「現代サーカスの覗き穴」by 瀬戸内サーカスファクトリー田中未知子

瀬戸内から世界へ現代サーカスを発信!日本における現代サーカスのパイオニアとして、創作や…

「現代サーカスの覗き穴」by 瀬戸内サーカスファクトリー田中未知子

瀬戸内から世界へ現代サーカスを発信!日本における現代サーカスのパイオニアとして、創作や公演実施、拠点運営、イベント企画運営など幅広く行う瀬戸内サーカスファクトリー。どんどん湧き出す独自の企画アイディアや、現代サーカスお役立ち情報など、田中未知子の現代サーカス脳を覗き見るページ。

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2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来④

私たちのコモンズ「場」について、すでに③まで書いてきましたが、7月7日にオープンする「KUMA LABO」の続きと、少しソーシャル・サーカスの部分にはいろうと思います。 ・KUMA LABO(開き、集まる場。職人と舞台芸術が出逢う場) ・ソーシャル・サーカス(さまざまな特徴の人々の居場所) KUMA LABOでやってみたいこと!

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    • 2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来③

      【コモンズ「場」としてのKUMA LABO】 前回の記事には、地域芸能が、地域の子どもを皆で育て、皆が役割をもつ場であり、地域コミュニティを存続するために欠かせない場であることを書きました。 つまり、地域芸能が「コモンズ」の役割を果たしてきたと思うのですが、都会や日本の多くの地域で、この伝統的なコモンズがすでに消滅していて、自然に地域の共有地になるような場が非常に少なくなっていると感じています。 新しい芸能が、地域に新しいコミュニティ、コモンズを生み出す 瀬戸内に移住

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      • 2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来②

        【”コモンズ”としての瀬戸内サーカスファクトリー〜はじまりの話】 ”コモンズ”という語は、”共有地”などと訳される、近年注目される考え方です。誰もが参加でき、個人に所属しない、共有地、共有知です。 最近、瀬戸内サーカスファクトリーの活動コンセプトのひとつは”コモンズ”ではないかと思い始めました。 コモンズとは”公共性”とも言い換えられると思いますが、誰か個人や個別の団体に属さない、けれども、そこに関わる人には責任があります。 共有地をしっかりと守り、豊かにしていくことが求

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        • 2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来①

          はじめに 2023年はソーシャルサーカスや日本現代サーカスネットワーク始動など、私たち瀬戸内サーカスファクトリーにとって、大きなチャレンジがはじまった年でした。 同時に「ポスト・コロナ(コロナ後)元年」であることを、じわり、じわりと、重みをもって感じ始める年でもありました。 以前の世界には戻らない/戻れないのであること。 コロナ下で、緊急事態の名のもと、いろいろなものを救おうと、大量の助成金が発動され、あわあわしながらも、助成金のおかげで逆に受注案件が増えたり、”常時

        2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来④

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        マガジン

        • LA PISTE通信コラム
          4本
        • フランスと私
          7本
        • 徒然サーカス・エッセイ
          18本
        • サーカスと関係ない雑談
          2本
        • 映像とお話し会「千と一夜」ざっくり報告(無料)
          3本
        • 世界の現代サーカス創作についての私論
          2本

        記事

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その⑥)

          結局、解放されたかったのだと思う。 「彼らの背後で、世界は崩れ落ちた」 と、書いた。 サーカスアーティストたちに会って、彼らがサーカスを見せるより前に、目を見ただけで、世界は崩れ落ちてしまった。 射抜かれたのは、まっすぐで温かく、上からでも、下からでもない、私の目と、まったく同じ高さの目線だった。 どうして、人間は上だったり、下だったり、斜めだったり、 まっすぐに人を見られないのだろう? なにか、いつも、ある。その角度が、ズドン!と、同じ高さで、私を射抜いたー。 美

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その⑥)

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その⑤)

          正直、チュニジアの人たちが好きだった。 チュニジアの人たち(99%くらいはイスラム教)も、正確にいえばユダヤ教徒の友人と同じで、私を「自分たちとは違う」と見ていたはず。 でも、本当に好きだった。彼らが。 もちろん、人生でそれなりにちゃんと知り合ったチュニジア人は10人に満たなかったと思うけれど、まとっている空気感とか哲学的なものは、共通のものがあった。 いちばん覚えている瞬間は、大雨の、嵐のような天気のとき、友人宅で喉が渇いたので、「何か飲み物を買ってくるね!」とダッシュ

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その⑤)

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その④)

          宗教ってなんだろう?(冷静に考える) 日本人は、家が代々どこかのお寺の檀家になっていて、形のうえでは「仏教徒」のひとが多いのではないかと思うが、実際、仏教とはなにか、かつ、自分の家の宗派の特徴をしっかり語れるひとは、とても少ないのではないか?と思う。 自分もその一人です。 ですが、24歳でフランスに留学して、移民としてのイスラム教徒のことを考え、美術史を学ぶうえでキリスト教を徐々に知ることになり、 かつ、個人的な理由で25歳でユダヤ教にも出会うことになり、相当に頭は混乱し

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その④)

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その③)

          フランス、マグレブ、そしてサーカスへ。 フランス留学で「人種差別」について深く考えさせられ、…マグレブ諸国(北アフリカ、チュニジア、モロッコなどの国々)からの移民とはどういう人たちかを良く知らないまま、「人種差別を受けているけれど、アジア人のほうが、マグレブの人たちよりはまだ、ヨーロッパで受け入れられている」という、今から思えばわけのわからない「誰々よりはまし」という思考に冒されていた留学時代のあと、 「まてよ、おかしい…」 と、自分自身の思考を激しく疑問視し始める20歳代

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その③)

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その②)

          「宗教ってなんだ?」に、行き着く。 アラブ イスラム マグレバン… 1990年代後半、フランスに留学した頃に盛んに耳にした単語は「マグレバン」。 北アフリカの、チュニジア、モロッコ、アルジェリアなどの「マグレブ諸国」の人々のこと。 マグレバンという語とともに、アラブとイスラムという語も飛び交う。 アラブはアラビア語語圏の人々や文化、イスラムはイスラム教やイスラム教徒。 フランスの旧植民地であり、ゆえに、フランス語を公用語のひとつとし、フランスに移り住むマグレバンは非常に

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その②)

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その①)

          24歳ではじめて体験した差別。 生まれて初めての独り暮らしが、フランスの地方都市だった。 3年も準備して、ようやく手にした、フランスの大学の学生証。 期待より100万倍大きかった、不安。 たった一人で乗り込んだフランスの国立大学の学部は、あふれんばかりの学生で、キャンバスも建物も大きくて、インターネットの情報なんて無かった時代なので、とにかく情報が載っていそうな張り紙を探すのだけれど、一体、いつからどうやって入学の手続きをすれば良いのかすら、どこにも具体的な情報がみえない。

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その①)

          いまつくりたい舞台2つ。

          いま、つくりたい舞台がある。 2つ、具体的にある。 1つは、形而上的作品。 つまり、現実世界にないもの。 現実を超えたセカイに旅できるもの。 もうひとつは、人間をテーマにしたもの。 作品をつくることに、箍はいらないし、 外して、外して、外れて、 うんと自由になりたい。 「不思議」って、どこからくるんだろう? 学生のときから大好きな、Georgio de Chiricoの夢をみる。 あの、面構えに、いつも呆れて、憧れる。 ダリは説明的すぎて、マグリットは完璧す

          ものを書きたい気持ちが…

          久しぶりに、ものを書きたい、と思う。 釧路にいたとき、人生最高に、ものを書きたかった。 道を歩いていても、車を運転していても、 湿原にいても、道ばたの錆びたアパートの手すりを見ていても、 書きたくてしかたなくて、 昼間の月をみていても、 からからした、厚みのないその感触を、どう表現したらよいか、考えるだけで、居てもたってもいられないくらい、 書きたかった。 なぜ、書きたくなるんだろう? 苦しい時に書きたくなるのかな。 満ち足りたときには、力がぬけていくみたいで、何も書

          なぜソーシャル・サーカスをやりたいと思ったか

          「社会と生きるサーカスなんです」 瀬戸内サーカスファクトリーは、ソーシャル・サーカスではないけれども、社会と生きるサーカスなのです、と、ずっと言い続けてきました。 地域に生きる芸能 根っこの部分には「人間、ひとりひとりの可能性を信じたい」という思いがあります。 瀬戸内に来る背中を押してくれたのは、地域芸能の人たちとの出会いでした。 プロのそれとは明らかに違う、温かみのある舞台。日常生活でも、歌舞伎の見栄をきったり、お囃子にそわそわしたり、幼いころから染み付いた「血肉として

          なぜソーシャル・サーカスをやりたいと思ったか

          歴史とは、自分の居場所がわかる羅針盤だった。

          卒業して30年後に歴史学の意味を悟った、もと史学生。 なぜそこに入ったのか、理解できていなかった西洋史の学生で、大学院にまで進んだけど、穴蔵のような、黴の匂いがする書庫は、異世界だった。 美術史に興味があったのは事実だけど、歴史というより、美術そのものが好きだった。 90年代にフランスに留学して、大学に編入して、半ば精神を病みながらも、「人間の歴史は巨大な螺旋構造だ」と理解した。「学ぶ」ことの意味がすとんと肚に落ちたし、辛い生活も吹き飛ぶ、まさにヘレン・ケラーの奇跡の感覚だ

          歴史とは、自分の居場所がわかる羅針盤だった。

          東京ミッドタウン公演を終えて

          写真:Kazushige Yamamoto 先般、3月25日に、瀬戸内サーカスファクトリーにとって初めての東京公演が、東京ミッドタウンにて開催されました。 東京ミッドタウンにはさまざまな公共アートが配置されており、その中に、彫刻家・安田侃氏の「意心帰(いしんき)」と「妙夢(みょうむ)」があります。 実は、田中は2003年に札幌と美唄で開催された「安田侃の世界~天にむすび、地をつなぐ」展の北海道新聞社側の運営担当だったことから、ご縁が繋がっておりました。 このたび、東京ミ

          瀬戸内サーカスファクトリーが、常勤スタッフを募集!その背景。

          先日より、一般社団法人瀬戸内サーカスファクトリー(SCF)では常勤(週4日30時間・社会保険加入)の運営事務職員を募集しております。 受付期限を4月30日とし、随時受付・書類確認・面談(リアルかオンライン)を行い、期限より早く確定し、期限より早く締め切ることもあります。 https://www.nettam.jp/career/detail.php?no=35589 ネットTAMに募集が掲載されている間は、受付中とお考えください。 SCFの運営体制 SCFは私ひとりで

          瀬戸内サーカスファクトリーが、常勤スタッフを募集!その背景。