馴染みのなさすぎる幼なじみ
「誰だっけ?」
「――え」
俺は、トマト畑が広がる山口の田舎のことを久しぶりに思い出した。
ストレートパーマを当てている女子はみな可愛く見えた中学時代――。
髪をぼさぼさにしたままの同級生がはす向かいに住んでいた。
名前は、菜月。
野暮ったいけれど整った顔、少し背伸びしたメイク。
昔はそんなのじゃなかったのに。
家が近いこともあり、お互い家族ぐるみで仲が良く、近所の夏祭りでは焼きそばを作る班も同じだった。
ソース濃いめの焼きそばの味付けは、菜月の家の味だったけど。
学校に向かう通学路。
学年を重ねるごとに気まずくなっていったのを覚えている。
どんどん短くなる菜月のスカートと陸上で鍛えた足を包むルーズソックスをじっと見ている自分が気持ち悪くなった。
俺たちは幼なじみ。俺たちは幼なじみ。そう言い聞かせて、深呼吸した。
兄妹みたいに、たくさんおしゃべりしていっぱいケンカして、おやつを分けっこして。それが幼なじみ。
でも、俺は菜月としゃべったことがなかった。遊んだこともなかった。
どんな性格かも、どんな声かも、どんな趣味があるのかも知らなかった。
誰が好きなのかも――。
俺は菜月と幼なじみじゃなかった。
世の中の「幼なじみ」はあだち充が作った幻想だと思っていた。
親は仲良しだけど、俺と菜月はただのはす向かいに住む同級生だった。
俺は菜月の通学を一方的に見ている、いわばキモい男子。
菜月が好きでも嫌いでもなかった。ちょっと育ちの良い女子という認識しかなかった。
俺の青春は終わった。
そんなふたりが再会した。
東京で。山口にしばらく帰っていない俺は菜月を見るのはかなり久しぶりだったけど、すぐに菜月だと分かった。
幼なじみ。
でも、菜月は違う。
「誰だっけ?」
「――え」
俺も大人になった。見た目もずいぶん変わった。仕方ない。
「ほら。はす向かいに住んでた、健太」
「え」
上を向いて考える菜月。まじで俺を覚えていない感じだ。
そんなことも俺にはわかる。ずっと、ずっと陰で菜月を見てきたから。
ここは西麻布の交差点に近くのバー。
菜月は酔っている。
「覚えてない」
健ちゃんと呼ばれたかった。同じクラスになって気まずくなりたかった。
幼なじみ。
ずっと憧れていたのに――。
キスされた。
菜月に。
「一緒に飲まない?」
「……うん」
菜月は恋をしたときの顔をしている。俺には、俺にだけは分かる。
菜月を抱きしめた夜。
俺たちの思い出がようやく始まった。
幼なじみじゃなくてよかった。
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