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ChatGPTと向き合う姿勢の違い

どうも稲本です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。普段から毎日noteを更新したり、ポッドキャストを週一回リリースしたりと日々情報発信をしています。よかったらフォローやスキ、コメントいただけると嬉しいです。ツイッターのフォローもお願いします!

いわゆるクリエーター以外もChatGPTを触る人が増えてきたなという印象が最近強くあります。僕の周辺のあちらこちらからも「ChatGPT」というワードが聞こえるようになってきました。

気持ちとしては半分、「聞こえるようになったということは、その先が生まれてるんだろうな」と思うんですが、それはまた今度の話題として、ChatGPTと向き合う姿勢の違いを感じることも増えてきたので、今回はその件について書いてみようと思います。

僕の周りに限ったことなのかもしれませんが、ChatGPTとの向き合う姿勢には大きく2つあるように思います。1つは、自分を拡張する道具として。もうひとつは、手を抜く道具として・・・です。

自分を拡張する道具として向き合う姿勢

自分の考えをまとめるとか何かの資料をまとめるとか自分自身にプラス向けた改善や目の前にある解決すべき課題がある・・といった人の使い方はこの自分を拡張する道具として向き合っているように思います。

例えば、ChatGPTを使ってブレストを行うとか、記事の要約を行なってもらって調整するとか・・・

このパターンの向き合い方の場合、ChatGPTからの出力は未完成で最後は自分が仕上げる・・というようなワークフローになる気がします。

手を抜く道具として向き合う姿勢

変わって・・・やはり手を抜くための道具とて向き合ってる人もいます。自分でやるのが面倒くさいからやらせる・・みたいなクチです。だいたいこういうスタイルの向き合い方の場合、ChatGPTからの出力がゴールだったりします。いや、そこに完成系を求めます。

結果、評価がおかしくなる=使えないという声を出したりするのですが、そりゃ少し違うぜと言いたいところです。

このスタイルでChatGPTに触れている人は要注意です。これら人工知能との関わり方で「手を抜く」という発想の先には「思考停止」が待ってる可能性が高いからです。

自分で考えないという癖がつきやすくなるような気がします。気をつけましょう。


正直、この向き合い方の違いは一つの分岐点になっているように思います。あなたは思考するのか思考しないのかです。
ChatGPTをはじめとする人工知能が生またことで、「考える」というものに対しての向き合い方を問われているようにも思います。

僕は、考え続けたいほうの人間なので、考え続ける人間でいたいので、前者の向き合い方に注力していきたいと思っています。

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