勝ち残りゲームは終わらない。『武蔵野の先人たち』/「T・Pぼん」で学ぶ日本③
藤子F先生渾身の歴史エンタテインメント「T・Pぼん」。全部で35作描かれたが、その舞台は古代ローマ時代、ピラミッド時代、アメリカ開拓時代、そして日本の平安時代と、古今東西の隅々まで広がっている。
「T・Pぼん」創作の根っこには、自分の好きな時代を漫画にしたいという強い欲求を感じる。その一方で、テーマをつぶさに見ていくと、人間の暗部を映し出す辛い歴史の一場面もしっかりと描いている。歴史を愛する作家だからこそ、「これを描かねばならない」という覚悟を感じるのだ。
日本をメインの舞台とした作品は全部で5作ある。それらもまた、単純にF先生の興味を優先した作品ばかりではない。戦争の悲劇だったり、自然の脅威だったりと、負の歴史にも取り組もうという意識が見て取れる。
これまで4作を記事にしてきた。以下に列挙したのでもしお時間あれば是非ご一読下さい。
さて、今回の舞台は弥生時代の東国。あまり大きな事件が起こらないお話だと思いきや、ラストでは「私たち人類は歴史から学ぶべきことがある」という藤子先生の強いメッセージが出現する。そんな力強い一作となっている。
今回の舞台となるのは1600年前(4~5世紀)の東京。その頃はムザシと呼ばれており、後に武蔵国となる。なお、ムザシの起源は諸説あってはっきりとはしないという。
武蔵野と呼ばれる地域は広大で、現在の埼玉県全域と東京都の大部分、そして川崎や横浜あたりまで及ぶ。現在も武蔵野線というJRの路線があるが、東京からスタートして、船橋から北上し埼玉県の中央をぶった切って東京の多摩地区まで伸びている。広大な武蔵野を象徴する路線である。
4世紀~5世紀とはどんな時代だったのか。
古代史ファンなら有名だが、4世紀は空白の時代と言われている。当時の日本(倭)を知るためには、中国の歴史書を読み解かなくてはならないが、この時代の「倭」に関する記述が見つかっていないのだ。
そうなると遺跡から生活・文化・政治の状況を読み取らなくてはならい。この時代は大型古墳が次々と建設された時代だが、多くの陵墓は調査対象外となっていて、詳しいことがわかっていない。
武器や馬具が発見されていることから、各地で争いごとがあったことは予測されている。また竪穴式住居などの遺跡から、当時の農耕が発達していく様も理解が進んでいる。
こうした地道な研究の成果として、当時の空白の時代が少しずつ明らかになってきているのだ。
ただし、逆を言えば、まだまだ余白は多く残されている。どのように大和政権が強大となったのか、他の豪族に対しての権威を獲得していったのか。そういう明らかではない部分が、まだまだこの時代にはあって、作家たちの創作魂と呼び起こしたりする。
歴史大好き・考えること大好きの藤子先生も当然創作意欲が掻き立てられる。本作は、この「空白の時代」を藤子先生なりの考察を加えて、物語化させている。
開発が進むぼんの住む町。丘は削られ住宅地となり、川は歩道の下の暗渠(あんきょ)となり、蛍は姿を消した。
今回の任務は、ぼんやユミ子(ぼんの助手)の住む町・・東京の、1600年前の一人の旅人を救い出すこと。
任務自体は簡単なものだが、今回の作戦は古代人になり切って、衣食住を体験し、旅人を向かい受けるというもの。たった一人を救うには大掛かりだが、その落差が「T・Pぼん」の魅力だったりする。
ぼんたちは、貫頭衣に身を包み、「瞬間増毛剤」で髪を結わえる長さにする。「圧縮学習」でこの時代の言語や習慣を身につける。住居は特殊なビニールで作られたインスタントモデルハウスを使って準備万端。
なお、貫頭衣の下には下着着用は厳禁ということで、ユミ子は一度素っ裸になって着替えることに・・・。
今回の救助対象の旅人は、何か曰くありげな人物だ。大勢の武装した男たちに追われている。男たちはムザシに国のヤツに違いないと会話をしている。彼らはチチブの人間であるようで、ムザシの国を警戒しているようだ。
旅人は弓で討たれてしまうが、ホログラムでムザシの軍勢を映し出して追手を追い返し、トドメを刺されずに済んだ。そして、旅人が体力を回復させ、安全に旅立つまで古代人の暮らしを体験することに。
ここで、旅人が襲われていた要因について、ぼんが広い視野で解説をする。(圧縮学習の効果である)
この手順を日本の歴史に当てはめる。
武蔵野台地を囲む一帯も、地方豪族たちによるいざこざが絶えなかった。土地はこの頃から不足していたのだ。
そしてこの旅人は、隣国のスパイと勘違いされたのだと、ぼんはまとめる。
なお、日本に農耕が伝わった部分については、「エスパー魔美」でも一度テーマとした作品が存在する。記事はこちらですので、お時間あれば参照下さい。
ユミ子が圧縮学習で覚えた古代人のご馳走を作る。
現代人のぼんたちにはそれほど美味しく感じられないが、古代人である旅人はガツガツと食べて、元気を取り戻す。
旅人の名前はヤタヒコ。遠い西の国から、あてもなく旅をしてきたという。ぼんは、この時代は狭い生活圏で一生を過ごすのが普通で、旅行などする古代人はいないはずだとコメントする。このあたり、深掘りをしなかったのは落ち度だったかもしれない。
そこから数日、ヤタヒコと一緒に古代人の生活を楽しむ二人。ただ、ヤタヒコは好奇心の強い男で、何かと二人に質問してくる。古代のムザシの人間ではないが、圧縮学習での内容を駆使して、適切に答えていく。
・このあたりの王は誰か
・国力はどの程度か
・気候はどうか
ただの旅人ではないと二人は察知するが、彼が何者であれ、無事に返せば任務は終了である。・・・そしてその日はやってくる。
一度現代へと帰還するが、永久に腐らない材質のモデルハウスを置き忘れてきて、歴史を変えてしまうところだったので、再度古代へと舞い戻る二人。
この時、ぼんだけで戻れば良さそうなものだが、T・Pは必ず二人で行動する決まりだということが明かされる。少し前の話でぼんが正隊員に昇格して一人で行動していたので、この設定については少々荒を感じるところではある。
せっかくまた来たので、今度は村の様子を見物することに。多摩丘陵地帯に飛んでいくと、少し大きめの村がある。その王の前では、なんと逃がしたばかりのヤタヒコが捕らえれれて、拷問を受けている。このムナザシの国を探りにきたチチブの国のスパイだと疑われているのだ。
ヤタヒコは「神かけて」スパイではないと口にしたので、「クガタチ」という神の裁きを受けさせることになる。ただし裁きと言っても、拷問と死刑を一緒にしたような裁判だったようだ。
熱湯を釜の中に準備し、その中に勾玉を投げ入れる。これを素手で拾えというのが、ムナザシのクガタチであるようだ。もちろん、通常の人間では熱湯で死んでしまう。
大ピンチの状況で、ぼんとユミ子がその場に乗り込む。神の使者だと名乗ってムナザシの言っていることは本当だと伝えるのだが、完全に出鱈目だと思われてしまう。そこでユミ子は一計を案じる。
グツグツしている釜の中にザブーンと入ってしまうのだ。しかも平然とした様子で、「ぬるい」と伝える。人間離れした技に、驚愕して神の使いだと信じ込む王様たち。
ユミ子たちの制服はバリヤーが貼ってあるので、この程度の熱ではビクともしなかったのである。
晴れてヤタヒコは解放される。神様だと崇められるが、「フォゲッター」という忘却装置を付けていたので、しばらくしてそのことを忘れてしまう。
では、ムナザシとチチブの戦いはどうなったのか。その一年後に飛ぶ二人。すると、何千何万という軍勢がムナザシの国を攻め立てている。彼らは西国の大国の軍勢であった。そして指揮を執るのはヤタヒコ。彼は大国の将軍であったのだ。
ヤタヒコは自分たちは「大王」の配下で、自分たちは聖戦だと鼓舞している。これはつまり、大和王朝をイメージしている。
ユミ子は、ヤタヒコを助けたばかりに戦争が起きたのだと後悔するが、ぼんはそうとも言えないと答える。ヤタヒコが死んだとしても、代わりの将軍が来ただろうと。
このセリフはぼんにしては、上出来な発言だが、これは当然藤子先生の見解を代弁している。農業が起こり、人々に余裕ができて、貧富の差が開いて、国ができ、大きな国がそれを飲み込む・・。
序盤で説明された人の歴史の流れには、T・Pをもってしても竿を刺せないのだ。
そして現代に帰宅。
するとテレビからフォークランド諸島侵攻を伝えるニュースが流れている。紛争ぼっ発は1982年3月30日のこと。本作が描かれたのはその直後だ。
このニュースを見てぼんは言う。
もちろん、これも藤子先生の代弁である。
推測ではあるが、本作執筆のきっかけはこのフォークランド紛争だったのではないだろうか。
いつまで経っても、戦争や国家間の力比べは続いていく。そんな長い歴史の変わらぬ人間の業について、半ば呆れつつ、古代人と現代人に根本的な違いはないと悟ったのではないだろうか。
本作は日本の歴史の一場面であったが、もっと広い人間全体の(愚かな)営みを描いた作品なのだと思う。
「T・Pぼん」などの考察をしています。
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