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くよくよと考えてきた蓄積が、私をライターにした

人間をやっていると、失敗は必ずあります。多い少ないは個人差が大きいでしょうが、ゼロという人も失敗ばかりという人もいないはずです。ちなみに、私はどちらかというと多い方だと自覚していて、しょっちゅう反省しています。

ただ、反省の中身は調子によってずいぶん異なるような気がします。調子が良ければ客観的かつ前向きに考えられるのですが、調子が悪いと考えても仕方のないことで無駄に落ち込んでしまいます。これが私の大きな短所のひとつで、気分の切り替えができず失敗を重ねてしまうこともあります。

とりわけたちが悪いのが、失敗と不運が重なった時です。例えば、連絡が1日遅れたことで相手が出張に出てしまい、対応ができなくなる場合などが挙げられます。メンタルの状態が良くないと、こういう時に不運の部分まで抱え込んでしまうのです。

もう45歳なので多少は対策が立てられるようになりましたが、三つ子の魂百までというように、本質は変わっていないように思います。20代の頃から何度となく鬱に苦しめられてきたのも、この性格が影響しているからなのは間違いありません。

21世紀の日本社会においてはずいぶん損な性格だと思いますが、子どもの頃から文章を書くのが好きだったのは、そんな自分について知ってもらいたいという気持ちが強かったからでしょう。考えても仕方のないことをくよくよと考えてきた蓄積が、書くことを仕事にしたいという意志と普通の仕事は無理だという思い込みになり、私をライターにしたのだと思います。

今こうしてnoteの記事を書いているのも、失敗と不運によって「俺ってどうしようもないなぁ」と改めて実感したからにほかなりません。ただ、書くことによって多少なりとも気が紛れるというのも、度重なる失敗から学んだことです。どうしようもない人間だからこそライターになるしかなく、ライターになって良かったのです。

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