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発信する側の心が試されている

2022年3月6日のお昼13時。
このnote記事を書いていますが、
ちょっと世界がいろいろ大変なことになってきてます。

もともとはここ数年、
新型コロナという厄介なやつのせいで、
生活自体が大きく変化しました。
生活が変わったもんだから価値観についても
大きく変わりました。

その中には情報の取得の仕方とか
権益を持っている大きな側からの発信情報に対して
これまでのような絶大な信用を
もつことも少なくったように思います。

遠回しすぎますので、直球で言うと、
マスメディアから発される情報の信頼度が下がった
ということです。

これまではそんな発想すらなかったでしょう。
面白いもんです。
急に信頼に値しない情報を出してきたわけじゃないのです。
じわりじわりと一般消費者は手もとの情報のほうを
信頼するようになったわけです。

これは単純に選択肢とも言えます。
これまで情報の選択肢が少なかったから
盲目的に信頼してたのかもしれません。
今は情報の選択肢が多いです。逆に言えば多すぎます。

そんな時に僕らは情報に対してどう接すればいいのでしょうか?
なかなか難しい問題だなと思います。

知る必要はある。
でも知ろうとする情報は本当に正しいのか
真実なのか、事実なのか
知らないほうがいいのか?
フェイクと言われるような情報と
本当の情報をどうやって判断すればいいのか?

フェイクかどうかを判断するために
また新たに情報を求めて、
でもその情報が正しいとどうしていえるのか。

結局は発信者をどれだけ信用できるかという
ことになってしまいますね。

発信者の代表ともいえる
各種メディアは情報の裏側をきちんと分析して
あまたある多くの情報を取得している僕らを
正しく導いて欲しいなと思います。

ぶっちゃけそこに求められるのは
スピードではなく正しさです。

今メディア自体もスピードが求められていることは
理解できます。
しかし、スピードはユーザーの手元に任せてみては
いかがでしょうか?

メディアはスピードよりも正しさ。

世界はどうやらこれから大きく変化しそうです。
どこかで聞こえるグレートリセットもあるのかもしれません。
何がどうなるかわからない中、
僕らに必要なのは情報です。情報しかありません。

受け取る側のリテラシーとも言われますが、
発信する側の心が試されているとも言えます。

ある意味世界の緊急事態。

コミュニケーションや情報伝達を考えることを
仕事にしている身として。
発信する責任をこれを機に考えたいと思います。

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!