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飲食店の酒類提供自粛要請について

今回のコロナ禍についてラジオ局から意見を求められたことについて自分への責任として備忘録的に残しておこうと思う。

飲食店での酒類の提供自粛については売上低下は間違いない。飲食店ばかりがクローズアップされるが、それに付随する街の酒屋は瀕死の状態だ。

文字通り「家呑み」「宅呑み」が主流になってきた訳だが、酒販免許の緩和で多くの皆様はコンビニやスーパー、ネットで酒類を調達される。それらの多くは欠品ペナルティがあるため大量に安定供給できる商材しかないのだ。

政府においては酒税の税収は変わらないのかもしれない。我々ソムリエは、生産者や輸入元とコミュニケーションを取り、より良質なものを街の酒屋を通して仕入れている。だから店で飲む酒類は、普段家で飲むものと違い非日常なのだ。街の酒屋が潰れたら大げさではなくこれまで培ってきた日本の食文化を失うことになりかねない。

「食事」と言う字は「人」に「良い事」と書く。食事の目的は単に食欲を満たすだけでなく、人間が生命維持に必要な栄養素を取り入れて、精神的な安定をもたらし穏やかに過ごすことができるのだ。だから「人」に「良い事」なのだ。

その「人」が「良い事」をするのに「欠かせない物」と書いて「飲み物」だ。「食事」をスムーズに進め、調和するのに必要不可欠なものなのだ。その飲み物の1つに酒類が存在する。

「酒類」の役割はリラックス効果をもたらすことだ。単にアルコールを摂取する事だけでなく、色合いや香りはカラーセラピーやアロマセラピーの効果もある。適度な飲酒は人の疲れを癒すのだ。だから「酒類」は「百薬の長」ともいわれるのだ。もちろんリラックス効果があることで会話を弾ませることは否定できない。

「お酒=悪」ととらえかねない風潮はごく一部のマナーの悪さだ。2009年に開催された国際ソムリエ協会の第1回アジアオセアニア最優秀ソムリエコンクールの大会期間中のエクスカーションで訪問した京都・宇治の平等院の高僧はこう言った。「仏教ではお酒のことを『知恵の水』といいます。仏教にはお酒は飲んではいけないという戒律があります。しかしそれはお酒が悪いものであるということではありません。お酒は尊いものです。お酒を飲んでどう行動するかという『約束』が戒律なのです。みなさんはワインを通じて、すばらしい時を提供するというお仕事をされています。今、世界はいろいろな民族が枠をとりはらい、どのように共存していくかが問題となっています。皆さんの仕事は、きっとそれを解決していくことと思います。」と。

この話を聞いて、ただビジネスとしてワインを売るのではなく人々に笑顔になっていただけるワインをガイドすることを心掛けている。おかげさまで私達のお客様は皆様マナーの良い方ばかりだ。目的が「お酒を呑んで酔っ払うこと」ではなく、目的は「リラックスし自分を取り戻すこと」でその手段が「レクレでワインと料理と会話を楽しむ」になっているのだ。大切なことは「目的」と「マナー」なのだ。

前述の通り「お酒=悪」ではないことを前提にお話を進める。マナーで「路上飲み」が社会問題化している。しかしこの問題を引き起こしているのは今回の飲食店の営業時間短縮要請とさらに酒類提供の自粛要請だ。

今は亡き落語家、桂枝雀さんは、「笑いは緊張と緩和」だと言った。今回の蔓延は規制と解除による人災とも考えられる。

1日の疲れを癒し飲食しリラックスできるスペースを時間規制することで帰路につく電車は「三密」の状況が生まれている。それを回避するためにコンビニや路上呑みであらたな「三密」を生む。それを社会問題と報じることでホームパーティーや闇営業的な店舗が現れ、また新たな「三密」を生む。

蔓延防止を目的とした手段であるはずの規制を誤り逆の結果を招いているのだ。緊張と緩和がなければ笑いはおきないのだ。

批判的な提言をするつもりはない。政府や自治体のリーダーは非常に難しいかじ取りを強いられていると思う。しかし、本当の状況を見て欲しい。クラスター発生している大半は医療施設や高齢者施設だ。

医療従事者の多くは本当に自分たちを犠牲にして万全を期して対応していただいている。しかし、医療施設や高齢者施設の清掃員、食堂の従業員、売店の従業員、出入りの納入業者を含めたこの施設にかかわるすべて人にも毎日のPCR検査やワクチンの優先接種を行えば事態は変わらないだろうか。

数%しかクラスター発生していない飲食店を営業自粛したところでそれ相応の数字しか下がらない。世界的にロックダウンという命令手法が主流だが、日本人は自粛で世界的には低い水準で抑えられている国民性なのだ。

「飲食」は不要不急ではなく、必要必至な人間が人間らしく生きるための最低限の営みなのだ。それこそ基本的人権ではないのか。「飲」と「食」は切り離しては考えられない。

マナーを持ち行動すれば国民の多くはこの1年間の対策知識を身につけている。命令ではなく要請で協力できる国民性の日本だからこそ、飲食店の営業自粛、協力金の支給などという愚かな策は打たずとも、基本的人権の尊重を守り、蔓延拡大防止ができるということを世界に示すことができるのだ。

悲観的にならず批判的にならないことを心掛けたつもりだが、少し感情的になったと反省点のあることも特筆しておくべきだ。

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