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縄文農耕説を裏付ける大発見か!?『ドキドキ土器』/世紀の大発見②

「エスパー魔美」『ドキドキ土器』
「週刊ビックコミック」1981年9号/大全集5巻

本稿で取り上げるのは「エスパー魔美」の傑作『ドキドキ土器』。タイトルは軽やかなダジャレとなっているが、中身としては大胆な縄文農耕説に切り込んだ意欲作となっている。

もともと古代史は数々の「大発見」によって歴史が形作られてきた。今の定説であっても、発掘による大発見によって一晩で常識が変わってしまうことだってあり得る。古代日本の最大国家であった「邪馬台国」ですら、その位置が定まっていないのだ。何が起きていてもおかしくはない。


本作のストーリーに入っていく前に、今回のテーマとなった日本における水稲耕作の始まりについて、少しまとめておきたい。

本作が描かれた1980年頃の定説では、水稲は紀元前300~400年ころ朝鮮半島から伝来したとされる。稲作が開始された時期線引きして、その前を縄文時代、その後を弥生時代とした。作中でもそのように語られている。

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本作執筆直前の1978年に九州北部の板付いたづけ遺跡で水田跡が見つかっている。縄文時代晩期後半の土層で見つかったことで、水稲伝来は定説より若干早かったのでは、と言われ始めていた。

さらに本作が発表された直後には、同じく九州北部の菜畑遺跡において、さらに古い土層からきっちり区画整備された水田跡が出土した。これによって、紀元前400~500年頃には稲作が始まっていたことが確定する。従来より少なくとも100年以上遡る大発見であった。

稲作開始が弥生時代の始まりとされてきたので、縄文時代の時代区分についても変動する議論が出現した。それまで縄文時代晩期としてきた時代で稲作が行われてきたことが確定的となったため、晩期を弥生時代の初期に組み入れようとする考え方もでた。


ただ、稲作が九州北部でかなり早い時期から始まっていたとしても、それが全国へと伝播していくのはかなり時間がかかっている。全国一律に時代区分を付けるのは、あまり実態にそぐわないようにも思える。

なので、縄文晩期には水稲技術が伝来しており、弥生時代において全国に広がっていったと捉えるのが真っ当ではないかと思う。

ちなみに2000年代に入り、放射性炭素(C14)年代測定法の精度が上がって、実はもっと昔から米が日本で育てられていたとする学説も登場している。縄文式土器に付着した籾の跡が見つかり、測定すると紀元前10~11世紀頃だったという。(ただしこれは水稲ではなく陸稲だとされる)

今後も発掘や年代測定法の進化などで、常識が変化することも考えられる。古代史は非常にロマンのある分野なのだ。

ただし注意しておきたいのは、例えば籾が見つかったとしても、育てる技術も一緒に発見されなければ、あまり意味がないということだ。一つの発見で歴史は変わるが、その判定は慎重であるべきだと思う次第である。


水稲の歴史と通説を踏まえたうえで、本作では紀元前2000年間の縄文中期に既に農耕が始まっていたのでは、とする大胆な説に基づいたお話が展開している。大胆過ぎる仮説であるため、大発見して終わるような安易なハッピーエンドを用意していない。この点に留意しておきたい。


団地を造成するため、駅の裏の丘を切り崩す工事が始まった。高畑はそこで縄文中期、ざっと4000年前の土器の破片を見つけてくる。土器を見た魔美も欲しくなって丘に向かうと、老人男性と少年が工事を遅らせてくれとお願いしている。

この老人はアマチュア考古学者のようで、この丘に兼ねてから目を付けており、非常に重要な資料が埋まっているのだと主張している。しかし聞き入れてもらえず、すごすごと帰っていくところに魔美が話しかける。

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老人曰く、この地域・佐間丘陵地帯は旧石器時代から有史までの遺跡が埋まっているのだという。彼は縄文中期から農耕が始まったと考えており、その証拠が埋まっている可能性があると説く。

老人の自宅に向かうと、「成学塾」の看板があり学習塾の先生だったことがわかる。すると一緒にいた少年の母親が門の前で待ち構えており、穴掘りばかりのこの塾をやめさせてもらうという。

少年は「でも楽しいし先生は色んなことを教えてくれる」と母親を説得しようとするが、有無を言わさず連れて行かれてしまうのだった。


先生の家に入るとたくさんの土器が陳列している。一人暮らしと言っているので、もしかしたら土器狂いの夫に愛想を尽かせて離婚してしまったのかもしれない。

先生は、40年前、小学校教師を始めてすぐの頃、たまたま訪れた農家の土間で一つの土器を見つけたという。縄文中期の加曽利E式土器だったが、農家の人の言うにはこのツボの中には種もみが入っていて、何粒か蒔いたら発芽したのだという。

これが事実で、その稲が自生種ではなく栽培種だとしたら、日本の農耕文化は1500年以上も遡ることになる。けれど種もみの話はその人のおじいさんの友だちが出所で、大変古い話だった。真意のほどはわからずじまい。

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先生は長い年月をかけて研究し、造成される丘にその証拠が埋まっていると確信している。そこで魔美に、工事がストップする明日の日曜日に、掘れるだけ掘ってみようという計画を告げる。

魔美は高畑にそのことを告げて、この強硬策に参加するよう求める。博学の高畑はそれは「文化財保護法」違反だと反対するが、どうせブルドーザーで掘り返されるのだと説得され、先生に力を貸すことにする。


翌日曜日。ここからは発掘作業が丁寧に描かれる。
途中昼休憩の際に、高畑と先生の論争があるので、要旨を抜粋しておきたい。F先生の博学ぶり・論理の的確さが際立つ部分である。

縄文中期から農耕が始まっていたとする他の根拠
・石の矢じりは縄文中期から出土しなくなる。
・代わりに石臼が出土するが、これは食生活が穀物中心に変わった証拠
・縄文中期の❘打石斧《だせきふ》には細かな❘タテの擦痕《さっこん》が付いていて、これはクワとして使われた
高畑の反論
・矢じりの減少は罠の発達のせい
・石のクワは竪穴住居や山芋掘りに使っていただけ

魔美は反論してくる高畑に「あなた、どっちの味方!?」と文句を言うが、先生はこのような論争から正しい学説が残っていくのだと語る。これはもちろんF先生の考え方が反映されている。

結局はイネを縄文中期の遺跡から発掘しなくてはならない。
昼食後、午前中に掘り当てた竪穴式住居跡の調査を続けるが、日が暮れても種もみ入りのツボは見つからずじまいであった。

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その晩、気が昂って眠れない魔美は、もう一度発掘場所へと向かう。ここまで超能力をほとんど発揮していないので、ここらで見せ場が必要である。

魔美はとにもかくにも精神を集中してみる。すると縄文人がツボを抱えて歩く姿が見える(コンポコにも見えている!)。縄文人はそのまま竪穴式住居に入り、土器を床に置く。

すると後ろから高畑が声を掛けてくる。彼もまた心残りで発掘に来たのであった。魔美は先ほどみた超感覚の映像について語り、試しに掘ってみようということになる。すると、カチと何かの手応えがあり、慎重に掘り返すとツボが現れる

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ツボは伏せられた状態で発掘。中にはゴマ粒より小さな何かの実がぎっしりと詰まっている。魔美は大至急先生の元へと向かい、現場へと連れてくる。先生はツボを見るなり、加曽利E式土器だと見抜いてドキドキが止まらなくなる。

先生は気を静めて長年の夢が叶う瞬間の準備を整える。満を持して種を見る先生。・・・無言。そして何かを探すように地面を観察する。

「なるほど…、こんなことだったのか」

先生は真相を語る。実はどこにでもあるスベリヒユ。ツボに蓄えたのは古代人ではなく、クロナガアリであった。ツボはアリにとって地面の中の大きな倉庫だったのだ。

残念ながら大発見ならず。やがて朝日で空が白む。魔美は確かに縄文人を見たが、そのツボは空っぽだった。先生は落ち込む魔美たちに「がっかりすることはない、発掘にムダ骨はつきものさ」と笑う。本当にがっかりしているのは自分自身にも関わらず。


ゆっくりと先生の自宅方向へ歩いていくと、先生の生徒だった少年が前から駆けてくる。新しい塾の早朝講義に向かう途中なのだという。それを聞いて「大変だなあ」と感想を漏らす先生。すると少年は、

「平気だよ。大学へ入るまでの辛抱さ。その後好きなことやるんだ。僕、考古学を続けるよ。先生の跡を継いで、縄文農耕説を立証して見せるからね、待っててね!!」

と力強く答えて、再び走っていく。未来はいつだって、少年少女たちのものなのだ。大発見は、次の世代へと託されたのである。

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縄文農耕説をテーマに、難しい論争を厭わずに描き切っている。説明だらけの物語でありつつ、科学的論争の正しさ、未来への光明、時代を超えた壮大な超能力という要素を盛り込ませた傑作であった。

なお本作では大発見ならずであったが、この5か月後には大発見成功となるエピソード『彗星おばさん』が描かれる。こちらは「大発見」とは別切り口で近く紹介予定である。


「エスパー魔美」の考察かなりやっています。


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