「現代サーカスの覗き穴」by 瀬戸内サーカスファクトリー田中未知子

瀬戸内から世界へ現代サーカスを発信!日本における現代サーカスのパイオニアとして、創作や…

「現代サーカスの覗き穴」by 瀬戸内サーカスファクトリー田中未知子

瀬戸内から世界へ現代サーカスを発信!日本における現代サーカスのパイオニアとして、創作や公演実施、拠点運営、イベント企画運営など幅広く行う瀬戸内サーカスファクトリー。どんどん湧き出す独自の企画アイディアや、現代サーカスお役立ち情報など、田中未知子の現代サーカス脳を覗き見るページ。

マガジン

  • LA PISTE通信コラム

    会員の方に定期配信している、田中未知子のディレクターズ・コラム。有料配信ですが、会員やサポーターには無料でお送りしております。

  • 徒然サーカス・エッセイ

    田中未知子の活動のなかで、徒然に心に浮かぶこと、伝えたいこと、軽いネタからまじめな話まで徒然に。

  • 世界の現代サーカス創作についての私論

    自分自身、現代サーカス作品の作り手として、また、世界の現代サーカスネットワークの正規メンバーとして、コンクールやライセンスの審査員として… たくさんの作品を見るし、審査もするし、自分で創りもする。創るからこそ、謙虚でいられる、とも思う。 幸いにも、世界でふつふつと、サーカス創作は行われている。どんな状況でも、創造力は止めることはできない。 自分が嫉妬を感じるくらいに気になる作品などを、紹介していきたいと思います。

  • フランスと私

    18歳からフランス語を始め、24歳でフランス美術史を学ぶために留学。表現の仕方や習慣、時には人種差別、簡単ではなかったフランスとの関係に折り合いがついたのは35歳のとき。フランス現代サーカスと出会って、ぱっかーん!と全てがはじけた。 初めて、フランスと正面から向き合えるようになる。以来、自分の人生と切り離せない国になった。情熱というより、近親への愛着のようなもの。

  • サーカスと関係ない雑談

    といいながら、写真はやっぱりサーカスになってしまったけれど(フォトブックを見返すと98%サーカス関連しかなかった…この人生?)。徒然なるままに。

ウィジェット

  • YonaYonaサーカス2020 YonaYon…

最近の記事

KAAT神奈川芸術劇場でのラボラトリーはなんだったか<1>

これは私個人のことだけど、美術史を学んで美術館キュレイターになりたいと思って、ポストが少なくて諦めざるをえず、新聞社に就職して事業局でようやく、美術展運営に携わることができた。 小さいころから画集を見るのが好きで、絵の、平面の世界が好きだった。 なのに唐突に現代サーカスに出逢い、美術がどこかに吹っ飛ぶくらい、サーカスに没入していった。 いま、舞台芸術をやっていますなんて言うけど、じっさい、現代サーカス以外の舞台芸術はほとんど何も知らなかった。劇場の機構や、ほかの舞台芸術の創作

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    • ”超えていく”ために。

      また新たな素材に向き合う、かもしれない。 鉄、石材、木材と、これまでに多くの「素材」とサーカスを掛け合わせてきた「マチエール(素材)」と名づけたプロジェクトですが、 今日、またこれまでと違うMatièreマチエールを手にしてしまいました。 以前より知っている素材ではありましたが、世界でもトップを誇る技術・クオリティに、今日初めて触れる機会を得ました。 工場の中で、特異な技術の一端を見て、あらためて「ものづくり」の奥深さと、同時に、初代が本当に小さな一歩から始めたストーリ

      • 小池博史 火の鳥プロジェクト「Breath Triple」の凄み

        Breath Triple公演に2日連続通った。 空間演出家・小池博史さんの最新作「Breath Tripel」を、本番2回(2日連続)拝見した。 1公演だけ予約を入れていたのだが、稽古を1度拝見し、「これは1回では足りない!」と直感し、急きょ、予定観覧日の前日にも会場に走った。 理解するため、ではなく、1回では絶対に後悔すると思ったから。 本当に良かった。 1日ごとに演者のエネルギーが違うのも醍醐味であるし、なにより、1日目は緊張感あふれる探検のよう、2日目は純粋に舞台

        • 2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来⑤

          「アート/芸術」としての活動 この章では、いよいよ、瀬戸内サーカスファクトリーの存在理由でもあり究極的な目的でもある、 「アート/芸術」としての活動について書きます。 (上の掲載写真は「ヌーヴォー・シルク・ジャポン」での吉田亜希さんの庵治石、サヌカイト楽器の演奏) 瀬戸内サーカスファクトリーは、何よりもまず創造する芸術団体です。 「まっさらな状態から、新しい世界を生み出す」ことを夢見て、できるだけ自由意志のもとに「つくりたいものをつくる」ことを目指してきました。 その代

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        KAAT神奈川芸術劇場でのラボラトリーはなんだったか<1>

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        • LA PISTE通信コラム
          6本
        • 徒然サーカス・エッセイ
          19本
        • 世界の現代サーカス創作についての私論
          3本
        • フランスと私
          7本
        • サーカスと関係ない雑談
          2本
        • 映像とお話し会「千と一夜」ざっくり報告(無料)
          3本

        記事

          2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来④

          私たちのコモンズ「場」について、すでに③まで書いてきましたが、7月7日にオープンする「KUMA LABO」の続きと、少しソーシャル・サーカスの部分にはいろうと思います。 ・KUMA LABO(開き、集まる場。職人と舞台芸術が出逢う場) ・ソーシャル・サーカス(さまざまな特徴の人々の居場所) KUMA LABOでやってみたいこと!

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          2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来④

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          2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来③

          【コモンズ「場」としてのKUMA LABO】 前回の記事には、地域芸能が、地域の子どもを皆で育て、皆が役割をもつ場であり、地域コミュニティを存続するために欠かせない場であることを書きました。 つまり、地域芸能が「コモンズ」の役割を果たしてきたと思うのですが、都会や日本の多くの地域で、この伝統的なコモンズがすでに消滅していて、自然に地域の共有地になるような場が非常に少なくなっていると感じています。 新しい芸能が、地域に新しいコミュニティ、コモンズを生み出す 瀬戸内に移住

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          2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来③

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          2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来②

          【”コモンズ”としての瀬戸内サーカスファクトリー〜はじまりの話】 ”コモンズ”という語は、”共有地”などと訳される、近年注目される考え方です。誰もが参加でき、個人に所属しない、共有地、共有知です。 最近、瀬戸内サーカスファクトリーの活動コンセプトのひとつは”コモンズ”ではないかと思い始めました。 コモンズとは”公共性”とも言い換えられると思いますが、誰か個人や個別の団体に属さない、けれども、そこに関わる人には責任があります。 共有地をしっかりと守り、豊かにしていくことが求

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          2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来②

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          2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来①

          はじめに 2023年はソーシャルサーカスや日本現代サーカスネットワーク始動など、私たち瀬戸内サーカスファクトリーにとって、大きなチャレンジがはじまった年でした。 同時に「ポスト・コロナ(コロナ後)元年」であることを、じわり、じわりと、重みをもって感じ始める年でもありました。 以前の世界には戻らない/戻れないのであること。 コロナ下で、緊急事態の名のもと、いろいろなものを救おうと、大量の助成金が発動され、あわあわしながらも、助成金のおかげで逆に受注案件が増えたり、”常時

          2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来①

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その⑥)

          結局、解放されたかったのだと思う。 「彼らの背後で、世界は崩れ落ちた」 と、書いた。 サーカスアーティストたちに会って、彼らがサーカスを見せるより前に、目を見ただけで、世界は崩れ落ちてしまった。 射抜かれたのは、まっすぐで温かく、上からでも、下からでもない、私の目と、まったく同じ高さの目線だった。 どうして、人間は上だったり、下だったり、斜めだったり、 まっすぐに人を見られないのだろう? なにか、いつも、ある。その角度が、ズドン!と、同じ高さで、私を射抜いたー。 美

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その⑥)

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その⑤)

          正直、チュニジアの人たちが好きだった。 チュニジアの人たち(99%くらいはイスラム教)も、正確にいえばユダヤ教徒の友人と同じで、私を「自分たちとは違う」と見ていたはず。 でも、本当に好きだった。彼らが。 もちろん、人生でそれなりにちゃんと知り合ったチュニジア人は10人に満たなかったと思うけれど、まとっている空気感とか哲学的なものは、共通のものがあった。 いちばん覚えている瞬間は、大雨の、嵐のような天気のとき、友人宅で喉が渇いたので、「何か飲み物を買ってくるね!」とダッシュ

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その⑤)

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その④)

          宗教ってなんだろう?(冷静に考える) 日本人は、家が代々どこかのお寺の檀家になっていて、形のうえでは「仏教徒」のひとが多いのではないかと思うが、実際、仏教とはなにか、かつ、自分の家の宗派の特徴をしっかり語れるひとは、とても少ないのではないか?と思う。 自分もその一人です。 ですが、24歳でフランスに留学して、移民としてのイスラム教徒のことを考え、美術史を学ぶうえでキリスト教を徐々に知ることになり、 かつ、個人的な理由で25歳でユダヤ教にも出会うことになり、相当に頭は混乱し

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その④)

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その③)

          フランス、マグレブ、そしてサーカスへ。 フランス留学で「人種差別」について深く考えさせられ、…マグレブ諸国(北アフリカ、チュニジア、モロッコなどの国々)からの移民とはどういう人たちかを良く知らないまま、「人種差別を受けているけれど、アジア人のほうが、マグレブの人たちよりはまだ、ヨーロッパで受け入れられている」という、今から思えばわけのわからない「誰々よりはまし」という思考に冒されていた留学時代のあと、 「まてよ、おかしい…」 と、自分自身の思考を激しく疑問視し始める20歳代

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その③)

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その②)

          「宗教ってなんだ?」に、行き着く。 アラブ イスラム マグレバン… 1990年代後半、フランスに留学した頃に盛んに耳にした単語は「マグレバン」。 北アフリカの、チュニジア、モロッコ、アルジェリアなどの「マグレブ諸国」の人々のこと。 マグレバンという語とともに、アラブとイスラムという語も飛び交う。 アラブはアラビア語語圏の人々や文化、イスラムはイスラム教やイスラム教徒。 フランスの旧植民地であり、ゆえに、フランス語を公用語のひとつとし、フランスに移り住むマグレバンは非常に

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その②)

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その①)

          24歳ではじめて体験した差別。 生まれて初めての独り暮らしが、フランスの地方都市だった。 3年も準備して、ようやく手にした、フランスの大学の学生証。 期待より100万倍大きかった、不安。 たった一人で乗り込んだフランスの国立大学の学部は、あふれんばかりの学生で、キャンバスも建物も大きくて、インターネットの情報なんて無かった時代なので、とにかく情報が載っていそうな張り紙を探すのだけれど、一体、いつからどうやって入学の手続きをすれば良いのかすら、どこにも具体的な情報がみえない。

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その①)

          いまつくりたい舞台2つ。

          いま、つくりたい舞台がある。 2つ、具体的にある。 1つは、形而上的作品。 つまり、現実世界にないもの。 現実を超えたセカイに旅できるもの。 もうひとつは、人間をテーマにしたもの。 作品をつくることに、箍はいらないし、 外して、外して、外れて、 うんと自由になりたい。 「不思議」って、どこからくるんだろう? 学生のときから大好きな、Georgio de Chiricoの夢をみる。 あの、面構えに、いつも呆れて、憧れる。 ダリは説明的すぎて、マグリットは完璧す

          ものを書きたい気持ちが…

          久しぶりに、ものを書きたい、と思う。 釧路にいたとき、人生最高に、ものを書きたかった。 道を歩いていても、車を運転していても、 湿原にいても、道ばたの錆びたアパートの手すりを見ていても、 書きたくてしかたなくて、 昼間の月をみていても、 からからした、厚みのないその感触を、どう表現したらよいか、考えるだけで、居てもたってもいられないくらい、 書きたかった。 なぜ、書きたくなるんだろう? 苦しい時に書きたくなるのかな。 満ち足りたときには、力がぬけていくみたいで、何も書