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「ドビンソン漂流記」第一話『S・O・Sきんきゅう着陸』完全解説!/藤子Fのロビンソン漂流記⑤

「ロビンソン漂流記」からインスパイアされた作品をこれまで4本の記事で紹介してきた。どの作品も、いつもは日常のいる少年(+オバケ)たちが、非日常である「漂流生活」に憧れる様子がありありと描かれていた。

彼らは誰にも頼れない無人島という環境の中で、困難に立ち向かう冷静な判断力だったり、溢れる生命力を発揮したくなったのである。しかし、すべからく挫折に終わった。ロビンソン・クルーソーのようになるのは、一筋縄ではいかないのだ。


さてこのシリーズラストとして、藤子先生の隠れた名作「ドビンソン漂流記」を紹介して、締めとしたい。

本作は、藤子先生の愛読書だった「ロビンソン漂流記」の主人公を宇宙人にして、地球に「漂流」してくる設定とした作品である。タイプとしては、「オバQ」や「ドラえもん」の異世界キャラ定着型となっているが、ギャップを感じるのが宇宙人側という点が少しユニークである。

本稿では簡単な概要とともに、第一話の完全解説を行いたい。


「ドビンソン漂流記」
「こどもの光」1971年1月号~1972年12月号

「ドビンソン漂流記」は、家の光協会という農協(JA)グループの出版や文化部門を担う一般社団法人が発行する「こどもの光」にて連載された作品。2年間で計24作品が発表された。

「こどもの光」は、1965年から3年間、藤子A先生との合作「名犬タンタン」を連載しており、本作はその第2弾となる。ただ、前作の付き合いで本作が描かれたかと思いきや、藤子・F・不二雄大全集巻末の村谷直道元編集長の解説では、それを知らずにオファーに行ったとされる。本当にそんなことがあるのだろうか??

なお、同誌では、本作の連載終了から1年4カ月後に「キテレツ大百科」が連載を開始している。こちらは村谷氏の縁での発注だろう。


本作のように宇宙人が「漂流」してくる話として、「ウメ星デンカ」がある。連載期間は被ってはいないが、「ウメ星デンカ」終了後一年で本作が発表されている点も触れておきたい。

「ウメ星デンカ」は「幼稚園」から「小学四年生」までの幼児~低学年向けの雑誌での連載だったが、本作が掲載された「こどもの光」の対象読者は小学生の中高学年ということなので、読者層を踏まえたテーマに深めているように思う。

デンカたちは家族で漂流してくるが、本作のドビンソンはほぼ単身で地球に流れ着く。主人公の孤独さが違うので、同じようなドタバタコメディとしても、家族と会いたいという切実さが時おり胸に迫るのである。


では、せっかくなので、初回のストーリーを追いながら、「ロビンソン漂流記」の魅力に迫ってみよう。


「ドビンソン漂流記」『S・O・S きんきゅう着陸』
「こどもの光」1971年1月号

冒頭1ページ目。いきなり宇宙船の大爆発から幕を開ける。深刻な事態だが、どこか淡々としたモノローグが被さる。

「あっと言う間の出来事だった。小暗黒星が僕の乗っていた客船をこなごなに砕いたのだ。他の人たちがどうなったかは知らない。手近のロボートで逃げ出すのがやっとだった」

ロボートとは、ロボットボートのこと。ロボットであり、ボート(乗り物)でもある。主人公となる宇宙人が、ロボートの中でSOSを発信する。「助けに来て!」と。

ところがこのロボート、今回の事故のせいなのか、単なる整備不良なのかわからないが、色々と故障だらけ。(後に整備不良だったことが判明)

通信機、航宙図(航海図のようなもの?)、惑星探知機など全て壊れている。宇宙人は、宇宙の果てでSOSも出せなければ、手近の星にも降りられない。弱る宇宙人。


ここで、ロビンソン・クルーソーのように、冷静さを取り戻す

「ここで希望を失っては駄目なんだ! 救いの手はきっと来る。それまで頑張るんだ。ドビンソン」

宇宙人の名前がドビンソンで、子供であることがはっきりとわかる。


元気を出そうということで、ロボートに合成食べ物を出すよう指示するが、合成機も故障中という・・。ここでドビンソンの堪忍袋の緒が切れる。

ロボートで言い争いとなるが、その瞬間、ある星の引力圏に入ってしまい、引き寄せられてしまう。ブレーキも故障中ということで、スピードを増しながら、星の地面へと大激突してしまう!

何とか無事の宇宙人。あたりは真っ暗で埃っぽい。狭く洞窟のようだ。出口を探すと、落ちてきた天井部分から明かりが差している。よじ登ると、そこはどこかの家での屋根で、朝日が昇ったばかりのようだ。


宇宙人は落ちた家を見て「これは動物の巣らしいぞ」と感心する。どう見ても人間の家だが、ここを動物の巣と表現している点がポイントだ。ドビンソンの文明レベルが相当高いことを意味するからである。

余裕を取り戻したドビンソンは「頭の良い動物が住んでいるはずで、飼いならせば家畜になるかもしれない」と語る。そして、しばらくこの星で暮らすのだから、色々研究して冬休みの宿題にしようと思いつく。

宇宙人はロボートにレコーダーのマイクを出させると、おもむろに吹き込んでいく(レコーダーは故障中ではなかったようだ)。

「漂流第一日、無人星を発見!ただちに着陸した。この星をドビンソン星と名付ける」


ドビンソンは、家の中の探検を始める。木と泥でできた原始的な巣だと表現し、ロボートも「ホントダ」と返している。そして、家を「魔境」扱いして天井裏から二階、一階へと降りていく。

ここまでで分かることは、
①宇宙人の名は「ドビンソン」であること
②冬休みの宿題目的で、ドビンソン漂流記がこれから記録されていくということ
③無人星と言っているので、家のような環境があっても動物しか住んでいないと思い込んでいること
である。なお、ドビンソンはポッド星という星の宇宙人なのだが、星の名前は第二話で明らかとなる。

始まって約5ページだが、高度な文明人であるドビンソンと、動物扱いされる人間とのギャップを描くコメディ作品ということが明らかとなる出だしとなっている。


さてここで、この家に住む家族たちが姿を現わす。

本作は「一月号」掲載ということもあり、この日は元旦であるようだ。「今年もいい年であるように」と、おせち料理を囲む父親と母親と少年の3人家族。この時点では名前が明らかになっていないが、少年の名はマサルである。

ドビンソンは人間を見て、「人間そっくり」と驚く。見た目は人間だが、暮らしぶりが人間とは思えない、という意味合いであろう。


ドビンソンは地球人研究を始める。ロボートに「標本を採集しろ」と言って、食卓からこっそり鍋を奪い取る。そしてさっそく味見するのだが・・

「うまい!研究の結果、人間にも食べられることがわかった」

と言いつつ、ペロリと鍋の中身を食べてしまう。まあ、人間の食べ物なので当然なのだが・・。そしてなぜかロボートまでも、「ボクニモ研究サセロ」と食べたそうな表情を浮かべる。食事するタイプのロボットなのだろうか?

そこで、もっと研究しようと言って、ロボートが長い手を伸ばしておせちのお重を奪取する。食卓の真ん中に置いてあるお重なのだが、なぜかロボートの手を目撃したのはパパだけ。一人驚きふためくが、ママからは「ノイローゼじゃないですか」と諭されて終わる。なかなかのお惚け一家である。


気を取り直して、パパはマサルにお年玉を渡す。「大事にするんだよ」と言われているのを聞いて、大事なものらしいと知ったドビンソンはお年玉袋も「採集」してしまう。突然、手にしていたお年玉が無くなって騒ぎ出すマサル。

なお、この時点でドビンソンはマサルたちの会話を聞き取っている。最初から日本語が理解できているのである。ドビンソンの持ち物に通訳機能が備わっているのかなど、連載中ではその点は明らかにはされなかった。


お年玉袋から千円札を取り出すドビンソン。食べ物かと思いお札をかじってしまうのだが、案の定「まずい」と言って吐き出す。そして、その姿をママに目撃され、「キャー」と悲鳴が上がる。

何者かがいると知ったマサル一家。「捕まえてむしっちゃえ」と意気込まれているのを聞いて、震えあがるドビンソンとロボートは、

「捕まったら命がないのである。恐るべき猛獣である」

とレコーダーに吹き込んで逃げ出す。ここから、しばしの対決の始まりである。


マサルにバットで襲い掛かってこられるが、口をヤカン口にして熱風を浴びせる。ところがママにホウキで殴られ、「この動物はメスの方が荒っぽい」と逃げ回る。部屋に逃げ込み、こたつの中に潜り込んで身を隠すドビンソンたち。

こたつの中なので暑いわけだが、何とか我慢していると、家族がこたつに足を入れてきて、パパかマサルが「BOM」とオナラを発射する。「毒ガスだア」と堪らずこたつから脱出するドビンソン。


ここに至って、ようやく二つの文明がきちんと向き合うこととなる。ドビンソンが宇宙人だと聞いて驚くマサルたちに対して、ドビンソンは、マサルたちが人間だと知ってこちらも驚愕する。

そして、マサルたちは人間か人間ではないかで押し問答が始まる。
①人間は言葉を話す →ポッド星にはカバガラスという話す鳥がいる
②火も使える →ポッド星にはミドリブタが火祭りをする
③電気や原子力も使っている →電気ミミズや原子ムカデがいる


マサルは露骨に見下されたので、「憎たらしいやこのチビ」と腹を立てる。優しいパパは、「まあそのうちわかるだろう」と矛を収め、助けが来るまで家にいてもいいと提案する。

ところが、それを聞いたドビンソンはレコーダーに、

「親切な動物である。人間みたいである」

と吹き込むのであった。


さらにラストでは、マサルがドビンソンを友だちに可哀想なヤツなんだと紹介し、「友情のしるしだ」と言って励ましの握手をされるのだが、

「前足を握るのが友情のしるしである」

とレコーダーに記録し、大いなる怒りを買ってしまうのであった。


本作はドビンソンが人間を動物扱いすることでのギャグ篇となっているのだが、実はなかなか奥深いテーマも隠されている。

それは、人間と動物を分ける境界線とは何か、という論点である。話す、道具を使うでは区別できないとした場合、何をもって人間と定義付けするのだろうか?

このテーマをハードに描いたのが、SF短編の代表作『ミノタウロスの皿』である。本作の約一年前に発表されている。このあたりの詳細を語っているので、是非こちらの記事も参照してみてください。


「ドビンソン漂流記」は、一話当たりのページ数も多く、読み応え十分の作品ばかり。今回は初回しか紹介できなかったが、今後折を見て他の作品も取り上げたいと思う。

これまで一本だけ記事にしているので、こちらも是非に。



藤子作品の隠れた名作もたくさん紹介しています。


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