ないない様 9話

(なんだったのかしら、あれ)
 あのあと、何度電話をかけなおしても日名子は応じなかった。呼び出し音だけがむなしく鳴り響く中、まさかいたずらの類だったのかも、と自分を納得させようと試みたが、うまくいかない。
 堺日名子が亡くなったことを知ったのは、そのおよそ三日後のことだ。
 無断欠勤が続く日名子を怪訝に思った派遣会社元が彼女の家をたずねて行ったらしい。そこで派遣元の人間が、黒こげに焼き焦げた日名子を見つけた。死因、焼死。
 梢がそのことを知ったのは、日名子の電話が気になりすぎて、三日間連続で彼女の携帯に電話をかけていたときのことだ。
 誰かが応じたと思ったら、それは日名子の母親だった。梢は最初、それが誰だかわからずにいぶかしんでしまった。
「あ……あの、日名子さんの携帯、ですよね」
『そうです、私は母親です。失礼ですが、あなたは日名子とはどういうご関係だったのかしら……?』
「あ……、と、友達です、会社の。その、日名子さんの具合が悪そうだったので、お加減いかがかなと思いまして……」
『そう……。心配してくださって、わざわざどうもありがとうね』
「あ、あの……日名子さんは?」
『……死にました、三日前に』
「え」
 梢は打ち震えていた。三日前。あのときの悲鳴が日名子の死を告げるものなら、日名子と最後に会話をしていたのは自分ということになる。
 死にました、と聞かされて、そんな馬鹿なと狼狽しなかったのは、あの悲鳴が尋常なものとは思えなかったからだ。
(でも……)
「だって……そんな……、きゅ、急すぎませんか。事故かなにかですか」
「火事なの。それであの子……」
 日名子の母親は、日名子の携帯電話だけが嘘のように無事で、パスワードでロック製の携帯電話であり、かかってきた電話に出る以外は操作ができなかったことを告げた。そのせいでこちらから連絡できず、友人である梢に心配をかけて悪いことをしたと思っているらしい。
『お通夜はもうすんでいて、お葬式は今夜なの』
「う、うかがいます、お葬式」
『ありがとう。でもお仕事があるでしょ、無理しなくてもいいのよ』
「い、いえっ……」
 この母親に告げるべきだろうか。日名子と交わした最後の会話の内容を――。
 梢は結局、母親にはなにも言うことができなかった。ただ、その日の間中気になって仕方のなかったことがある。
 世話になっていた女性が死んだというのに、ちっとも取り乱す様子のない、玲の姿だ。

 授業を終え、梢はいったん家に戻って喪服に袖を通した。普段はあまり使うことのない礼服を、ここ最近で二度も使っている。日名子の葬儀会場は玲の母親の葬儀が行われた場所と同じセレモニーホールだった。以前は職場の教師仲間と一緒に来た。けれど、今回はひとりだ。急なことだったので洋介にも伝えていない。今夜食事に行こうと誘われていたのに。
 玲の母親の葬儀と比べ、参列者の少ない葬儀だった。子どもの学校関係者などを差し引けば、普通の人間の葬儀だなんてこんなものだろう。
 焼香のための列に並びながら、梢はまだ鼓動を刻む自分の心臓をなだめることができずにいた。
(誰にどう言えばいいの? 私が日名子さんと最後に会話をしていたって)
 玲の母親の葬儀のときには警察の出入りがあった。だがしかし、日名子の葬儀にはそれがない。もしかして、事件性がないものと判断されてしまったからかもしれない。
(事件性がなくなんてない! 日名子さんは、ないない様に……)
 そこまで考えて、はっとした。
(なにを考えているの、私。ないない様だなんて、日名子さんが勝手に言っていただけのことじゃない!)
 ないない様。そのことを考えると、またしても鼓動がはやくなる。
(亡くなる直前に、私みたいなほとんど面識のない人間にまで電話してきてまで、日名子さんが伝えたかったこと……。それは)
 ――次はあなたの番だと思うんです、ないない様のターゲット。
「部屋は無事なんだって。堺さんだけ黒こげになっちゃったっていう……」
 前に並んでいた女のささやき声に、ぴくりと耳を澄ます。
「なにそれ、灯油でもかぶってたの?」
「実際そうしていなきゃおかしい燃え方だったんだってさ、堺さん」
 堺とは日名子の苗字だったはずだ。女たちは、彼女の職場の同僚かなにかだろうか。
「ほら、前にアロマキャンドルが趣味とか言ってたじゃん。なんかそこから引火したらしいよ、火が」
「えぇーっ? アロマキャンドルの火が引火するって、それ本当に灯油かぶってないとおかしいレベルなんですけど。こわーい!」
「それでね、そのマンションって直前に殺人事件も起きてるんだって」
「えーっ、うそ! ホントにこわーい!」
「殺人事件の次は焼身事故でしょ。だからそのマンションの人たち、価値が下がるとかで超怒ってるらしいよ」
「怒ったってどっちも死んじゃってるじゃんね。しょうがないじゃん」
「なんかここまでくると、地縛霊かなんかの仕業かと思えてくるよね。そのマンション、縁起悪すぎ」
 梢は身震いした。
 殺人事件に焼身事故。
 そのどちらにも関係しているものがある。
 玲だ。
 玲の母親が風呂場で溺死するという事件に遭い、叔母とうそをついてまで玲の保護者であろうとした日名子が炎に包まれて死んだ。
 ――ないない様は玲くんを守っているんです。
(もし本当に、私と話しているときに、日名子さんが炎に包まれたのだとしたら、あれは)
 ――ぎいあああああああああぁぁぁぁあぁぁ……。
(まさか本当に、断末魔の悲鳴だったってこと?)
 悪寒が止まらなかった。具合まで悪くなってきたような気がする。
 当然のごとく、葬儀場には玲の姿はない。日名子は、叔母だと偽ってまで守ろうとした存在に、死を悼んでもらうことすらできないのだろうか。それとも。
(本当に日名子さんの言うとおり……、ないない様という存在が、日名子さんや玲くんのお母さんを殺したのだとしたら?)
 命を惜しんでまで、あんなに火急の用であるように日名子が梢に電話をかけてきたのはなぜか。なぜ、梢だったのか。
 ――次はあなたです、伊崎先生。
(どうして私なの……?)

「伊崎先生」
 声をかけられて、心臓が飛び出そうなほど驚いた。
 玲だ。
 教室の、昼休み前。あとは自分が教材を持って教室を出て行けば、子どもたちに自由な時間が訪れる、その直前。
 生徒たちは梢がいるにもかかわらず、号令を済ませたためかもう休み時間のようにくつろいでいた。めいめい仲の良い生徒同士が集まっておしゃべりに花を咲かせているにもかかわらず、教師のもとへ駆け寄ってくるのは、玲の姿だった。
「あの、今お話していいですか」
「も、もちろん。どうかした?」
「昨日、お父さんと電話したから」
「――昨日?」
 昨日は日名子の葬儀だったはず……。と、そこまで考えてようやく、自分が玲に父親と話すよう進言したことを思い出す。
「ああ……、そうね。そうよね。どうだった?」
 教室はすでににぎわっており、誰も自分と玲が話し合っている内容になど興味がない様子だ。
「僕、卒業したらお父さんの単身赴任先に引っ越すことになりました」
 梢はひどくほっとした。
「そうなの……。寂しいけど、先生、それが一番いい考えだと思うわ」
「でも卒業するまでは一人暮らしです」
「えっ」
「お父さん、僕のためにわざわざ帰ってくることなんてできない、って。僕も六年生のこんな半端な時期に引越しなんてしたくありません。だからそれまでは、一人暮らし」
「そ、そんな」
 梢はあわてた。あわてたが、だからといって自分が力になれることは少ない。
「……叔母さんのこと、なにも言わないんですね」
「え?」
「普通は一人暮らしだって言ったら、叔母さんが手伝ってくれるでしょとか、言われるかなって思ったんですけど……」
「ああ……、あのね、張間くん。先生、実はあのかたから自分は実の叔母ではないっていうふうにお話を聞いているの」
「そうなんですか……」
「とても親切なご近所の方なのね。うそをつくのはいいことだとは思えないけど、そこまでして張間くんのことを心配してくれているなんて……」
「そんなことないです。やっぱりだめだな、日名子さんは」
「――え?」
 玲はなんてことないとでも言うように、おっとりと微笑んでみせる。
「僕のお父さんも日名子さんが叔母でもなんでもないことを知っていたみたいなんです。やっと頼りにできる存在を見つけたかと思ったのに、日名子さんたら、すぐにカミングアウトしちゃうんだもん。やっぱり日名子さんじゃ、お母さんの代わりにするには頼りない存在だったのかも」
「は、張間、くん……?」
「でも先生なら頼りがいがあるし、大丈夫ですよね。僕にとってのマイナス面もプラス面も教えてくれるもん」
「そ、そうね。でも……」
 ――次はあなたの番だと思うんです、ないない様のターゲット。
 ――ないない様は玲くんを守っているんです。玲くんのお母さん代わりでいようとしている。
(この子に頼られているから? だから次が私の番だということ?)
「張間くん、あのね」
「はい?」
「ひ、日名子さん……、先日、亡くなったみたいなの。知っていた?」
「ああ」
 なんてことなさそうに、玲は微笑み続けている。
「知ってます。それがなにか?」

#創作大賞2024 #ホラー小説部門

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