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2012 to 2022~ガールズポップの行方

「2012 to 2022」は10年前に発表された作品を起点にして、この10年間の作り手やシーンの変容についてあれこれ記していく記事のシリーズです。


ガールズポップの定義?

滅多に言及されなくなったジャンルの1つに"ガールズポップ"というものがある。ガールズバンドという呼称にも違和感を持つようになった今の感覚からするとその名称にも何だかなと思うし、まずもって概念が広すぎる気がする。ただ10年前から南波志帆を形容する際に"ガールズポップ"という言葉が使われてきたのは妙にしっくりきたし、YUKIがガールズポップの確立に貢献した、と起源不明の歴史がwikipediaに残っているのもちゃんと納得できる。

元々、60年代から洋楽の女性歌手(グループなど)を括ってガールズポップと呼称されていたようだが、こと日本においては1990年代からソニーマガジンが提唱した概念として「GiRLPOP」があったとのこと。同名の月刊雑誌もあり、CDブームとともに隆盛を誇っていたが廃刊。その後、2011年から季刊誌として刊行されたがそれ以降はアイドル中心の構成になっていった。2010年代に入ると世はアイドル戦国時代。ガールズポップの定義をYUKIに沿い、"ガーリーで個性的であるがアイドル的な戦略で売らず、時に楽曲提供を受け、時に自身でソングライティングをしながらポップスを歌う"ということとすれば、2010年代に入ってからそのような装いのシンガーは激減したと思う。

ボーイズポップという言葉はないがガールズポップはある、この謎の現象に理由や結論をつけることは難しい。しかしこのラベルがあることによって引き寄せられる層が間違いなくあるからこそ、ガールズポップは今まで細く長く生きのびてきたのだろう。サブカル嗜好のシスヘテロ男性として生きてきた身からしても、上質なポップスの中にある女性的なキュートさや美しさを音楽的価値と一緒くたにしてしまう感覚は理解できるし、その側面が音楽なクオリティを追求していくアイドルカルチャーの発展にも繋がったのではないかと今となっては思う。単に女性が歌うJ-POPと言うわけでもなく、棲み分けられたこのガールズポップという分類について今一度10年前から辿りながらざっくりと所感を記してみる。


2012年3月のガールズポップ

本稿は「2012 to 2022」シリーズの3月分なので2012年3月の作品を起点としてみる。先述の通り、当時、純粋な意味でガールズポップを体現していた代表は南波志帆なのではないだろうか。2008年のデビュー以降、その透き通ったたおやかな歌声が話題を集め、矢野博康を始めとした渋谷系アーティストからの良質な楽曲を歌い続けた。2012年3月にシングル「少女、ふたたび」をリリース。矢野博康作曲、小出祐介(Base Ball Bear)作詞の布陣で彼女が歌ったのはタイトル通り、当時18歳の彼女を投影したかのような複雑に揺れる心象だ。ダンスは踊らずに歌に徹するスタイルもガールズポップそのもの。彼女は特にアイドル的所作には慎重で、2013年頃から竹中夏海の振り付けによる「舞い」として曲中に少しずつ踊る動作を加えたりもしていた。


同じく2012年3月、ハナエが「BLACK BERRY」をリリース。ゴシック&ロリータを追求したアーティストイメージとダークで甘美かつ退廃的な楽曲は印象深い。そして本曲では亀田誠治をアレンジャーに迎えており、世界観を深く作り込んだガールズポップであった。本シングルまでは自身で作詞作曲を担当していたが、次のシングル「神様はじめました」以降はしばらく真部侑一(ex.相対性理論)がほぼすべての作詞作曲を担当。ウィスパーボイスを活かす楽曲を作り、ビジュアル面では彼女自身の趣味嗜好を強く反映する。セルフプロデュース力に長けたガールズポップシンガーだったと言えるだろう。


そして同じく2012年3月。アーバンギャルドが「生まれてみたい」をリリース。"トラウマテクノポップ"を志し、男女混声という時点でガールズポップの定義からは外れるように思えるが"少女"をモチーフにした毒々しい楽曲を首謀者の松永天馬が制作し、ボーカル浜崎容子がその楽曲世界を体現していくこのフォームに着目すれば、バンド内で楽曲提供と歌唱が完結した純然たるガールズポップとも言えるだろう。「生まれてみたい」は、処女性に固執していた世界観からひとつ踏み出した祈りのイメージが浮かぶ1曲。常に自分たちに対しても批評的だったという点でも非常に特殊な構造を持っている。


テン年代の潮流

2012~2013年にかけて。サブカル寄りのガールズポップは無数にあった。印象派、禁断の多数決、転校生、さよならポニーテール、、、正体不明であったり、集団として流動的であったり、その形式は様々だが本当に多く、ギターロックにやや飽きつつあった自分にとっては未知の音楽体験が眠る宝の山のように思えた。このシーンの盛り上がりは振り返れば相対性理論の影響が強大だったのではないかと推察する。ミステリアスかつシュールな部分もある強度の高いポップミュージックが市民権を得たことでこの勃興が起こったのだと思う。また規模的にはややズレるがPerfumeの大ブレイクもテクノポップやシンセサウンドの復権に繋がっていた面もあるだろう。


当時、邦楽ロックのバンドシーンでもたとえばパスピエはどちらかと言えばガールズポップ文脈にも近接していたように思う(デビュー時のコピーはポスト相対性理論であった)。そして2013年デビューのふぇのたすは首謀者のヤマモトショウが”可愛い"を軸に楽曲制作を行っており、ガールズポップをメタ的に取り込み始める動きも見え始めた(この後、ヤマモトショウはアイドルグループへの楽曲提供が活発になる)。また泉まくらなどのフィメールラッパーも、インディーズシーンのガールズポップという大きな括りの中にいた印象だ。ただ、この界隈は一大ムーブメントまでは至らなかったように記憶している。


これはももいろクローバーZを皮切りに、でんぱ組.incや初代BiSが台頭したアイドルブームの影響が大きいと思われる。当時はガールズポップとアイドルのファン層は非常に近しく、ともすればガールズポップはアイドルを内包する概念であったが次第にアイドルの存在感を(恐らくはビジネス的な面の強度もあってか)増してきたのではないだろうか。2013年にヒャダインが「ガルポプ!」なるラジオ番組を開始したが、それに端を発したNHKの番組で紹介されたのは乃木坂46、でんぱ組.inc、チームしゃちほこ、LinQといった面々であった。またmiwaや住岡梨奈を筆頭にしたギタ女ブームの到来もこの頃であったと思う。そんな様々な潮流の傍ら、ガールズポップを代表するアイコンが頭角を現してきた。


2014年頃からバズを起こし始めた水曜日のカンパネラだ。コムアイが"主演"を担当し、ケンモチヒデフミが楽曲提供、Dir.Fがプロデュースを務めたユニットである。元々はアイドルグループを作ろうとしていたという経緯があり、その構造もガールズポップ的ではあるが、楽曲のトリッキーさやコムアイの"少し変わったタレント"的な振る舞いは匿名性が高く神秘的だった当時のガールズポップの流れを一切無視した、唯我独尊状態だった。コムアイ躍進の少し後、ラッパーDAOKOが2015年にメジャーデビュー。宅録出身とは思えないほど、J-POP的意匠やポップスシーンからの楽曲提供にも真っ向から染まり、2018年には米津玄師による「打上花火」で紅白歌合戦出場を果たした。この2人がガールズポップの歴史を大きく変え進めたように思う。


2022年3月のガールズポップ?

そして現在。2022年3月のリリース作からガールズポップ的意匠の作品を聴くと、どれもセルフプロデュースの側面が強いものが多い。さとうもかは編曲を外注しつつ自身のソングライティングで多彩な楽曲を生み出し続けている。DAOKOはDaokoと名を変え、気鋭のトラックメイカーYohji Igarashiとのタッグで3月にEP『MAD』をリリース。攻撃的かつ幻惑的なサウンドとコケティッシュなラップは、初期のdaoko時代にも通ずるクローズドでアンニュイな雰囲気が漂っている。2人が知り合ったのはYaffleや小袋成彬擁するTOKAのコライトキャンプ。大人を介さないアーティスト同士の交流によって生まれたという点で、10年前のガールズポップの成り立ちとはまるで違う。


一方、"大人"がいたからこそ生まれた数少ないこの時代の逸品もあった。2010年代を代表する1曲「水星」が、90年代の名曲「今夜はブギーバック」とマッシュアップされた楽曲が「ほろよい」のCMに起用され、今月リリース。このボーカルの1人に、元Shiggy Jr.の池田智子が起用されていたのはとても嬉しかった。テン年代中盤、シティポップの流れとウェルメイドなJ-POPの流れの交差点で試行錯誤し、数々の名曲を生み出したバンドであるがフェスロックともおしゃれバンドとも定義できない、ガールズポップ的な懐の広さ(それが魅力であるのだが)ゆえに戦いきれなかったシギジュニの歌声がいまなお健在であり、輝きを放っている事実は当時を知る身としては喜ばしい。


また、2020年代に入って更に勢力を増したボカロP勢とのタッグも目立つ。花譜はバーチャルシンガーという、2010年代の"匿名性高いガールズポップ"の流れを汲みつつ、VTuberという近年のムーブメントを取り込んだ歌手であり、yamaの「春を告げる」を書いたくじらとのタッグで「春陽」をリリース。ちなみに先述のハナエは2018年に八王子PとのユニットKUMONOSUを結成。女性ボーカルとボカロPの相性はYOASOBIのブレイクにより保証されており、旧来のガールズポップの定義に近いのがこの形態の音楽かもしれない。


個人的にはナナヲアカリこそボカロ以降に現れた純然たるガールズポップと解釈している。映像やアニメーションを打ち出しつつも、あくまで彼女の主体性が重要視されている点において特にそう思う。どこか自堕落で、面倒な感情にまみれたアーティストイメージとボカロPやロックバンド界隈から提供を受けた情報量の多い楽曲群は2012年のガールズポップから直系で進化を遂げた存在のように思う。最新曲は、でんぱ組を始めとするテン年代アイドルシーンのキーマンでもあるWiennersの玉屋2060%が担当した「全部ホントで全部ウソ」。スピーディーかつハイテンション、なのにどこか陰鬱した不思議なバランス感。少し、世に出るのが早すぎたのかなとも思う存在だ。


ガールズポップの行方、などと題につけたが常に流動的なこのシーン。あくまで自分の感じてきた10年の記録であるゆえ、個人的な想いも数多く入っており論の展開はざっくりしている部分もあるが、だからこそ読んでいただいた方の意見なども取り入れ、2010年代ガールズポップとは何だったのか、ということを総合的に考えていけたら、と思う。最後に1つ。やはり南波志帆の音楽活動の無さは寂しくてならない!あの歌声をまた聴けるようになるムーブメントは訪れないだろうか。ガールズポップというラベルが剝がれてもなお、その輝きは当然失われるはずがない。再生する日を楽しみに待つ。


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