【偶然日記】現在形の前に現在進行形しよう

今日は「偶然日記」を書く日。「偶然日記」というタイトル。イマイチな気がしてきたので、そろそろ考え直そう。週末にノートとペンでこの辺を書き散らかしてみようと思ってたけど、もう週末が終わってしまう。この一週間の内にやります。「I do it in a week.」←あえての現在形。英語では現在形は普遍的なことやプログラムされて当然と仮定することを表すときに使う。と、いうのを知ったのは、3年4ヶ月のイギリス留学から帰った後(笑)。

僕は元APPLEのジョナサン・アイブに憧れて、2007年に彼の出身校であるイギリスはニューカッスルにあるノーサンブリア大学に入学した。入学したのはマルチメディア・デザイン学科(今はインタラクティブ・デザイン学科という名前に変わっている)だったが、2年生からはファイン・アート学科に転籍して、ファイン・アート学科を卒業した。転籍したのはいくつが理由があるが(これはいずれ雄手舟瑞物語に書く)、大きな理由の一つは英語が苦手だから。

学科が学科だから論文を読んだり、書いたりする機会は少なかったものの、3年くらい経つとさすがに何となく分かってきた。「何となく」しか分からなかったのは、やはり文法の問題で、帰国後に文法を改めて勉強し始めた。・・・遅い(笑)

で、本屋に行って、自分が体験した英語のニュアンスをうまく説明してくれている教科書がないかと探してみた。確かに25年近く前(今更ながらびっくりする年月)に比べると、たくさんの種類の教科書があって、説明も分かりやすくなっているけれども、なかなか腑に落ち切らない。そんな中、留学中に単語のニュアンスを調べるため英英辞典を使っていたのを思い出し、「文法も英語で解説しているものの方がいいかも」と、輸入書コーナーに向かった。

予想は見事に的中。ケンブリッジが出している「Grammar In Use」がピッタリ感覚に合った。

で、「Grammar In Use」をバッとめくってみると、章立ての最初が現在進行形、現在形はその後。これこれ。学校で習った英語の記憶だと、最初は現在形だった気がする。ここから僕の英語に対する違和感が始まって、その後、苦手になったのだ。現在形の用途は冒頭に書いたが、その名前から想像すると「現在のことを表す」のに使うと思いきや、「現在形は、英語では現在形は普遍的なことやプログラムされて当然と仮定することを表すときに使う。」のだ。。。授業の時間や映画の時間、お店の営業時間を言うときは現在形。「現在形」という名前がややっこしいのだ。

誰かとコミュニケーションをとる原初的な質問は、「ねぇねぇ、何してるのー?」だ。会話相手の動作中のことに興味を持って話しかける。ならば、その回答は現在進行形の形で「I'm eating.(食べてるのー)」だ。なのに、中学校の最初の英語の授業では「I am Taro.」とか「I have a pen.」とか「現在形」から習う。何か一人で完結している感じがする。

言語ってコミュニケーションのためにあって、なおかつ英語学習の初期の原初的なコミュニケーションに合わせるならば、「現在進行形」から始めた方が習う方はしっくり来るのでないか。この辺がコミュニケーションについてよく考えられずに英語授業が構築されていない証拠だと思う。普遍ーつまり現在形ーから入った方が学問的な感じがするけど、リアルを優先するならば現在進行形ですよ。そもそも言語なんて抽象的な概念なんだから、言語センスがある人は良いかもしれないけど、一般的にはリアルを優先した方が多くの人が親しみ易いのではと思う。もうあれから大分経ってるし、英語は小学校からあるのかな?だから英語の教え方も当然変わっているのだろうけど。

英語が苦手な方、英語が苦手になったのはあなたのせいでないところが大きいので、シャッターの外に英語を締め出さず、機会があったらぜひ良い方法で学び直してみてください~。言ってる僕もまだまだ勉強不足ですが、分かりやすい文法書とかを見つけてからは、英語を学ぶことに対する気持ち悪さがなくなりました。

与えられた方法が、しかも多くの人が与えられた方法が適切でない場合も多い。皆に合っても自分には合わない場合だってある。皆に合っても、自分に合ってなきゃ、その方法は自分にとっては適切じゃないってことだ。モンスター大人はこれを押し付ける。自分に合うかもしれない方法が見つかれば試してみれば良いし、見つからなかった場合は無理しないでいい。ただその時は、自分が悪いのではなく、自分にその方法が合っていないだけと思ってください!自分に合った方法が見つかるまで英語をお預けにしてるだけ。納得できない人に対して「勉強しなさい」というモンスター大人は、それが勉強を嫌いさせてしまうという行為に気づいてない。

できないことは多くあっても、嫌いなことは少ない方がいい。物事を嫌いな方に仕向けるモンスター大人からはうまく逃げよう。嫌いなことが少なければ、チャレンジが続けられる。好きなこと、できることがその中からきっと見つかる。そして、もしもあなた自身なかなか見つけられなくても、そのチャレンジする姿を誰かに見せてあげることで、誰かに勇気を与えてあげられるかもしれません。「自分自身では見つけられないのは正直ちょっと残念だけど、誰かに勇気とか元気とかをもし与えることができるとしたら、それはそれで自分のしていることは素敵じゃないか。」と最近そう思いました(急に自分の話)。周りに言うと、「今更!?」と笑われますが(笑)みんな大人だね(笑)

今更ながら最近そう思うようになって、自分もまだ見つけられてないけど、全然うまくできないけど、飽き性の自分が不安だけど、量をコントロールしながらアウトプットを続けていければなぁ、と思います。

かなり脇道に逸れてしまったけど、最後の方は偶然日記っぽくなって良かった(笑)

良寛的な自然の観察を通して自分自身を観察するということが切り口として、偶然日記の名前を考え直します。

こんにちは