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ボウチョウしていく私

幸せなときは頬がこけるくらい痩せていたのに、最近はなぜだか体が膨張したようにズッシリと重い――。

なにかのニュースで、平均年収が高いほど肥満がいないと専門家が言っていたが、そういうのに似た感じだろう。

無職になってから半年。私は、見るも無残に太っていた。

夏で気温が上がりに上がり、国から「外に出るな」とまで注意を促される今日このごろではあるが「ちょっとは出かけないとな」と思い、最近は裁判の傍聴に行くようにしている。

刑事事件から民事事件まで、危険運転致傷から強盗まで多種多様な法廷を見守ることができる――。
しかもタダ。どの事件も基本は選び放題。地下には意外とおいしい食堂もコンビニもある。お金のかからない暇つぶしだ。

霞が関駅で降りて、ちょっとドキドキしながらセキュリティを通過すると、そこは妙に厳かで不気味な雰囲気を感じる。

傍聴席に座る。すっかり大きくなった体が木製椅子のサイドを閉めつける。真横に座った法学部風情の学生が少しイヤそうな顔をしている。
そりゃしょうがない。

私は、太りすぎて100キロを超えていた。


正確には103キロ。お相撲さん・炎鵬よりも体重が多い。
きっと隣の席に肉がはみ出し、たぶんちょっと汗臭い。ノートに傍聴の記録を真剣にメモろうとしている学生の表情が曇っていくのが分かる。

この日は特殊詐欺に関する裁判だった。
精神病を患って仕事を辞め、お金に困っていた被告人の女性AはSNSで、とある集団から特殊詐欺の誘いを受けたという。誘いに応じたAはテレグラムを使って彼らとやり取りし、計画を実行に移す。

1週間後。女性AはG県の片田舎に行って、老人宅に訪問。
ペラペラのお手製警察手帳を出して「警察官」と偽り、老人の「銀行口座が乗っ取られたのですが……」とウソをついて、その場でキャッシュカードを受け取り、はさみで切れ込みを入れ「こちらで処分いたします」などと言い、念のため「暗証番号」を聞き出す。
キャッシュカードと暗証番号を集団に送る。切れ込みが入っただけのカードが使用可能で、見事にお金を引き出すことに成功。そんな詐欺を数件繰り返していた。

しかし、弁護人が反論する。
被告人Aは中度の知的障害を患っており、その行為が犯罪に値するものだと認識できなかった、と。

逆襲も始まる。
知的障害を持つ者が「テレグラムの利用や警察官のふりをできるのか」と。

弁護人は知的障害のテストを受けていた記録を見せる。

かなり強引な弁護にも思えるが、Aの供述はどこかたどたどしく、裁判官との話も噛み合っていない。
これも弁護人と仕掛けた罪を逃れる手口なのか。

そんなことを考えながら、裁判のやり取りに耳を傾けていると、学生が眠り始めた。
ノートにはぎっしりと傍聴記録が書き込まれており、おそらく朝から各階の裁判を傍聴して疲れたのだろう。

だんだんと学生の顔が私の左の脇肉に食い込んでいき、私の胸にむにゅりむにゅりと侵入してくる。
ただの贅肉かおっぱいなのか、それさえも判断がつかなくなった私の体に久しぶりに触れる男のぬくもり――。
思わず高揚している自分に驚く。

裁判は次回以降の公判に持ち越しになった。
被告人Aは弁護士と少し話した後、こちらを見てきた。

茶髪の色が抜けかかったAは申し訳なさそうな顔にも、全く反省していなそうな顔にも、何も分かっていない顔にも見える。

善人なのか悪人なのか、私にはわからなかった。

廊下で学生に声を掛けられた。
「あの……さっきの裁判のメモって取ってますか」
「あ。え、――はい」

真夏のラブホテルは、冷房が効きすぎていて寒いぐらいだ。
学生は私のふくよかな肉体を見て、膨張していた。

2年ぶりの営みは私のあちこちをボウチョウさせた。


数カ月後。被告人Aに有罪判決が出た。
もう判決はどうでもよくなっていた。
学生との連絡も途絶えた。


短い秋が始まる頃、私はまた仕事を始める決意をした。




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