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魔女と拷問『魔女狩り』/考察T・Pぼん

「T・Pぼん」『魔女狩り』
「少年ワールド」1978年12月号/大全集1巻

前回の記事で「エスパー魔美」の『魔女・魔美?』を考察した。

本稿ではこれに関連して、「魔女狩り」をテーマとした藤子作品を見ていくことにしたい。ずばり「T・Pぼん」の『魔女狩り』である。

魔美にはフランス人の先祖がいて、魔女と呼ばれて火あぶりになった人もいた、という設定がある。実際の魔女裁判は、魔女だと不当にレッテルを貼られて処刑された人が多かったと言われている。けれど「エスパー魔美」では、魔美の先祖が本当に魔法が使えたのでは? ということを示唆している。

藤子F先生は後に「のび太の魔界大冒険」で、魔法と科学について、もともと根は一つで、今の社会はたまたま科学が発展し、魔法の存在が消されてしまったと「異説」を展開している。「エスパー魔美」の先祖が魔法使いだったという設定は、この異説に基づくものである。

その一方で、魔女狩りが不当に行われたものであるという強い思いもF先生はお持ちだったようで、特に本作ではリアルに魔女裁判の実態を描き、その遠因となった人々の集団ヒステリーへの警鐘を鳴らしている。

そのためか、かなり残酷な描写も恐れずに加えており、正直子供のころに読むのは辛かった。残酷描写は、一見必然性があるように挿入されているが、僕としては少々強引にそうした描写を入れ込んだのではないかと睨んでいる。そのあたり、後ほど詳細する。


本作は「T・Pぼん」の5本目の作品で、並平凡がまだT・P(タイム・パトロール)の見習いの頃のお話である。

冒頭、部屋が寒いということで、ぼんが灯油ストーブをつけようとすると、燃料が漏れておりストーブが火だるまとなり、ぼんの手にも火がつく。そこにリームぶよよんが現われ、消火力のあるぶよよんのおしっこを掛けて火を消す。

火は消えたものの、手には大火傷を負ってしまう。そこで、仕方なく「巻き戻し」をすると、まだ火がつく前の5分前に時間が遡る。部屋もぼんの手も燃えていない状態へと戻っていた。

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「これは便利」と思うぼんだったが、リームは

「これはよっぽどのことがないと使えないのよ。同じ時間の上をなぞることになるから危険なの」

と、設定を語り出す。

T・Pの任務では時間を操ることができるので、何度でも都合よく時間を巻き戻していては、その後の未来が変わってしまう。それはタイムパトロールとしても問題であるし、ご都合主義の漫画に陥る危険性も孕む。

「T・Pぼん」は、何でもできる設定ゆえ、色々任務にシバリをいれなくてはならないのである。割と細かな禁止事項・注意事項がいくつも作中で出てくるのは、そういった理由からである。

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さて、ぼんが大やけどを負ったのは、その後の展開の導入のためである。今回の任務は、ざっと300年前、火刑で死んでいるセリーヌという15歳の少女を救うことである。

火刑とは火あぶりのこと。焼き殺すという、最も残酷な処刑方法である。ぼんは、先ほど手を焼いて苦しんでいる。それもあるので、この任務に強い使命感を覚えるのである。

本作は、冒頭の大火傷から始まって、かなり痛そうな描写が何度も出てくる。それは、歴史とはそういうものだ、というF先生のメッセージがあるような気がしてならない。

歴史上には、今では考えられないような残酷な事件が多いのだ。人権なんていう言葉も当然無かった。私たちは、大いなる過ちを繰り返しながら、少しずつ人間らしい生活・権利を獲得していったのだということが、歴史を学ぶことで分かってくるのである。


さて、ぼんたちが向かう先は、「魔女狩り」の時代。

15世紀から17世紀にかけてヨーロッパでは、「魔女狩り」の嵐が吹き荒れた。魔法を使うことは神に背く重罪とされ、裁判で魔女と認定されれば、子供であろうと処刑された。本作では20万人以上が犠牲になったと説明している。

魔女を認定する「魔女裁判」がまた酷いものだった。一度魔女だと疑われると、インチキな証言を採用したり、残酷な拷問で自白させて、無理やりに魔女に仕立てあげたのである。

ぼんは魔女狩りの事実を知って、

「信じられないなあ、人間がそこまで残虐になれるなんて」

と感想を述べ、リームは答える。

「集団ヒステリーよ。理性を失った人間のおそろしさね」

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ただ、魔女裁判は100年以上も続いている。その意味では、集団ヒステリーで片付けられるのかは少し疑問だ。このあたりは専門書と読んでみないとわからないことも多いが、どうしても、敵と味方を峻別する人間の特性が悪い方に出た例ではないかと思われる。

魔女狩りで言えば、キリスト教・教会という絶対的な権力があって、それに反するものは異端とされ迫害を受けた。権力側だけでなく、大勢の民衆がそれを支持して、異端を追い詰める動きに拍車がかかった。構造的に敵となる者が定められ、これを痛めつけて、味方側は安心と満足を得る。そういう構図だ。

不幸にも、これは遠い過去の話とは言えない。ヨーロッパの魔女狩り自体がまだ400年前くらいに普通に起こっていたことだし、ホロコーストや人種差別、少数民族への圧迫、等々、異端を作り上げて迫害する行為は、まだまだ人間社会の大問題の位置を占める。

魔女狩りは他人ごとではない、というF先生の考え方が本作には込められているのではないだろうか。


さて、話は若干それたが、今回の舞台は1664年の南フランスである。ぼんたちが着いて早々、大ピンチに陥る。突然弓矢が飛んできて、リームの胸に突き刺さり、続けてぼんの足にも刺さってしまうのだ。リームは動脈をやられたらしく、気絶し出血も酷い。ぼんも倒れこんで意識が無くなってしまう。

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彼らを射たのは密猟者だったが、運良く二人を見つけてくれのは、今回のターゲットとなるセリーヌと恋人のジャンであった。二人の会話から、セリーヌの祖父が亡くなり、ジャンも一人前の商人になるためセリーヌを置いてリヨンに帰ろうとしているようだ。

助けれくれた女性がセリーヌだと気がつかないぼんたちは、負傷した体で、時間がないことに焦りを感じる。セリーヌが処方してくれた薬が効いてだいぶ体は楽になっていたが、完全に治るまで20日くらいはかかりそうとのこと。

セリーヌはおじいさんから教わったという薬草を作る技術があり、森で暮らしているためクマとも仲良くなっていた。しかも黒猫を飼っている。魔女と疑われる要素が伏線的に埋め込まれているのである。


森で薬草を集めていると、一人の男が近づいてくる。リームたちを射た密猟者のフェルナンである。彼はセリーヌを自分のものにしたいのだが、拒絶され、逆恨みする。自分本位な最悪な男である。

フェルナンは教会に出向き、「セリーヌがほうきに跨って空を飛んだ」と嘘の証言をして、神父はそれを信じてしまう。そして異端審問の手続きに入ろうとする。これでセリーヌが捕まっては、一巻の終わりである。

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自分たちを救ってくれた女性がセリーヌだと知ったぼんは、痛めた足を何とか引きずり、ボートのところまでたどり着く。本部に連絡し、「瞬間治療剤」を手配してもらう。

本部からの情報で、リヨンに帰ってしまったセリーヌの恋人ジャンのことを知り、彼を使って、セリーヌを助ける作戦を思いつく。この作戦、「望みがあるとすればこの方法しかない」とされているが、実際は他の方法もあり得たと思うところもある。このあたりは、後ほど。

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セリーヌは魔女ということで摘発される。申し開きがあれば法廷で聞くと言われたのに、いざ否定すると、「強情な女め、拷問にかけろ」と全く弁解の余地がない。

セリーヌはさっそく酷い拷問にかけられる。足元を火であぶられ、気絶すると水を掛けられて起こされる。「神様は見ている、魔女ではない」と必死に抵抗するセリーヌ。しかし、夜、同じく魔女の疑いを掛けられている女性から、早く自白するよう助言を受ける。

「神だの真実だの、そんなものがこの世にあると思うのかい。誰かに「魔女だ」といわれりゃ、それでもうおしまいさ」

この女性は魔女だと認め、明日処刑されるのだという。しかし、この世からおさらばするのが楽しみだと言う。

次の拷問は水責めである。ろうを咥えさせられ、水を大量に飲み込まされる。あまりの辛さに、ついにセリーヌは自白する。

「ま、魔女です・・・わたし・・・」

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そしてセリーヌは火刑に処されることになる。「祈るがよい、罪深い者よ」と声を掛けられるが、「私は無実です」と静かに呟く。

そして火がかけられ、煙と業火が襲う。「ジャン」と叫ぶセリーヌ。


・・・この拷問~火刑の様子を、ジャンは夢の中で見て、飛び起きる。「不吉な夢。セリーヌの身に何かあったのでは」と、馬を走らせてセリーヌの小屋へと向かう。

ぼんたちは、ジャンが救わなかった時の歴史を「タイムテレビ」に録画して、夢に投影していたのである。時間が切迫していたが、「タイムコントローラー」を使って、ジャンの動きを速めて捕まる前にセリーヌの家に到着させる。

ジャンはプロポーズをして、リヨンへとセリーヌを連れていく。これで魔女狩りに遭う未来は回避されたのだった。

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「めでたし、めでたし」なのだが、僕としてはリームたちが取った作戦以外にも、セリーヌをジャンの元へと逃げさせる方法などもあったように思う。ジャンに夢を見させるのがベストだったのかどうか・・。

ただ言えることは、作品としてこの作戦しかありえない、ということである。なぜなら、魔女狩りのテーマと拷問の描写はセットだからである。例えば「エスパー魔美」のパイロット版と言われる『アン子、大いに怒る』でも、火あぶりのシーンが描写されていた(だいぶライトな表現ではあったが)。

神の名のもとに行われた魔女狩りという残酷な歴史を語る上で、拷問シーンは欠かせない。人間は簡単に大きな過ちを犯すという非道の歴史を逃げずに描写することを、F先生は「T・Pぼん」においては決めているように思えるのである。

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