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歴史は良い方に向かっているのだろうか?『奴隷狩り』/「T・Pぼん」で学ぶ米国②

世界は正しい方向に向かっているのだろうか?

同じような過ちを繰り返してはいないだろうか?

長い人間の文明史を俯瞰したときに、世の中は人々の住みやすい世界へと近づいているのだろうか?


僕が時々思うのは、人間の性(さが)はほとんど変わらないのではないかということ。

人は、頭ではわかっていても、感情が先だって誤った行動を取ってしまう。

咄嗟にウソをつく。プライドを優先する。暴力に手を染める。権力を弱者に振るってしまう。戦争を始めてしまう。

けれど、人間の性が不変なのであれば、人間が誤った行動を取ることを、あらかじめ仕組みとして制限をかけておかなくてはならない。

例えば、権力者は必ず自分の都合の良いように力を行使してしまうものだから、それを憲法によって制限しておく、などがそれに当たる。

そのようにして、社会的に人間の悪しき行動を遮る仕組みを導入しておくべきだろう。そのためには、過去の経験から学び取る「知」が必要なんだと思う。

そうした社会的な「知」の積み重ねこそが、人間社会をよりよく進歩させていくことに繋がるのではないだろうか。


本稿で取り上げるお話は、人間(社会)が犯した罪を、長い年月をかけて、贖罪し、より良い社会を作り上げることを志向する、極めて前向きなメッセージ性のある作品となっている。

今回は「T・Pぼん」で学ぶ米国という括りで紹介するが、これは米国だけのお話ではない。何かと人権が制限されてしまう人間社会への警鐘や、繰り返される困難を蹴散らそうという未来志向の考えが詰まったお話となっている。

藤子先生が「T・Pぼん」という作品全体で私たちに伝えたかったメッセージが、本作には詰まっているように思うのである。


『奴隷狩り』「コミックトム」1983年6月号/大全集2巻

本作のテーマは「奴隷制度」。ぼんたちは本作の冒頭でまだ奴隷社会が当たり前だった古代文明に向かい、とある王と一緒に埋められてしまう奴隷を救い出す。

任務を完了させたのち、ぼんの助手であるユミ子は「古代社会は嫌いよ、人間が野蛮に見えて嫌になっちゃう」と感想を漏らす。ぼんも、「次の仕事は文明社会が良い」と答える。

もちろんここでのやりとりは後の伏線になっていて、古代社会と今の社会がそれほど進化できているのか、という問いがぼんたちに突き付けられることになるからである。


ぼんとユミ子が現代に戻る。ぼんは勉強の前におやつを食べようと食堂にいくと、ママからの手紙が残されている。勉強をして、その後洗濯物の取り込みやら雑草むしりやらのやるべき家事が列挙されている。

ぼんは思わず「奴隷じゃないってんだ!!」と憤る。ぼんの両親は共稼ぎなので、家事全般が自分に振られてくることに理解はしつつ、「うちは労働力が足りないね」と諦め気分になる。

ここで「労働力」というキーワードがさり気なく出ているのだが、これもこの後のぼんの任務に関わってくる重要単語である。


さて、おやつを食べていると、またまたT・P本部から仕事の通達が入る。さっそくユミ子を連れて、任務に向かう。今度の目的地は1861年の北アメリカ。今度はちゃんとした文明社会だから気が楽だとぼん。

任務内容は一人の男が射殺されるので、それを救うと言うもの。本来タイムパトロールの任務の際には、事件の背景などを調べておくのが流儀なのだが、ぼんはそこを手抜いてしまう。19世紀のアメリカがどんな世界かは想像がつく、というわけだ。


さて、この後ぼんたちはアメリカ社会に残された黒人奴隷の問題に向き合うことになるので、ここでアメリカの奴隷制度についての基礎知識をまとめておきたい。

本格的なアメリカへの入植を象徴するメイフワラー号が海を渡ったのは1620年のこと。すぐにアフリカの黒人を奴隷として連れて行くケースが増え、1662年には奴隷が制度化する。

その後19世紀までに1200万人ものアフリカ人がアメリカ大陸に渡ったとされる。

世界的な奴隷解放運動が活発化する中、1804年までにはアメリカ北部の州の全てで奴隷制度が撤廃される。しかし、南部では主にイギリス向けの綿花生産が増大したため、労働力の確保という意味合いで奴隷制度は継続していた。

奴隷制度への批判を強める北部と、奴隷制度維持を主張する南部の対立は深まっていくが、ひとつの妥協の産物として1850年に「奴隷逃亡法」が成立。これにより、北部の自由州に対しても逃亡奴隷の逮捕の義務を定め、捕らえた奴隷は奴隷主に引き戻されることが定められた。

奴隷制度の非人道ぶりは、1852年に発行された「アンクル・トムの小屋」などであたらめて脚光があたり、1861年から始まる南北戦争へと連なっていく。

南北戦争開戦直前の1860年の国勢調査によれば、全米での奴隷は400万人。そのほとんどは南部に集中し、黒人は南部全体の3分の1の人口であったという。

1861年4月12日~14日に、本作でも描かれるサムター要塞の戦いが勃発。サウスカロライナ州チャールストンの港湾での紛争は、南北戦争の発端になったとも言われている。

南北戦争はリンカーン率いる北部が劣勢に立たされていたが、1863年1月1日に奴隷解放宣言が出され、これにより世界世論を味方につけて流れを変え、65年には北部の勝利で南北戦争は終結する。

そしてその年の12月にアメリカ合衆国憲法修正第13条が成立して、奴隷制度はようやく廃止となるのであった。


ぼんたちはこうした歴史を学ぶことなく19世紀のアメリカへと向かう。そこで、黒人奴隷のサムの逃亡を手伝うことになる。取り急ぎの射殺は免れたものの、グレン・チャンドラーという逃亡奴隷を狩り出す専門家に追われることになるサム。

ぼんたちは、本部と連絡を取ると、ある一つの逃走経路を示される。それは、現在地であるケンタッキー州チライドから、テネシー川上流~ミッチェル山を越えてチャールストン湾に向かうという困難なルート。

本部はぼんたちに、チャールストンのベル商会を尋ねろと助言する。ベル商会は表向きは商会だが、実は地下鉄道のステーションになっているのだという。

事前調査を怠っていたぼんたちは、19世紀半ばに地下鉄があったことに驚く。ところが、これはぼんの勘違い。この地下鉄道とは、地下鉄のことではない。

地下鉄道(Underground Railroad)とは、1830~60年代、南北戦争にかけて盛んに行われた逃亡した南部の黒人奴隷を支援する運動のことを指す。はじめ逃亡奴隷は北部の自由州を目指したが、1850年の逃亡奴隷法が制定されてからはさらに北のカナダを目指したらしい。


ユミ子は遅ればせながら、アメリカの奴隷制度についてタイムボートの学習機で勉強する。

奴隷は人間ではなくて、物。奴隷は「動産」などと言われており、そこに人権意識は全く込められていない。ユミ子は古代世界とちっとも変わらないと言って悲嘆に暮れ、

「人間なんて何千年経っても同じことを・・・。何が文化よ!何が文明よ!!」

と泣き叫ぶのであった。本作の重要なポイントとなるシーンである。


執拗に追ってくるチャンドラーの目を逃れて、何とかサムをチャールストンへと辿り着かせる。あとはニューヨークへと出航する船に乗せれば任務は完了だ。

ところが、ベル商会が地下鉄の駅だと言うことがバレて、せっかく乗り込んだ船に、チャンドラーがボートで追ってくる。「奴隷逃亡法」に基づいて、逃亡奴隷の引き渡しを迫ろうというのだ。


すると、突然港湾で複数の爆発が起こる。南軍が攻撃を仕掛けて、南北線へと繋がるきっかけとなったとされるサムター要塞の戦いが、まさに目の前で始まったのである。

この爆撃の隙に船は湾から出航し、サムのニューヨークへの逃亡が無事成功となるのであった。


任務を終えて、ぼんとユミ子は再び現代へと戻る。二人は、

「農耕文明と同時に奴隷制度が生まれて・・・その廃絶までに何千年もかかったけど、やはり歴史って良い方に向かって進んでいるんじゃないかしら。少しずつ少しずつだけどね」

と、明るい未来を見出して、嬉しそうな表情を浮かべるのであった。


藤子先生は、本作において、人間はちっとも進歩していないのではないかと、問題提起を行っている。文明を起こした人間は、それ以前と何ら変わっていないのではないか、と。

しかしラストでは、少しずつ時代は良い方に進んでいるのではないかと、主人公たちに感じさせる前向きな締め括りをしている。これはもちろん、願望も含まれているし、読者となっている少年少女に伝えたいメッセージでもあろう。


実際に今の世の中では、例えば黒人差別は続いているし、女性蔑視だったり、LBGTの人権問題だったりと、まだまだ「文明社会」と呼べないような事象はいくつも残されている。

その意味では、私たちはまだまだ野蛮な古代人を引きずっているのである。

ただし、それでも進歩を諦めたらダメなんだろうと、本作などを読むと思う。少しずつ良い方に歴史が動いている、動かさなきゃダメなんだと、強く思うことが重要なのだ。



「T・Pぼん」全作解説中。


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