にじいろ

社会福祉士、精神保健福祉士、介護支援専門員の資格を持ち、20年以上ソーシャルワーカーと…

にじいろ

社会福祉士、精神保健福祉士、介護支援専門員の資格を持ち、20年以上ソーシャルワーカーとして勤務 中途障害を持つ父と認知症の母の介護経験あり 経験があってもいざ当事者になるとこんなに困るのか。。。って経験をしつつ。 せっかくなので、誰かの何かのきっかけになればいいな。

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相談業務って楽しい

私は天職だと思うくらいこの仕事が好きです。 やりがいと好きって気持ちだけで続けてます。 病院って専門職の集まりで、MSWって病院によっては扱いが事務員さんみたいなところもあって。多分、上司の考え方なんだろうけど。 長く続けていて立場のあるMSWが上司なり先輩だといいけれど、周りを見ても定着しないなーという印象も強いです。 だから、扱いによっては心壊れそうになる。(なりました) でも、相談業務好きなんです。 たまにわがまましか言わない家族さん、全部先延ばしにする家族さん、

    • 初七日

      あっという間に初七日を迎え。 私の気持ちはまだまだ落ち着かず。 もっといい選択肢があったんじゃないかって。そればっかり。 父に会いたい。 父の笑顔が見たい。 父と話したい。 父に触れたい。 そんなことばっかり考えていました。 会いに行くのが日常になりすぎて、それが日常から無くなってしまいどうしていいか分からなくて。 もちろん、父がほんとに頑張ってくれたことも全部わかってるけど。 遊びに行くのもやめて実家の片付けとか父を想う、偲ぶ時間として過ごすことにしました。 今できることは

      • 認知症の母に父が亡くなったことを伝える②

        とりあえず施設からうちに着いて。 でも、やっぱり父に会わせたいと思ったので一緒に父に会いに行きました。 会場に着いて、父が亡くなったことを伝えると 「あらまぁ」とは言うものの伝わってないなーって。 実際父に面会するとなんとなく察したようで、「おきてー」とか言うけど反対に父とわかってない感じ。父に触れて「わぁ」って冷たさにびっくりして。何も分からない子どもみたいな反応。 悲しいことなのでそんなに刻みつけなくてもいいかなと思ったので、一旦自宅へ。 その後母から父の話が出ること

        • 認知症の母に父が亡くなったことを伝える①

          父が亡くなり事務手続きがたくさん。それも全て初めてすることばかり。 業者さんがとても丁寧に教えてくださったので滞りなくすることは出来ました。 姉が遠方にいるのですが、何もやらないけど責める人なので業者さんと相談して決めたけど姉が気に入らなければもちろんやり直しです。 ほぼ全てが決まった頃(お昼すぎ)姉がやってきて 「私が長女です。喪主です。」と登場(笑) なのであとは任せました。 それ以外にもやることがたくさん。 母の施設に連絡し、外出許可を取り。式当日に着る母の服を準備

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        相談業務って楽しい

          自慢の父

          具体的に施設に相談を進めますね。 とICがあった約1週間後、病院からすぐにきてほしいと連絡が入りました。 ICの日、たまたま面会時にリハビリの時間がきたので車椅子に乗り移り座っている父を数ヶ月ぶりに見ることができました。 全介助だけど1人介助で立位も取れてるし思ったより弱ってないねって話していたのに。 前日にも面会しておしゃべしたのに. もうちょっとで母に会えるよ。一緒に生活できるようにみんな協力してくれてるよって話したのに。一緒に笑ったのに。 病院から連絡が入り、仕事

          キーパーソンとしての役割

          別々の老健入所中の両親。 父は在宅介護ができなくなったのをきっかけに老健へ入所しました。 母は独居生活ができなくなり、一旦専門病院へ入院。 先生のおかげで不安定だった母も穏やかな母になり、退院先をどうするかということに。 すぐに一般の老健は難しいかもしれないとのことで併設の認知症専門老健へ入所することになりました。 在宅生活の時から母は私に対してはよくある近くの家族の扱いで。 何もしてくれないってご近所さんに広めたり。 ものを取っていくって話したり。 でも、買い出しをした

          キーパーソンとしての役割

          MSWという専門職としての役割

          この仕事をしていて、自己決定ができるための支援って本当に大切だと思ってます。 言われたことじゃなくて、自らいくつかの選択肢から選んだことってあとから不満になりにくい。誰かのせいにもしづらい。 私は基本的にどんな状態でも在宅介護はできると思ってます。 もちろん誰でもできるわけじゃなく、希望したらできるって言ってるわけでもなく。 でも、できると思います。 やから、「この状態では家には帰れないです。」という言葉は使いません。 本人が家族がどんな条件を最優先に考えるのか。それ次第

          MSWという専門職としての役割

          病院のスタッフだけど患者さまの立場でいたい

          MSWの仕事をしながら家族の入院時にキーパーソンをすると色々見えてくることがあって楽しい。 実は職場が自宅や実家の近くなので家族の担当MSWさんと顔見知りだったり、お電話で何度もやり取りをしている方ということも多くて。 やりにくいかなと思ってバレてなさそうだったら素知らぬ顔をしてるんだけど、長くしているとなんだかんだばれてしまって。 前にあえて素人さんっぽく専門用語を使わずに話をしていたんだけど、最後に〇〇病院のにじいろさんですよねって言われてめっちゃ恥ずかしかったことも。

          病院のスタッフだけど患者さまの立場でいたい

          急性期病院でのMSW

          最初に就職したのは急性期病院でした。かれこれ20年以上前で病棟看護師さんたちにはまだまだMSWってなに?は?みたいな存在。 先輩MSWはうまく対応していたようだけど、新人MSWは見えてないという扱い。 病棟に行ってカルテを見ていても完全邪魔者。 Dr.の方が理解しようと頑張ってくれていたなー 先輩の指導もめっちゃきつくて、普通に20時くらいまで残業した後に週に2回のロープレ、翌日までにテープおこし。通勤2時間くらいかかっていたので、そりゃまハードな生活でした。 どうしても退

          急性期病院でのMSW

          MSWになる

          社会福祉士になる!と決めてからは学校探し。すでに短大を卒業し仕事をしていたので真っ当に大学入試をしても現役の高校生には追いつけない。 色々探した結果、社会人入試制度を受験することにしました。 その頃はまだまだ限られた中でだったのでその時の年齢で社会人入試ができる社会福祉学科のある学校は数えるほどしかなく。さらに数年間の社会人生活でためた貯金を頼りにしなくては行けなかったのでとても私学にはいけず。 でも、なると決めた以上予備校にも通い本気で勉強しました。 結果、無事某県立

          在宅介護25年が終わる

          なんだかんだ無理をしながらも在宅介護生活を続けていました。 要介護5 身障1級 老夫婦2人暮らし 父が数年にわたり数回の誤嚥性肺炎での入院 その頃には母の認知症も周りから「あれ?」くらいは気になる感じで。 虫が見えたり。私がドロボーになったり。失くしものが増えて警察に呼ばれたり。 父を任せるの難しいなと思って、入院したタイミングで施設入所にしました。 (母は認知症の自覚もなく、自分で出来てると思っているので、激高。) 父の在宅生活は父の病状より介護者側の母の状況で終了と

          在宅介護25年が終わる

          きっかけ

          父のこと 父はとにかく家庭を家族を大切にしてくれる人でした。 私が小学生になった時に「子どもと休みが合わないと子どもと過ごせない!」と言って大手住宅メーカーを退職。父の持つ資格を活かして転職しました。 阪神淡路大震災の年、仕事が忙しく体調不良のまま働いていて、休日診療に行った病院で即入院。 その後は日に日に悪くなり、1週間後には車椅子。2週間後にはICU。 急性期もみれる系列の病院に転院、即挿管、人工呼吸器、腹膜透析。 10分間の心肺停止→片麻痺、言語障害。 父の職場に