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【ショートストーリー】24 或る母の遺言

この世に70億もヒトがいて、宇宙にはこの地球上のすべての砂粒よりも多くの星があるらしい。そんなことを私は考えていた。

 だから自分は尊いのだろう。
 だから君は尊いのだろう。

自分の最期を思った時、私は自分の息子のために書き記さなければならないと思った。私がいなくなっても、誰かがこのnoteを読んでくれれば、私の息子は生きていけるだろう。

人を信頼できるようになって欲しいと願い育ててきた。でも私の心はいつもぐらついていた。疑心暗鬼の森に幾度となく迷い、その度に自分を失いかけた。

そんな森のなかから救い出してくれたのも、また人だった。

最初に籍を入れた人はとても優しかった。

初めて子を授かったことがわかると、洋画のよく観た一場面のように身体中で喜んだ。

でも、しばらくして検査で息子に障害があることが分かると、産むのを止めるように私に迫った。

私は拒否した。掌の命を自らの判断でどうこうしようなんて不遜だと思った。今でもその考えは変わらない。でもあの人の事を納得させられなかったことだけは後悔している。

彼は私の元を去って行った。

息子が生まれ私は幸せだった。確かに発達はゆっくりだけれど、すべてが素晴らしかった。他人の子どもと比べればゆっくりなだけで、息子の世界はゆたかだった。できるようになっていくこと、そのひとつひとつは他の子どもと同じで、すべてが尊く素晴らしかった。

5才で初めて「まま」と呼ばれたことを私は死んでも忘れない。

40になった今も人と話すことは苦手で、急な予定の変更も難しいこともある。でも、息子は自分の世界を、この世の中とできる限りの折り合いをつけ、生きている。

息子を見ると、どれだけ私達が虚栄と承認欲求に縛られて生きているかわかる。息子の生き方に私は誇りを感じるのだ。

自分の人生も生きたいと、私は2度目の籍をいれた。息子はちょうど支援学校を卒業し、生活介護を中心とした生活を始めた頃だった。

40を過ぎた頃から人に好意を持つことの意味は変わってきていた。が、息子との生活に気持ちと時間をかけていた私にとっては大切な時間だった。ふた回り近く離れた歳の夫は、穏やかで優しかった。

10年連れ添ったが持病が悪化し、二人目の夫は先に旅立っていった。

自分の心に大きな空洞ができたような気がしたし、職場の人間関係にもなんだか疲れてしまっていた。自分と関係ないところで人のいがみあいや、謗りあいを聞くことにもほとほと嫌気がさした。

そんなとき、息子の決まりきった日常と時折見せる充実した顔にまた癒され、この世は生きる価値があることを教えてもらうのだった。

最後に遺言というか、親なきあとの息子のためにいくつか記したいと思う。

○息子は偏食です。なるべくでよいのでバランスよい食事をすすめてください。
○急な予定の変更があれば前の日までに伝えてくれると混乱は少ないです。
○自分で選べそうなことは、できるだけ選ばせてあげてください。
○私の残したお金と、障害年金で暮らしていけると思いますが、万が一何かあれば私の従兄弟に連絡してください。
○病気や怪我で苦しんでいたらなるべく痛くない治療をお願いします。無理な延命治療をせずに痛みを和らげてあげてください。
○葬儀は質素にしてあげてください。私と同じ共同墓地にいれてあげてください。
○最後に‥‥私が死んだら息子に「あなたの母親でよかった」と伝えてください。意味が分からないかもしれませんがよろしくお願いいたします。

私はパソコンを閉じた。

陽の光は柔らかで優しく、病室にひとつだけ持ってきた写真に写る息子が、少しだけ笑った気がした。

おわり

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この話はフィクションですが、障害をもつある方のご家族からのお話を参考にさせてもらっています。

「真の共生社会」を目指す私たちが、何を考え、どう生きるか、自分でもいつも問い続けています。
mogelog3



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