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サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その⑤)

正直、チュニジアの人たちが好きだった。

チュニジアの人たち(99%くらいはイスラム教)も、正確にいえばユダヤ教徒の友人と同じで、私を「自分たちとは違う」と見ていたはず。

でも、本当に好きだった。彼らが。
もちろん、人生でそれなりにちゃんと知り合ったチュニジア人は10人に満たなかったと思うけれど、まとっている空気感とか哲学的なものは、共通のものがあった。
いちばん覚えている瞬間は、大雨の、嵐のような天気のとき、友人宅で喉が渇いたので、「何か飲み物を買ってくるね!」とダッシュで駆け出そうとしたとき、漫画みたいに後ろからむんずと掴まれて
「外を見てみて。大雨と風が吹いてる。こういうときは、家にいなさいという印。」

家にいなさい、そうか…。

嵐も、意味があることなんだ。自然が伝えていることなんだ。と、気づく。
自然(彼らにとっては神様という意味だったかもしれない)が「出るな」と言っている。
それは、とても素直に肚落ちし、なんとなく、それからの自分の人生も、少し楽になれる気がしたのだ。

何度も言うけれど、チュニジアに行きたい、アラブやイスラムの文化が好きだ、という気持ちに嘘はなく、そこに「憎しみの裏返し」の要素がなければ、たぶん、そのままイスラム文化、マグレブ文化の専門家になっていったかもしれない。
今だって、本当に好きだと思う。
前世は北アフリカにいたのかもしれない、と本当に思った。

それでも、黒いタールが、心のなかを覆っていたから。

結局、晴々と朗々と、曇りなく「好きだ」と言えなかったのは、「イスラム教徒を差別する人を軽蔑する、だから私はイスラム教徒の側につくのだ」
…という厄介な心理に支配されていたから。

そして、サーカスに出逢う。

サーカスに出逢った瞬間、正確にいうと、サーカスの「人々」に出逢った瞬間のことは、これまでに何百回と語ってきたから、もう聞いたり読んだりされて「またか」と思うひともいるかと思いますが、

とにかく、
フランスからきた13人のサーカスアーティストが、
技を見せることもなく、ただリラックスして、お日様の光がさんさんと降り注ぐ中庭で昼寝やランチを楽しんだ後、
その緑の光を背負ったまま、会議室に入ってきた。

(当時の毎日の装いだった)スーツとハイヒールで身を包み、初めての会議通訳に顔を赤くしたり青くなったりしている私を見て、
その緊張を瞬時に感じ取った彼らは、
デスクに頬杖をつき、下からニコニコと私を見上げ、ささいな訳にも、絶え間ないつまづきにも、いちいち「うん、うん」と相槌をうち、
物言わず、応援してくれた。

私はまだ、サーカスをひとつも見ていなかった。
技が何かも知らなかった。
けれども、その彼らの背後で、すべての世界が崩れ落ちたのが見えた。
つまり、それまでの、固まり切った、「差別」への憎しみ、
すべてのネガティブなものは、1瞬で、天から崩れ落ちていったのが見えた。

私の人生は、ここから完全に変わることを感じた。
その時の感情は、よく覚えていない。嬉しかったとも、悲しかったとも、覚えていないけれど、ただ轟音を響かせて、世界は崩れ落ちた、それだけははっきりと思えてるー。

(⑥につづく)

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