見出し画像

俺は〇〇世代って呼ばれたくないし、いろんなやつを認められるような人になりたいんだ。

なんとか世代、とかって言葉をよく聞く。

 よく聞くというか年がら年中いろんな人が使っている。

 団塊世代、バブル世代、ミレニアル世代、ゆとり世代、、、


 いろんな年齢の人がいろんなカテゴリーにあてはめられて、

団塊世代は、努力ばっかり押し付けてくる、、

 とか、

 そんなことでへこむなんて、やっぱりお前はゆとり世代だな~

 とかそういうの。


 なんかこういうのって、うざったいよね。


 人それぞれは違うのに、こうやって画一化されていく。個性を大事にする、みたいな教育・風潮がはじまったのに、大人たちはまだこういう世代のイメージを引きずっている。

 例えば、僕らの世代(2021年時点で、20~21歳)は、ゆとり世代。

 そして最近生まれたカテゴリーでは、Z世代というのも当てはまる。


 Z世代というのは、1996年以降に生まれた人たちのこと。

 いろいろ見てみよう。(この記事を参照しました。)

 その特徴(?)としては、まず、インターネットの使用にすごく長けている。これは当然。だって、僕の場合は生まれて少し経ったとき、すでにもう家にデスクトップパソコンがあったし、小学校低学年ぐらいのころからYouTubeを観ていた。

 次に、リアリストである。バブル崩壊後に生まれた僕らは、就職氷河期やリーマンショック、少子高齢化などの社会問題を目の当たりにしてきた世代。だからこそ、未来に希望など見れず、お金持ちになりたいというよりは、まともな生活を送りたいと思っている。また、「モノよりもコト」に重きを置く。つまり、物質そのものよりも、体験自体を重視するということ。これは、物質ではないデジタルに慣れてしまっているがゆえに、なにかを体験することの方が重要だと、本能的に思っているのかもしれない。

 次に、人権と多様性を意識していること。ブラック企業やLGBT、ブラック・ライブス・マターなどの言葉が生まれた時代を生きている僕たちは、それらがどれだけ重要なのかを、たくさんの情報をもとに理解してきた。だからこそ、社会問題に異を唱える若者が多いのかもしれない。


 ざっとこんな感じだ。ほうほう。

 わかる部分もある。

 たしかに今の若い人のほとんどはネットに親しんでるし、考え方がリアリスト的な人も多い。特に僕の周りは多い。教師になりたい人、医者になりたい人、公務員になりたい人。歩むルートがある程度決まっている人がたしかに多い。(これらはどれも素晴らしい夢だと思う)僕の周りの人の多くは、夢を語らない。バカみたいな夢や、「いや無理無理ww」みたいな野望を抱いている人はほとんどいない。(いるにはいる)


 だが、こういう「世代別ジャンル」を好んで使う人(特に中年)が見落としていることが一つある。それは、ジャンル分けへの反逆者だ。

 どの世代にもいるだろう。自らをジャンル分けされることを極端に嫌い、アウトローな生き方をしている人が。もしくは、反逆まではいかずとも、世代ごとの違いを認識しつつも、自分の世代とのギャップに憤りを覚えないような人たちだ。

 もしあなたの周りにそういう人が一人でもいるのなら、すごく大切にするべきだ。

 いない?自分よりも20歳ぐらい上なんだけど、自分の世代への理解が十分にあって、その人の世代特有の寒いユーモアも言わず、リベラルでフラットな人。


 僕にもそういう人が何人かいる。その中でも最も古い付き合いなのは、小学生のころから髪を切ってくれている、美容師のおじさんだ。

 その人は本当に頭がいい。インテリというかは(僕が知らないだけでインテリなのかもしれないけど)、すごく教養がある人だ。

 その美容師さんとは、髪を切ってもらっている間、いろいろな話をする。

 音楽の話、ラジオの話、映画の話、大学の話、海外旅行の話、修業時代の話、大人についての話、最近腹が立った話、とかとか。

本当に話題がつきない。なんならたくさん話したいから、ほとんど黒髪、もしくはかなり暗い茶色ぐらいなのに、あえて黒染めをお願いしてしまうぐらいである。(バカやろ)

 ついこの前、髪を切ったとき、こんな話をされた。

 この前、なんかの本で読んだんだけどさ、人って年齢が30歳違うと、モノの考え方がまったく違うらしいよ。結論も、それまでのプロセスも。特に出来事への感じ方はまっったく違うらしいよ。すごいよね。だから、僕も見習いの研修生とかと話すときはすごく気をつけてるんだよね。言い過ぎないようにしようとか。僕が研修生のときは毎日クシ投げられるぐらい怒られてたし、それを別に何とも思ってなかったけど、今の人はみんな違うよね。僕みたいに気にしない人もいるし、ダメになっちゃう人もいるしさ。いろいろ方針が変わったから、今はいろんな人がいておもしろいよね。

 僕は、クシ投げられる教育で育ってきたけど、それはやっぱりよくなかったよね。僕らがそれのギリギリの世代だったから、それを引き継いじゃっているか、そうじゃないかみたいなとこが、僕らの世代の分かれ道だと思うんだよね。

 今思い返して、断片的に書き起こしてみると、すごくいいことを言っていたことに気が付いた。

 でもたしかその時僕は、

 クシ投げられたんすかwww

 ピュー~!って飛んだんすかwww


みたいなクソしょうもない返しをしたのがすごく申し訳ない。


 この美容師さんは、方針(社会の在り方)が変わったから、いろんな若者が存在できるようになった、っていう風に主張しているところが、すごく共感できる。

 この世には、少なくとも僕が出会ったことのある40年代以降の人の中には、変わった若者が増えてきたから、社会も変えていかなきゃいけない、って考えている人がけっこう多い気がする。

 これに関しては、僕がどっちが正解かを出すことができないから、なんとも言えないけど、僕は美容師さんの意見に賛成したい。


 あと、きつい指導を続けているか否かみたいな部分が、世代の分かれ道っていう指摘もかなり納得できる。僕の母親も、美容師さんとまぁまぁ近い世代で、よく言っているのは、学校で頻繁に体罰が行われていたということ。

 これも今は問題視されている。でも、今でも体罰ギリギリの指導を続けている大人が、学校や職場(アルバイト先も)にはけっこういっぱいいるのだ。

 昔はなんともなかった指導や、後輩へのおふざけみたいな行為は、今ではパワハラやセクハラと呼ばれ、糾弾されるようになった。

 こういう行為をしてしまう人は、美容師さんの言う、分かれ道を時代の流れとは逆らった方向に進んでしまっている人たちだ、と思う。

そういう教育を受けた人たちは、そういった人との接し方、人への指導が当たり前になり、彼らの一種のアイデンティティになっているのかもしれない。

 だから簡単には変えられないし、ほとんどの人はやめられないんだと思う。

 僕らはそういう人たちと、どうやってやっていくべきか?


僕ら、Z世代は、これからこの「世代別ジャンル」と戦っていく世代なんだろう。

「団塊世代」や「ミレニアル世代」などという大層な名前を付けられた一つの枠は、その世代の人々を、「同調性」という色仕掛けを使って凝集し、懲り固めてしまう。その枠の中は、同じような教育・体験を、受けた・した人が多く、どれだけ居心地がいいだろう。「世代あるある」に踊らされている人々は、その枠から抜け出すことはできないのだ。

 自分たちのアイデンティティを長い時間をかけて醸成した後は、それに反する他の枠を攻撃しに行くのだ。おい若者、それは間違っている、これはこうしなさい、と。

 僕らは、この枠を取っ払うことはできない。しかし、その攻撃をやめることはできるかもしれない。僕ら若者はいつも、その攻撃を受け続けてきた。だけど、僕らの世代は、それを終わらせる準備がすでに整いつつある、と思う。

 いろいろな人がいてもいい、とようやくされはじめた社会の中で、僕らは何ができるだろう。

 それを模索し続けながら生きるのが、Z世代であってほしい。


小金持ちの皆さん!恵んで恵んで!