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ガンファイターぼん!『OK牧場の近所の決闘』/「T・Pぼん」で学ぶ米国③

「T・Pぼんで学ぶ米国」と題して、アメリカの歴史を描いた3作品を並べて鑑賞するという企画。実はこの3本は、アメリカという切り口は同じなのだが、内容面では全く種類の違う作品となっている。

作品の作り方というか、歴史へのアプローチが異なっているのである。


まず一本目の『最初のアメリカ人』は、初めてアメリカ大陸に渡ったモンゴロイドのお話であったが、これは作品発表当時の最新学説を採用した作品であった。

考古学や恐竜研究などにおいて、常に新説を追いかけていた藤子F先生ならではのアプローチと言える。

同じような考え方の「新説」を大胆に取り入れるパターンの作品は時々見られ、例えば「エスパー魔美」の『ドキドキ土器』では、縄文時代の稲作という最新のテーマを取り上げていた。


前稿で取り上げた『奴隷狩り』は、人間の黒歴史ともいうべき歴史の影の部分に着目した作品である。長い歴史を振り返った時に、文明社会以前の古代と、現代社会で何か違いがあるのだろうか? その間に人間は進歩を遂げていたのだろうか? そういう問題提起の孕んだ作品となっている。

同様のパターンでは、人々の集団ヒステリーや、為政者への過剰な忖度が事件の背景となっている『魔女狩り』などが、挙げられる。

前稿と前々稿はこちら。


本稿で取り上げる3本目『OK牧場の近所の決闘』は、今の2作品とはまた違ったアプローチの作品である。

本作では、西部劇の有名エピソードである「OK牧場の決闘」を題材にしているが、本作の執筆動機は、「ワイアット・アープが決闘したあの場面を間近で見てみたい!」という、ある種の歴史的好奇心というか、野次馬根性の成せる技ではないかと考えられる。

藤子先生が歴史を描くとき、憧れの時代をリアルに体験してみたいという自らの欲求を満たしているように感じる。特に恐竜時代を描くお話では、常に最新研究に基づく恐竜の姿や、その時代の風景を丁寧に描写している。下記の作品などは、完全にその時代を描きたいから描くという類のお話となっている。


本作は藤子先生が子供の頃から憧れていた西部劇を「T・Pぼん」でやってみたという作品になっている。執筆動機は、その時代を描きたかったから。藤子先生はそんな風におっしゃるのではないかと想像している。


『OK牧場の近所の決闘』
「少年ワールド」1979年6月号/大全集1巻

まずそもそもとして、西部劇というジャンルが藤子先生の世代にとって、非常に重要なジャンルであったことを再確認しておきたい。

西部劇と言っても、悪のインディアンを倒すというような白人側から見た作品もあれば、無法者が集まってしまった町での保安官と悪党の戦いを描くお話もある。強盗団との銃撃戦だったり、土地土地でのロマンスだったり、移住してきた家族の絆だったりと、描くテーマも幅広い。

西部劇は、ある時代において、様々な娯楽映画のタイプを飲み込む一大エンタテインメントのジャンルであったのだ。

「まんが道」などを読んでいると、藤子不二雄両先生は、学生時代から暇さえあれば西部劇を見に行っている。「シェーン」(1953)「大いなる西部」(1958)「荒野の決闘」(1946)「リオ・ブラボー」(1959)など、戦後から1950年代にかけてドドッと流入してきた。これらを浴びるように見ていたのである。

当然、若い頃に観た映画は、作劇において影響を受けやすい。藤子先生もご多分に漏れず、色々な作品で西部劇そのもの、もしくは西部劇フォーマットに沿った作品を多数描いている。


本作は歴史をテーマとしている「T・Pぼん」ならではの、「西部劇」作品となっている。あくまで背景となる史実には忠実でありながら、著名な事件の裏側にいたであろう市井の人々にスポットを当てるという作り方である。


さて、OK牧場の決闘とは何だったのか? 簡単に概略だけ記しておこう。

1981年10月26日アリゾナ州コセチ郡トゥームストーン近くのO.K.コラルで起きた銃撃戦を、「OK牧場の決闘」と日本では読んでいる。なぜ「日本では」という注釈が付いているかと言うのは、後ほど理由を述べる。

トゥームストーンの近くのサンペドロ丘陵で銀が産出され、まさしくゴールドラッシュという形で町が発展したが、当然ごろつき共も幅を利かすようになる。「富のある所、不法者あり」である。

そんな中、有名な保安官ワイアット・アープらと、トゥームストーンの牧場主として力を付けていたクラントン一家が対立するようになり、ついにドンパチとなったのが、OK牧場の決闘である。

決闘に至るまでの確執だったり、ワイアット・アープの友人でもあるドク・ホリディのドラマなどは、映画の「OK牧場の決闘」や「荒野の決闘」を見ると良くわかる。実際の史実はどうだったかはともかく、血沸き肉躍る見事な娯楽となっている。


なお、有名な話ではあるが、映画「OK牧場の決闘」の原題はGunfight at the O.K. Corralというタイトルになっている。OK牧場ではなく、OKコラルの決闘が、正しい邦訳となる。

コラルとは「家畜の囲い」という意味で、牧場ではなく売買のために一時的に家畜を置いておくところを指す。つまり牧場ではなく、町なのである。

映画の邦題をつけるにあたって、コラルでは日本人には意味がわからないので、「牧場」と意訳をしたようだ。

しかし、日本ではこの邦題が独り歩きをして、実際のモデルとなった事件名も「OK牧場の決闘」となった。意訳された邦題がそのまま歴史の事件名になってしまうという珍しい例と言えるだろう。

そして、このネタについては、本作『OK牧場の近所の決闘』にも出てくるのご注目いただきたい。

なお、同じ事件をテーマとした映画「荒野の決闘」は、原題がMy Darling Clementineであり、リバイバル公開の時にサブタイトルとなっていた「いとしのクレメンタイン」が正式な訳となる。

今では直訳しないと洋画ファンがクレームを入れてくるなんて話を良く聞く。けれどオールド映画の一ファンとしては、意訳による邦題は、直訳カタカタに比べて味があるなあと思ってしまうのである。


さて、前置きが長くなってしまったので、作品内容はさらっとお届けしていこう。

ガンマンごっこでは敵なしのぼんは、西部劇の時代に生まれていたら名保安官として名を残したかも、などと友人に褒められる。ぼんも「ドラえもん」ののび太と全く同じ長所を持つようだ。

そんなぼんが向かう先は、OK牧場の決闘のあった時代。任務は一人のガンマンがだまし討ちに遭って殺されてしまうのを救いにいくというもの。今回の任務は諸事情から、西部劇の人間になり切って密着捜査をすることになる。


トゥームストーンについての説明は、作中にばっちり書かれているので、改めて抜粋しておこう。

「1879年に開かれた辺境の町。サンペドロ丘陵の銀山のため、景気が良くなり、わずか二年後には人口5600人まで膨れ上がった。町の治安は悪く、カウボーイや鉱夫に混じって、詐欺師、ばくち打ち、家畜泥棒、流れ者・・・。絶えず銃声が・・。西部史上もっとも名高いOK牧場の決闘のこの町が舞台」

西部劇大ファンのぼんは、本物の決闘が見られると喜ぶが、それは今からごヶ月後の事件だと聞かされがっかりする。


一時的にアメリカ人のような風貌になれる注射を打つと、救おうとしている青年そっくりになるぼん。さらに護身用に「ショックガン」を受けとる。そして近場の町で敢えてうろつき、青年の知り合いに声を掛けてもらって手がかりを探そうという作戦に出る。

で、ぼんはさっそく町でごろつきに因縁をつけられるのだが、ぼんの顔を見て逃げ出してしまう。逃げた男と仲間との会話で、ぼんたちが救おうとしている青年は、ジムという名前であることと、早撃ちで恐れられていることがわかる。しかし一人の男には恨みも買っており、首には懸賞金もついているようだ。


町を探索するぼんは、OKコラルの看板を見つけて、ここがOK牧場の決闘の舞台の町であることを確信する。ただし、牧場というにはやけに狭く、牛の一頭もいない。

ここでぼんは、圧縮学習で覚えたことを思い出す。OKコラルは牧場ではなく、家畜置き場であったと。ここは、映画(の邦題)と史実は違うという説明をするために挿入された、遊び心のある場面となっている。


この後ぼんは、ジムと勘違いされて、男と決闘することになる。決闘の前にはジムとは、ジェームス・ライト、またの名はベビーフェイス・ジムということを知る。

太陽を背にされて苦戦するかと思いきや、ぼんは早撃ちで男を倒してしまう。どうやら、本当にのび太並の拳銃使いであるようだ。

しかしぼんは、ジム本人だと勘違いされ、保安官に逮捕されてしまう。ジムは駅馬車強盗の罪で捕まったが、その夜の内に脱獄して、手配書が回っていたのである。


ぼんが捕まっている間に、事態は動き出す。本物のジムがトゥームストーンに向かって歩いているという情報が悪どもに伝わってくる。昼間ぼんに気絶させられた男は、自分は誰にやられたのかと混乱するのだが、ともかくも、クラントン兄弟共々、ジムを返り討ちにする計画を練る。


一方、ジムが何者かをしっかり調査していたリーム。・・・紹介を忘れていたが、本作は「T・Pぼん」第一部の作品で、この時はぼんはリームというタイムパトロールの助手をしている。つまり、リームはぼんの先輩である。

リームはぼんを牢屋から助け出し、今後の計画を話す。

ジムは17歳ごろから無法者として名を売っていたが、今は真面目なカウボーイ。駅馬車強盗については、無実の罪で、真犯人はグレン・モーガンという男。ぼんに決闘を申し込んできた男の仲間である。

明日、モーガンはクラントン兄弟やぼんを捕まえたベーハン保安官らの悪党たちと手を組んで、五人がかりでジムを殺そうと考えている。

ジムを助けることは簡単だが、そうなるとジムは5人を殺してしまうかも知れない。そうなると、5ヶ月後にワイアット・アープに倒されるべきクラントン兄弟も死んでしまい、歴史が変わってしまう。

・・・そういう事情から、ぼんがジムのフリをして、先行して5人と戦い、全員「ショックガン」で気絶させてしまおうという作戦となる。


ただ、さすがのぼんでも、5人を同時に相手にするほどの腕前ではない。リームがギリギリまで策を練るのだが、時間となってしまい、5人に取り囲まれて乱射されてしまうぼん。ぼんが事前に見ていたジムが銃殺されるシーンと同じ状況に・・・!

と、ここで時間の流れがストップする。ぼんに襲い掛かった銃弾も全て空中に止まっている。リームが時間を止めたのである。

そして5倍の速さで動けるように調節してもらい、決闘再開。こうなるとぼんの銃の腕前が冴えて、あっと言う間に5人を気絶させてしまう。そして、真犯人のモーガンは、ジムのもとへ送り、クラントン兄弟は息を吹き返して、5ヶ月後のOK牧場の決闘に臨むことに・・・。

事件はこれにて一件落着のようだ。


「OK牧場の決闘を見たかった」と、帰り道にぼんは言う。けれどリームは、

「つまんないわよ。一分で終わっちゃうんだって。現実ってそんなものよ」

と、冷静な一言を告げる。

もちろん映画では、当然銃撃シーンはクライマックスなので、一分では終わらない。物語ってのはそういうものだからだ。



「T・Pぼん」の活躍を見逃すな!


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