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[Real Sound寄稿記事] 新海誠が『すずめの戸締まり』で試みた“脱RADWIMPS” 昭和ポップスの起用や共同制作者を迎えた意味

Real Soundに65回目の寄稿をしました。今回は新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』の音楽について。ボーカル曲を減らし、徹底的に映画音楽として溶け込んだRADWIMPSやその他の劇中曲がもたらす演出効果について考えてみました。

今回の記事、もう1パターンを勝手に用意してまして、それは昭和歌謡のくだりのみで書き切るというもの。せっかく書いたんでここに載せます。サイト上での2ページ目を以下の文章にするイメージで読んでみてください。

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これらの劇中曲が果たすもう1つの役割があるとすれば、それは記憶や思い出を喚起するという効果だ。

『すずめの戸締まり』の主要な舞台は全国各地にある廃墟だ。時間を止めた景色が持つ記憶というものが物語を大きく動かしていく。そんな“思い出”を扱った映画の中だからこそ、リアルタイムでこれらの音楽を聴いていた世代の人々は懐かしく思ったり、また若い世代はたとえば親がカーステレオから流していた音楽として受け取るかもしれない。あらゆる世代の多くの人にとっての普遍的な思い出のモチーフとしてこれらの楽曲は強く作用し、忘れかけていた記憶と再会を果たすという作品のストーリーラインを疑似体験できるのだ。

逃れられない震災の恐怖と正面から向き合い、また家族の結びつきや多くの人々との交流を描くなど、これまでにない趣向を持つ映画だからこそ、RADWIMPSもそれに応える形で共同制作者に陣内一真を迎え、今までにない音楽のアプローチで作品に溶け込んでいる。

それゆえエンドロールで流れる野田洋次郎の歌声による「カナタハルカ」もまた強く印象に残る。これまでの作品の主題歌に近い“君と僕”を歌うラブソングだが、様々な出会いを描き、様々な愛の形を見せた映画の後だからこそ、「カナタハルカ」は大きな愛の起点として物語全体を包み込むに相応しい響きをもっているのだ。

“脱RADWIMPS”という演出がむしろ、RADWIMPSの存在感を際立たせるという1つの境地に達したかに見える新海誠とRADWIMPSの関係性。次があるのか定かではないが、また導かれさえすればきっと邂逅を果たすはず。「すずめの戸締まり」はそんな強靭な信頼が見える作品だった。


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