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サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その②)

「宗教ってなんだ?」に、行き着く。

アラブ
イスラム
マグレバン…

1990年代後半、フランスに留学した頃に盛んに耳にした単語は「マグレバン」。
北アフリカの、チュニジア、モロッコ、アルジェリアなどの「マグレブ諸国」の人々のこと。

マグレバンという語とともに、アラブとイスラムという語も飛び交う。
アラブはアラビア語語圏の人々や文化、イスラムはイスラム教やイスラム教徒。
フランスの旧植民地であり、ゆえに、フランス語を公用語のひとつとし、フランスに移り住むマグレバンは非常に多い。

90年代半ばにフランスに留学した私だが、それまでほとんど日本を出たことはなく、目の前に広がる世界は、全てが未知だった。

前の記事で書いたように、人生初めての「人種差別」を経験した私は、とかく犯罪と結び付けられやすかった「マグレバン」たちよりは、アジア人である自分のほうが、社会的には認められている、と感じた。
すでに、差別されているという屈辱的な状況から少しでも逃れたいと欲し、そう感じようとしたのだと思う。

美術史と宗教

一方、17〜18世期ヨーロッパ美術を専門に学んでいた自分は、当然のことながら、絵や彫刻、建築を通じてキリスト教に触れるようになる。
現代日本においては、生まれた時から仏教徒になる家庭が多いと思うが、かといって日常的に宗教に触れることも考えることもなく、自分自身も、留学するまでは「宗教」をニュートラルに、真剣に捉えたことはなかった。

建築で、教会、聖堂、モスクに開眼する。

フランスで美術史を学んだ地域は北部地方、いわゆる「ゴシック建築」の教会や大聖堂が至る所に見られる地域であった。

ゴシック建築は、今現在に至るまで、私を魅了してやまず、今も、ヨーロッパ各地でゴシック様式の聖堂をみると、もう居てもたってもいられない、入らずにいられない。
聖堂が自分を呼んでいる、とばかり、ひたすらに突き進んでしまう。

一歩、足を踏み入れると、人間の小ささを一気に体感する、抜けるような高い天井を見上げる。
寒いときは風をしのぎ、暑い時は涼をとるー。
キリスト教徒ではない自分を、疎外されたことは一度もなく、「入らせていただきます。」と頭を垂れれば、静かに、その空間に何時間でもいることができるー。
日本のお寺や神社は、どうしてこんなふうに、屋内を開放してくれないのだろう?といつも思う。そうしたら、きっともっと、仏教や神道に寄与する人は増えるだろうにー…と。

美術史の中で、「ゴシック建築は、イスラム教のモスクを源流とする」と学ぶ。

リール第三大学のゴシック建築の教授が常々、「とにかく、モスクを見に行きなさい」と言っていた。
そのなかでも、なぜかチュニジアの「ケロアン」のモスクにいかなければ、と、長い間、夢として、胸にため込んでいた。


「差別」にがんじがらめになった頭のまま、日本に帰国してー。

フランス・リール第三大学での、1年間の美術史学科編入を終え、生活、勉学の厳しさに加え、上述の「人種差別」にがんじがらめの精神状態で、帰国。

どれくらいの時間が経ったときか、正確には思い出せないのだが、自分のなかに、後悔と恥ずかしさ、無常感の入り混じる、なんともいえない心理が沸き起こってきた。

アジア人である自分が差別され、その自分が、
「それでもマグレブの人たちより、ましだ。」
と、半ばおかしくなった頭で思い続けていたー。

何がましなのか?
差別の度合いがましなのか?自分たちのほうが「まし」だと思っているのか?それすらもわからずに。

私は「マグレブ」も「イスラム」も、知ってはいない。

よく考えると、そんな風に思いながら、自分は「マグレブ」のことも「アラブ」のことも「イスラム」のことも、何も知らないことに気づき、
気づいてしまうと、これまた矢も盾もたまらず、
「知らなければ!」

と、思ってしまう。
どうしても、知らなければ、と。

そもそも、宗教ってなんだ?
キリスト教も、イスラム教も、仏教も、

自分は何も知らないじゃないか。

とにかく、何も知らずに「自分はまだまし」と決めつけていた、
マグレブやイスラムはなんなのか、知ることが、これからの人生を歩むうえで、いっとう先にやらねばならないことだ、と思った。

「マグレブの人たちの世界に入ってみよう」
というミッションをもって、再びフランスに旅立ったのは、31歳のときだった。
(その③につづく)

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