作品?と思った方! ブラウザバックはお控え下さい。まずは「ドビンソン漂流記」とは何ぞやというところから書き進めます。

まずは詳細な作品解説を行っている下記の記事をご一読オススメします。


主人公はポッド星人のドビンソン。家族から離れて一人で宇宙旅行に出ている間に事故に遭い、地球に漂流し、地球人の少年マサルの家に居候することになる。ポッド星は高度な科学技術を要しており、ドビンソンは自ら「ドラえもん」の道具のような便利な機械を作ってしまう。

相棒はUFOタイプのロボット、ロボート。ドビンソンの話し相手になるだけでなく、空も飛べる便利な相棒である。ただし、事故によって故障だらけになってしまったようだが・・。

ドビンソンからすると地球での生活は「漂流」であり、早く救助の手が差し伸べられないか待っている。まだ子供なので親に会いたいとホームシックになることもあるが、普段は前向きに漂流生活を充実させようとしている。


そんな『ドビンソン漂流記』から、ユーレイが現れた!?というエピソードを見ていきたい。

「ドビンソン漂流記」『ユーレイなんて怖くない!』
「こどもの光」1972年7月号

ドビンソンは地球に漂着してから欠かさず日記をつけている。それが「ドビンソン漂流記」である。いずれ救助されて学校の宿題として提出しようと考えている。

本日は7月13日、地球漂流から560日目。この日もまた、夜中に目を覚ますドビンソン。いつものように屋根に出て、救いの円盤が現れないかと思い、夜空を見上げる。が、今夜もその姿はない。

すると少し離れた家の周りで、青白い火がユラユラと揺れている。ドビンソンは気になって様子を見に行こうとする。するとトイレに起きてきたマサルがどこへ行くのかと尋ねると、空き地の向こうと答える。

マサルによれば、そこはずっと空き家で、ゆうれい屋敷というあだ名が付けられているという。ドビンソンはひとだまが動いていたが、「ゆうれい屋敷なら不思議はないや」と、不思議な興味の失い方をする。

逆にゆうれいの存在を仄めかされて、マサルはビビり、トイレにも行かずに布団に潜り込む。そして翌朝、まんまとおねしょをしてしまうのであった。

思い返すと、子供のころには幽霊屋敷と呼ばれるようなボロボロの空き家がそこかしこにあり、恐怖の対象であった。実際に人だまは見たことないが、出てもおかしくない不気味な家があったものだ。たいてい、ここの住人は首吊って死んだとか、そういう嫌な噂とワンセットだったから、恐怖も倍増したのである。


さて、マサルは友だちを集めて幽霊の話題を振ると、存在する/しないで意見は真っ二つ。するとこの世界のガキ大将である源二が「確かめればいいんだ」と正論をぶち込み、今夜あの家を探検しようと言い出す。

本当は幽霊が怖い子供たちは、源二の提案に対して内心ビビり出すものの、外面としては「怖くないや」などと虚勢を張るものだから、結局夜9時半集合ということになってしまう。

マサルも「迷信に決まっている、大勢で行くんだから怖くない」と、明らかに無理をしている様子。ドビンソンに対して「一緒に連れてってやる」と誘うのだが、それに対して「珍しくない、幽霊なんてただの自然現象じゃないか」とあっさりと幽霊を肯定する。

ドビンソンの社会では幽霊は人工的に作り出せるものなので、全く怖い存在ではないというのである。これは科学的説明に基づき、はっきりと幽霊が存在するということになる。

マサルは幽霊は自然現象として存在することを知り、行くのを止めたくなるのだが、皆に笑われるのもシャクということで、約束通りゆうれい屋敷へと向かうことに。


マサルは友人たちに声をかけていくのだが、「宿題が溜まっている」、「いないとわかっているのにバカバカしい」などと断られていき、結局集合場所に集ったのは、源二と二人だけ。

源二はガキ大将ということもあり、「ちっとも怖くない」と胸を張る。ところが、実際にゆうれい屋敷の敷地内に入り、目の前から光に照らされると、それをひとだまだと思い込んで「でたァ」と大声を出して逃げ出してしまう。彼もまた、虚勢人間であったのだ。


マサルたちを照らした光とは、とある友だちの懐中電灯であった。彼は「幽霊なんて迷信だ」と主張していた頭の良さそうな男の子で、科学的に調査をするべく、単独でやってきたのである。

この科学少年は「ドビンソン漂流記」初登場で、この後もう一回だけ登場するが名前が明らかになっていない。藤子A作品に出てきそうな風貌なので、ここではA君ということで表記していきたい。


A君は度胸も据わっていて、ひとだまが目の前に現れても、「ひとだまの正体はホタルか電球か地中のリンか空中のガスが燃えているんだ」と解説し、平然とそれを掴まえようとする。(が、消えてしまう)

ゆうれいの正体を明らかにするべく、温度計やテープレコーダーや赤外線フィルム入りのカメラなどを持ち込んでいる。A君曰く、幽霊の話はたいていインチキで、そのほとんどは見間違いや神経の働きが狂ってを見ているだけだと言う。

すると、ここで心霊現象が発動。吊るしておいた懐中電灯が不自然に点滅し、白い布を被ったタイプの幽霊がヒュ~と出現する。フンギャアと叫ぶマサルに対して、A君は「記録するんだっ」と言ってテープレコーダーのスイッチを入れ、カメラで幽霊を撮影する。

暗がりに進む幽霊に「こっち向いてよ」と追っていくのだが、その姿は消えてしまう。マサルは、先ほどのA君の話を踏まえて、「今のは見間違いか幻か」と問うと、「そのどっちでもない」と見解を述べる。

A曰く、これは脅しではないかと言うのだ。例えば、この家に住みついた何者かが、人を寄せ付けないために作り物のオバケで脅かしているのではないかと。

実はここでA君が語った「幽霊の真実」は、以前の記事で紹介した「パーマン」の『別荘のユーレイ』や、「ウメ星デンカ」の『出た出たオバケが』がなどで使われている。


この屋敷には秘密がある。そう睨んだA君はマサルとともに、家の中を見て回る。いかにも怪しい部屋に入ると、先ほどの白いオバケがヌウと目の前に飛び出してくる。

A君は「きれを被っているんだ」と言って、幽霊の足を確認するが、ない。「天井から糸で吊るしているのか」と長い棒で探るが、糸もない。・・・ということは、これは本物のおばけ・・・?

A君は、科学的・論理的な人間なので、目の前のユーレイが論理的にニセモノでないとなると、それは間違いなく本物だという結論となる。たまらず「イヤ~ン」と逃げ出す二人だが、幽霊に捕まえられてしまう。腕力のあるユーレイなのである。


その頃ドビンソン。彼はまた家の屋根に出て救助の円盤が来ないか、ぼんやりと夜空を眺めている。するとUFOが飛んでいるのが見え、「星連警察パトロールの円盤だ!!」と叫んで、その先へ向かう。

そのパトロールの一人と思しき男が、バズンと光線銃を放ち、マサルとA君を捕まえていた幽霊を撃ち抜く。倒された幽霊は徐々に宇宙人の姿に変貌していく。警察官の話によると、宇宙密輸団の首領バゲールが幽霊に変身していたという。

バゲールは逮捕され、「こんな宇宙の果てまで追ってくるとか」と嘆く。このセリフから、やはり地球は辺境の地にある星であるようだ。ドビンソンがなかなか見つけてもらえないわけである。

バゲールの乗ってきた円盤は既に焼き捨てられており、バゲールはパトロールの円盤に連行されて、そのまま空へと飛んで行く。

ここでようやくドビンソンが「乗せてってえ」と走ってくるのだが、あと一歩遅かった。幽霊なんてバカバカしいなどと放置せずに、一緒にマサルとゆうれい屋敷に付いてきていたら、パトロールの円盤で帰れたかもしれない。悲しき結果論である。


本作において、A君が指摘した幽霊デタラメ説は、藤子先生の真っ当な幽霊に対する考えの反映でもある。

そんな彼は科学的に幽霊を調査して、目の前の幽霊は本物だと結論付ける。ここで、非科学的なものを認めたA君を科学的ではないとしてはいけない。科学的な姿勢があったからこそ、逆説的に幽霊を本物と判断できたのである。

こうした「正しい科学的態度」もまた、非常に藤子F的と言えるだろう。そして、実際には、幽霊はニセモノであった。A君の理解の及ばない科学力で幽霊に変身していたのである。

このお話から読み取れるのは、科学の進展によって、未解明の超常現象も真相が明らかになっていく、という藤子先生の科学的態度ではないだろうか。




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