「感情」のありか

どうも、斜陰です。

はい今回はですね、これまでずっと僕の頭を悩ませてきた「感情」について少し書いていこうかと思います。まぁ悩ませてきたと言っても未だに明確な答えが出ているわけではないんですけどね、うん。まぁなんていうか、あれです。とりあえず今の僕が「感情」に対してどう向き合っているのかをここに残しておきたいなぁって思いまして。あくまで一時的な処置です。



はい、というわけで早速本題の方に移ります。

と言ってもいきなり真に迫れるわけもなく、まずは僕の昔話からしていこうかと思います。

僕は昔からシャイで、みんなと一緒にワイワイ遊ぶよりも1人遊びの方が好きな子どもでした。あの頃の僕はよく1人でブロック遊びをしたり、工作をしたり。今思えば、「自分のペースで物事を進めていく方がいい」という僕はここからきているのかもしれません。もちろん、いつも1人でいたいというわけではなく、時には友達同士が戯れている様子を見て自分もその輪の中に入りたい、なんて思うこともありました。でもそれは僕にとって「隣の芝生は青く見える」的な何かでしかなかったのです。その輪に自分が入ったところで何かが変わるわけでもないし、何か特別な意味を持つわけでもないし。要するに「そういう」のがつまらなかったのです。

まぁつまり僕は、小さい頃から他の人と「感情」を共有する経験が少なかったということが言いたいわけです。

そんなわけでその後も他人と「感情」を共有する経験が少ないまま、すくすくと成長していくわけですが…

物心ついたころから僕はある違和感を感じ始めます。



「楽しいって何?」



確かこれは、僕が他人と会話したり、行動したりしていたときに感じていたものです。なかなかこの感覚を言葉にするのは難しいのですが、なんていうか当時の僕は誰かと話していてもそれを純粋に楽しいと思えることができませんでした。他人との「感情」の共有に何か意味ががあるとは思えませんでした。つまり、他人との感覚の共有に対して自分の「感情」が見いだせなくなってしまったのです。



だって、わからなくないですか?

自分が何を感じて何を考えているのか?

なぜそう感じるのか?なぜそれを考えているのか?

そもそも、それを感じている、考えている「自分」って誰ですか?

いや、わかんないじゃないですか?

今こうやって文字を打っている自分は誰なんですか?



そんなことを繰り返していくうちに僕は「感情」がどんなものなのかわからなくなってしまいました。

つまり、どんな時に「楽しい」って感じて、「嬉しい」って感じて、「悲しい」って感じるのか。もし「楽しい」って感じたとしても、自分はどんな表情をしてどんな風に体を動かせばいいのか、わからなくなってしまったんです。

それ以来、僕は人とのコミュニケーションの仕方が分からなくなってしまいました。どんな表情をして人と話せばいいのか、何を話せばいいのか、何が楽しいのか…

いまだに僕にはわかりません。


でも、何に対してもわからないわからないと言って、その場で立ち止まっていても前には進めませんから。とりあえずの自分を作って他人と接しているわけです。正直なところ、自分でも「自分」がわかりません。というよりむしろ、自分の方が他人より「自分」のことを理解できていないという方が正しいのかも知れません。

はぁー、なんだかなぁ。

もうなんていうか、この感覚を言葉で伝えるのが難しいことは書く前から十分理解していたつもりですが、やっぱり難しかったです。

自分の文章が拙いこともあり、この感覚がちゃんと伝わっているのか不安でしょうがないです。



まぁ自分への批判はさておき…

おそらく自分はこれから先も「感情」の正体について考え続けると思いますし、「自分」の正体というものに一生悩まされることになるでしょう。

でも、そうやっていつまでも追いかけ続けることのできる何かがあるのは、僕にとってすごくすごく幸せなことだと思うんです。と、この先も何か出てきそうな予感はしますが、もう書くのに疲れたので今回はこのあたりにしておきます。

なにはともあれ、僕はいつまでもありのままの自分でいたい。


今はそんな気分です。





あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、もうわっかんね(本音)

最後まで読んでいただきありがとうございます。 皆様から頂いたサポートは今後の自己研鑽のために使わせて頂きます。 僕の書いた文章で何か少しでも感じていただけたら、僕にとってこれほどうれしいことはありません。