シャープの社名の由来を深掘りしたら、先を行きすぎる発明品を見つけた話
社名の由来を紐解くと、トガった発明品に遭遇してしまった。
ここは奈良県天理市。
今から約1500年前に築造された“東大寺山古墳”を目の前に眺める“シャープミュージアム”で、
国内外から来訪くださる様々なゲストを110年の時間旅行へとご案内するのが私の日常である。
前回は、「海外の資本が入って何か変わった?」とよく聞かれる話をご紹介した。
短い言葉では到底表現できなかった、この5年ほどの出来事を、noteの場で皆様に共有いただけたことに深く感謝している。
前回ご紹介のとおり、
私はあのトラウマを克服できなかったしばらくの間、小学生が苦手だった。
今は違う。
時の流れと共に世の中が変化していることに気づき、前を向く小学生たちと共有する時間はかけがえのない喜びである。
今回は、その一端をぜひ、あなたと共有させていただければと思う。
さかのぼること数ヶ月前のこと。
秋は大人も子供もワクワクする遠足のシーズンだ。
地元の小学生たちがバスに乗り込んで元気にやってきた。
高さ3.9メートルのひさしの下に、大型観光バスのドライバーさんが慣れたハンドル操作で車寄せしてくださる。
“プシューゥ“ 空気圧が開放される音。
“はい、無事に到着しましたよ。お疲れ様”
バスがそう言っているように聞こえる。
しっかりと閉まっていたバスの扉が開くと、まずは先生、そして小学生たちが次々飛び込んで来る。
ぶつからないように、正面玄関の自動ドアを開放ロックしてお出迎えする。
ロビーの正面玄関から遮るものひとつなくまっすぐに創業者の元へといざなうこの40メートルの空間は、日常見慣れた景色のはずなのに、時々じわっと感動みたいな感情を覚える。
ここを40年前に設計してくださった人に、素敵な空間を“ありがとうございます“と感謝する。
しかし、老若男女が通る場所、
いつも前を見ている小学生は、思わず40メートル先に向かって走り出すかもしれない。
その先に何があるのか早くみたいから。
きっと。
「〇〇小学校〇年生のみなさん、おはようございます!」
『おはようございまーーす!!!!!!』
「シャープは2022年9月15日で、110歳になりました。みなさんは、シャープって、どんな会社か知ってるかな?」
何人かの子供たちがまっすぐに手を挙げてくれる。
『テレビ!』『エアコン!』
手を挙げずに、いきなり思いついたことを声にしてくれる子供たちもいる。
「正解!拍手―っ!」
30人ほどが一斉に拍手する。
それにつられて、ほかの子が『シャーペン?』とつぶやいて、ちょっと、自信なさそうに首をかしげる。
「そう、それも正解!」
『えーっ!?』
(予想外の正解に思わず立ち上がってしまう子も!)
シャープとシャーペン。
関係性があまりピンとこないのにも無理はない。
「実は、みんなも先生方も(わたしも)まだ生まれていなかった昔むかし、
シャープはシャープペンシルを作っていました。」
『・・・あ、だからシャープなのか。もしかして。』
目をまんまるにして自分の気づきを声に出して確かめる子。
きっと表現力豊かだよね、日頃から。
この子の今日の気づきの場に立ち会えたこと、幸せ!
「では、シャープペンシルを作っていたシャープが、いつ、どんなことがきっかけで今のようにテレビやエアコンをつくる会社になったのか、これから一緒に見に行きましょう!」
ミュージアムエントランス正面の創業者レリーフまであと5メートルほどの通路横に、ちょっとした仕掛けを置いた。
ここに立ち止まって撮影される見学者をよくお見かけする。
多くの人は数歩近づいて立ち止まり、
『これは(このイケメンは)誰?』とつぶやいてくださる。
「30代前半の頃の早川徳次です。」とお伝えすると、
『えー、こんな外国人みたいなステキなひとだったんですかー!』と驚かれる。
(“ふふ、そうでしょ” などと、自分の身内を自慢するような気分になる。)
この瞬間が大好きなので、お客様をご案内するときにはいつも凛々しい創業者の写真の方へ目を向ける。
お客様はアテンダントの視線を追うから。
漏れなく気づいてほしくてそうする。
あの凛々しい創業者をイメージしながらミュージアムに入る方が、ここから始まるドラマが断然興味深くなるはずだから。
ただし、小学生は早川さんがイケメンということに気づかないみたい。
それよりも、気づいてほしいことがあるから、まあいい。
シャープミュージアム(歴史館)に入ると、冒頭のレリーフに続いて、
ゆっくりと回転するガラス張りの模型が視界に入る。
小学生たちがこれを囲む。
「皆さんの目の前にあるのは、今から100年以上前の工場の様子 です。」
『へえ~』
「さて、この工場では、何を作っているでしょう?」
????
「ヒント! さっき紹介した早川徳次さんは小学校を1年生までしか行けなかったけれど、小さい時から “金属” の知識を身につけていたのでとても詳しかったんです!」
『わかった! くぎ!くぎを作ってる!』
「くぎも・・・“道具”・・・ですねー。2つ目のヒントは・・・“書く道具”!」
『わかった! シャーペン?』
「正解!拍手―っ!」
素直にみんなで拍手する子供たち。
拍手をもらって照れている子。
かわいいー。
近年では、先の小学生がつぶやいてくれたように“シャーペン”という名で親しまれている、シャープペンシル。
これには深~いご縁がある。
21歳になった早川徳次は、研究を積んだ金属加工の技で、繰出鉛筆の緻密な機構を考案し、実用新案を取得する。
早川式金属繰出鉛筆の誕生だ。
「常に先が尖っていていつでも書き出せる鉛筆」ということから、
“EVER READY SHARP PENCIL”と名付けた。
現在の社名SHARPの由来である。
のちにシャープペンシルは固有名詞となった。
今キーボードの手を留めて、机の引き出しを開けてみると、ここにはシャーペンが2本。
いつでも書き出せる。
今、この話を読んでくださっているあなたも、一度は使ったことがあるのではないだろうか。
あるいは日常的に活用している人もあるかもしれない。
しかし、当初は、世の中に全く相手にされなかった。
トガりすぎな発明品
ユニークな発明品の歴史がここから始まっていたことはあまり知られていない(気がする)。
『うわっ。シャーペンがたくさん並んでるー。』
条件反射的に拍手しながら、もう先に進んでいる子供も何人か。
一定の割合でクラスに何人かいるようだ。
自分の興味のまま、悪気なく先に進んでしまう子。
この傾向はどの年齢層にも一定の割合で存在するようだ。(ミュージアムの中で時々遭遇する場面である)
好奇心旺盛な類の人なのだ。
“He(She) is like a kid in a candy store.”
電気、電子、物理、化学系の学会や研究機関のグループがここを訪問くださるツアーではおなじみのつぶやきだ。
「彼(彼女)は興味津々。(まるでキャンディのお店で目を輝かせている子供みたいでしょ)いつものことだからほっといていいよ。我々は次に行こう。」という場面。
・・・この人たちは子供のころからずっと好奇心いっぱいで研究者になったんだろうなー・・・
(ちょっとキュンとする)
今、このシャープミュージアムで目を輝かせている小学生。
『金属から道具をつくるって面白いな。電気がうまれるって凄いな。光って面白いな・・・』
そんな好奇心を失わず、このまま大人になって、いつか偉大な発見や発明をもたらす学者になるかもしれない。
その子は先生にお任せして、説明員の私は続行する。
眼をうるうるさせてこちらに注目している子供たちに伝えたいこと、想像してみてほしいことを語りかける。
子どもたちがまた『えーっ。すごーい。なんで―?』と感嘆の声を発してくれたら、先走りしていた子もまた戻ってきてくれるから大丈夫。
『こんなにいっぱいシャーペンを作ったのー?』
「そうですね。毎月まいつき6種類の新製品を作って、とうとう6か月後には36種類になりました。
では、どうしてこんなにいろんな種類を作ったと思いますか?」
???
「それはね・・・売れなかったから。なのです。」
寝食の間も惜しんで金具の細工に改良を重ね、少年時代から培ってきた金属加工の技で精巧な仕組みを考案した。
さらに、耐久テストも十分に行ったから、「日常必需品として必ず売れる」という自信をもって生み出したシャープペンシル(早川式金属繰出鉛筆)。
しかし、来る日も来る日も、問屋筋をまわっても、小売り文具店をまわっても、なかなか相手にしてもらえなかった。
早川徳次は22歳になっていた。
『えー?なんで売れなかったの?』
(いい質問!)
「まず、大正時代の日本では、どんなものを着ていた人が多かったでしょう?
知ってる人はいるかな?」
・・・
『“わら”?』
(「わら」ってもしかして「藁」のこと?)
「あー。そうですね。大昔の人が、わらを着ていた時代ありましたよね。
それよりももっともっとあとのこと。
江戸時代が終わって、明治時代、大正時代には西洋の文化が入ってきて洋服を着る人もいましたが、まだまだ・・・」
『わかった!着物!』
「大正解!!」
大正初期の日本は、まだまだ和服姿の人が多かったので
“そんなもんは、和服には向かない”と言われ突き返された。
そして、人々が持っていた書く道具は、
“筆”からようやく”鉛筆“に持ち替えた時代。
機械式の鉛筆はまだ早すぎて、なかなか使ってもらえなかったのである。
しかし、突き返されたのもなんのその。
「そうか、工夫が足りないな」と、創意工夫が始まる。
大きめのクリップをつけて自分が着ていた帯につけて見せたり、
クリップの代わりにリングトップにして、鎖や紐を通すとペンダントのように身に着けられるように工夫したり。
「金属だと冬には冷たく感じるから駄目だ」と突き返されると、手にしたくなるような美しい凹凸模様を自在に細工できる生産方法を自ら考案した。
さらに、ニッケル製、金メッキ、銀メッキと素材を使い分けて風合いを変えてみた。
そして、プラスアルファ機能の工夫。
今の時代に見ると「時代の先取り!」「なんだこれ?」と言いたくなるような発明品が誕生している。
筆記用具であるシャープペンシル。
『えっ?あれっ?ハサミ? なんでー?』
「はい、見つけましたか? そう、小さいハサミが付いたシャープペンシルありますね。
後ろの人も見えるかな?」
っていう合図で、前にいる子たちは条件反射的にしゃがんでくれる。
ともだち思いだね。
『じゃあ、その隣に並んでいるシャープペンシルは、先のところにガラスの棒が見えますか?あれは何かな?』
・・・
「ヒント! みんな、朝起きて、学校に行く前に測るんじゃないかなあ・・・今日も測ってきた?」
・・・
『体重!』
「体重・・・じゃなくてー・・・えっと・・・」
(そのコメントもいいよー。ほかの子のヒントになるから!)
『体温?』
(ほらね。)
「そう、正解! いつでも体温を測れる健康ペンシルでしたー」
「じゃあ、もう一つ隣を観てください。先のところに小さいお皿がついていますね。そのお皿には何が乗っていたと思いますか?」
うーんっと・・・ ・・・ ・・・
『どんぐり』
・・・
一瞬、やわらかなそよ風に触れたようなやさしい心地がした。先生方もきっと。
シャープペンシルのトップの小さなお皿。
ちょうど、どんぐりが一つのるくらいの小さなお皿。
実は方位磁石がついていたお皿だけれど、どんぐりが乗っていたっていい。
こんなに自由なイマジネーションで私にたくさんの気づきをくれる子供たち。
常識がなんだとか、ふつうはどうだとか、周りの人に蔑まれないように振舞わなくてはと、頭の中が凝り固まってしまった私にはできない発想である。
大好きー! って抱きしめたくなるけど、そんな非常識なことはやめておく。
どんぐりの余韻に浸っている私の背中をトントンと叩いてくる子は、もう目の前のシャープペンシルに興味津々だ。
『せんせ、せんせー (私は先生じゃないけどまあいいか)じゃあさ、あの小っちゃい数字がたくさん並んでるのは何ですか?』
「おっ、気づきましたね。 あれは、数字のリングをまわすと年月日を合わすことができる”万年カレンダー”付きです。」
『早川さん頭いいなー』
「新しいものをどんどん考えて作ってみるの、楽しかったかもしれませんね。
みんなの中にも、これから発明家になる人がいるかもしれませんよ。」
周囲の子と互いにキョロキョロ眺め合う。
“誰かな、誰かな。発明家になる子って?” と無言の捜索中。
何人かにつつかれて、「やっぱ俺かー」って照れ臭そうに名乗り出てくれる子、別の子を推薦してくれる子・・・
この空間で、どの子もちょっとだけ自分たちの将来を想像してみてくれたかな。
百有余年を経た今、“体温計”ではなく「ヘルスケアアプリ」や、
“方位磁石”ではなく「GPS連動するマップ」。
“万年カレンダー”ではなく「スケジュール管理機能」を備えたスマホを、誰もが持ち歩いている。
こんな日常の景色が、早川徳次には100年前から見えていたのかもしれない。
こうして工夫を重ね、36種類になった頃、貿易商館から大口の注文が入った。
すると、それまで相手にしてくれなかった問屋や小売文具店から次々と注文が入った。
18歳のとき、自身を含め3人、生まれの地、東京本所で起業した早川徳次の工場は、4年後、35人の従業員がフル稼働しても供給が追いつかないほどに、早川式金属操出鉛筆の需要が拡大していた。
創業から7年目には従業員が100人を超える。
いたずらに規模のみを追ったわけではない。
「早川式金属繰出鉛筆は、日常的に便利に使えるものだから、人々に届けたい、折角いただいた注文にお応えしたい」
そういう気持ちで、生産効率を上げる機械を次々と導入して市場ニーズに応えたのだ。
やっとの思いで軌道に乗った、早川式金属繰出鉛筆。
だが、人生、思うように上手くはいかない。
突然の別れ
妻と幼い二人の息子をはじめ大切な人々を、そしてシャープペンシルの事業をも、突然の関東大震災で失ってしまった。
あまりにも悲しい別れであった。
しかし途方に暮れるのも束の間、企業家である早川徳次には、残った従業員とその家族を養う使命があった。
シャープペンシルで取得した48種の特許全てを、当時大阪にあった会社に譲渡した。
自らは8か月間、同社へ通い生産指導にあたると共に、自社で育てた従業員たちが、引き続き活躍できる仕事の場をここに確保した。
苦労して築き上げてきたシャープペンシルの事業を、その権利と共に全て他社に譲るという決断の潔さ。
私利私欲なく、ただ大切な人を、従業員やその家族のことを思うからこその潔さ。
その潔い企業家の元へ、のちにあの時の従業員たちは全員、戻ってきた。
その心意気に敬服するのは当時の人たちだけではない。
110年の時を経ても、なお早川徳次の決断は、その行動は、私たちが仕事の中で行き詰った時、先へと進む勇気となる。
これを次の世代へと伝えたい。
うまく伝わっているだろうか。
次世代の人々が行き詰った時、勇気にしてほしいと願う。
さて、再起の地を求めて大阪へ移った早川徳次。
シャープペンシルで取得した48種の特許は全て譲渡してしまい、もはやこれを生産することはできなくなった。
初心に戻り、万年筆の金具を工夫して作り売り歩いた。
廻るコマは倒れない。
万年筆の金具が売れ始めると、歯科医や時計店から金属部品の注文がどんどん入るようになり、従業員数も30人を抱えて、活気が戻り始めていた。
日夜仕事に明け暮れながら、徳次は常に、新しい事業開拓の道を探していた。
あるときたまたま立ち寄った時計店で、米国製のラジオが2台、初入荷したところに出くわした。
― これからはラジオの時代だ ―
1台を購入すると、直ちに分解し、研究を始めた。
・・・はい、その様子がこちらです。
シャープミュージアム(歴史館)で、ゆっくりと回転する2つ目の模型。
小学生たちがぐるりと囲む。
「早川さんは、ヘッドホンをつけていますね。何をしているところだと思いますか?」
『えっと・・・音楽を聴いている?』
「そう、何か聴いているみたいですね・・・でも、まだ音楽は聴こえなかったかな・・・」
問いかけると、誰かが直感の言葉を発する。
『なんか実験してる?』
踏み込んでくれたらもう一歩。
「そうですねー。何か、実験しているようですねー。」
・・・・・・・・・(沈黙が流れる)
「音楽じゃないけど、ヘッドホンで聴いて実験ということは・・・?」
『ラジオ?』
「正解!拍手―!」
小学生のチームワークは見事だ。
言葉をヒントに自分たちで、正解にたどり着く。
前述の模型はヘッドホンをつけた早川徳次が、
モールス式手動電鍵を使って試音を送り、ラジオ実験をした様子を再現したものだ。
座っているのが早川徳次31歳。
震災、家族との死別・・危機に見舞われても、なお大切な人々を想い、コマを廻し続ける“凛”とした研究者の表情である。
シャープミュージアムでの60分はこんな光景の連続だ。
こんなに自由闊達に議論し合える仲間が集まったら、この子たちは近い将来、何かを生み出すかもしれない。
限界の無い可能性を秘める子供たちは眩しい。
ゆっくりと回転する早川徳次の模型を観ながら、100年前の研究者の想いを感じてもらう。
「でもね、皆さん覚えていますか?早川さんは、小学校を1年生までしか行くことができなかったし、この頃の日本は、テレビもインターネットも無い時代、ラジオの仕組みを調べるには、とても苦労しました。
けれども、早川さんは小さい時から学んできた金属のことはよく知っていたんですね。
で、外国からやってきたラジオを研究してどうなったか。
それが、あちらです!」
このあと、ラジオを研究した早川徳次と、その想いにふれた100年後の小学生たちはどうなったか、もしもまた機会があれば、ぜひ続きを紹介したい。
【続報】
この物語の続きを公開しました。ぜひご覧ください!
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・シャープミュージアムに関する記事