菊池仙葉

菊池仙葉

最近の記事

現代アート

現代アートというのは理解がむずかしい。 21世紀美術館でみたすべての作品もそうだった。 この「わかりにくさ」には、いくつか原因がある。 最大のものは、作家が、みんな「じぶん」のなかの出来事を表現しているのに、ほかの人間がちがう「じぶん」のなかにいることを考慮していないことだ。 「じぶん」のなかで起きている出来事を声高に叫ぶだけで、他者にも受けいれられるし、受けいれられてしかるべきであると、現代美術家たちは思っている気がする。 カズオ・イシグロは、こうした現代美術のい

    • メタバースとエロ

      メタバース 現状、ネット週刊誌がページ閲覧数を増やすためにエロ化している。 実数は不明なもの、動画やゲームも入れれば、膨大な市場がエロにあることが推測できる。 これをメタバースでやればどうなるか。 「美女の館」や「イケメンの家」といったパビリオンをメタバースに建てれば、ガンガン課金できそうな気がする。 もちろんマイノリティー向けに、同性愛や幼児プレイ、SMプレイができる館など、無限に考えられる。 ブラックマネーになるのをどうやって防ぐか、税金をどうやって取り立てる

      • 文学とビジネス

        現在のような出版産業の形は、文学の歴史からすると短い。特に、出版社が大手になり、ビジネス化した形は今までになかったのではないだろうか? 文学とビジネスの相性がいいのかどうか、疑問に思うところだ。 三國清美シェフの自伝を読んだ。 三國シェフは、去年の末にオテルドミクニを閉めた。コロナ後も黒字だったらしいのだが、オテルドミクニは80席あって、「三國の指揮の下、配下の料理人たちが立ちはたらく」みたいなスタイルを取らざるを得なかった。でも、三國シェフは生涯の最後は「ぜんぶ自分で仕

        • 思想とビジネス

          木村政樹『革命的知識人』を読んだ。木村氏の主張は次のようなもの「日本の左翼インテリは「現実を変革しようとして挫折→その敗北の物語を語ることによっておのれの言説を組織する」ということをくり返してきた。どうしてこういう言説構造が生まれたのか」 「負けて、美しい文学≒言論が残る」という構造を脱却しないと、現実の変革は可能にならない。そういう問題意識から、伝統的な左翼知識人のありように批判的なメスを入れたのが木村氏の研究だ。 「美しい志を抱いて、戦士たちは難局に死力を尽くして立ち

        現代アート

          宮沢賢治

          宮沢賢治の作品において、登場する動物たちは完全に擬人化されておらず、動物のまま登場している。 あの動物たちのわかりにくさ、不思議さ、わけのわからなさ、は動物のままに登場しているからだ。 動物たちは他者性を帯びて、登場している。これが宮沢作品のわかりにくさ、その裏腹の魅力になっているのだろう。 宮沢作品においては、登場する者たちがそれぞれ、自分のルールを持っている。一つの価値観に統一されていない。それで、きわめて多声的な文学空間ができている。 宮沢賢治の物語からは「妙な

          檸檬について

          逃げ場がないから逃げる気にもなれない。何かを壊して事態がよくなるとも思えないから壊す気力もない……。 梶井基次郎の『檸檬』を、私は〈いけばな〉の発展材料として読んだ。それが私の二つ目の大学の卒業論文となった。それは研究論文と文芸批評の狭間にあるようなものとなった。 研究論文では「檸檬爆弾で主人公の「私」が破壊したのは何か?」と考える。 文芸批評では「「私」は今なら何を破壊しようとするだろうか?」と考える。 『檸檬』の主人公である「私」は、三高に通う学生である。これは京都

          檸檬について

          飲みながら考えていたメモ

          ⑴村上春樹の能力 村上春樹はアルマーニの服をよく知らない癖に、アルマーニを着たがる人種は正確に見極めている。『騎士団長殺し』でも、ジャガーは重要な役割を演じている。春樹の強みの一つとして、「こういうひとはこういうクルマが好き・音楽が好き・服が好き」という性向を見きわめる能力がある。そうした能力はビジネスにおいて重要だ。 ⑵あざとい戦略 華道に限らず、芸術に関わる作家全体の課題として「あざとさ」の問題がある。新人賞とかの場合、審査員とか主催者が賞を出しやすい「ツボ」を押さ

          飲みながら考えていたメモ

          一周年記念 バーテンダー・出展者

          10月8日 バーテンダー 菊池仙葉・藤井穂 10月9日 バーテンダー 菊池仙葉・加護志音 10月10日 バーテンダー 菊池仙葉・びねつ 出展者リスト ・菊池仙葉 ・土井原裕一 ・中元瑞希(仙月) ・加護志音 ・Rick Shinmi ・よかちょろ屋こうたろう ・西内耶朱

          一周年記念 バーテンダー・出展者

          風仙華とは? ① サービス

          風仙華にどんなサービスがあるか、いまいちパッときていない方も多いのではないでしょうか? 風仙華には四つのサービスがあります ⑴ いけばな  いけばな龍生派教授菊池仙葉による〈いけばな〉。仙葉による講座・講演やロビーなどのいけばな制作を行っております。  過去に高知城花回廊、大丸百貨店、ホテル椿山荘東京、日本ジャーナリスト協会10周年記念式典などの花を担当してきました。 ⑵ フラワーギフト・デザイン・花器  フラワーギフトの販売をしています。また花器も陶器・ガラス・プラス

          風仙華とは? ① サービス

          一周年記念⑵ 由来

          風仙華は花号から取った。 華道の世界には花号(雅号)が存在する。もちろん、花号を嫌う人々もいるが、基本的にはある。 花号は師匠から頂くもの。 上京し、はじめて市ヶ谷の龍生会館を訪れた際、仙葉と名乗ると小武山龍泉先生にこう言われた。「いい血統ですねえ」。 私の師匠は尾崎佳風先生といい、私と母の葉風は龍生派尾崎社中に入門していた。私が母のお腹にいる頃から、私を知っている師匠でもある。正式な入門以前から、ゆりかごの頃から毎週、上京するまでの十八年を育てて下さった先生だ。三人目

          一周年記念⑵ 由来

          一周年記念⑴ 藤井さんへの感謝

          合同会社風仙華の立ち上げから働いてくれているアシスタントがいる。藤井穂さんだ。起業前を含めると五年近い付き合いになる。 会社の社長とは言っても、私は華道以外は社会不適合な人間だ。営業は下手、事務は遅い、やるべきことの優先順位がわからない。ワガママで、人の話を聞かない、そして謝らない。ADHDよりひどい。 ごめんなさい。そしてありがとう。 藤井さんの存在によって、会社が成り立っている。その分迷惑をかけているのだけれど……。謝りたいことは多々あるのに、なかなか改善ができてい

          一周年記念⑴ 藤井さんへの感謝

          漢文

          入谷仙介の『近代文学としての明治漢詩』に、「谷崎は漢詩文をかつて支えていた士太夫的メンタリティとは無縁、徹底して商人的なひとだった。いっぽう芥川は、漢文的バックボーンが骨まで染みついていて、実士太夫的メンタリティをたっぷりもっていた。だから中国のことも、谷崎はこれをエキゾチックな消費の対象とすることができたが、芥川はアンビバレンツな感情を中国に対して抱かざるを得なかった」という意味のことが書かれている。 漱石や芥川は「近代日本に、かつての漢詩文にかわるものがないこと」に悩ん

          グールド

          グレン・グールドはピアノのまわりでラジオを鳴らしたり、じぶんの音が聴こえない状況で弾いたりしていたらしい。そういうときがいちばん、じぶんの頭のなかの音楽をストレートに表現できるのだと。 「じぶんには聴こえないこそ純粋にわきでてくるじぶんのなかの音楽」は、たしかに「地下二階」からわいてくるものなのかもしれない。 グールドは、バロックや古典を演奏するときは、チェンバロの奏法を意識してスタッカートを多用する(バッハやモーツァルトの時代には、現代ピアノはまだ存在しなかったので、作

          はな

          今、華道の諸流派がこぞってtiktok、YouTubeに参入してきている。加えて草月の〈座・草月〉、池坊の〈IKENOBOYS〉、龍生の〈ひびか〉など、一般向けに新しい試みを次々と発表している。 過去の王道作品を拾わず、あの手この手で手っ取り早く収入を見込もうとするのは、市場の"大人の事情"もあるだろうが、やはり経済の低迷が華道界の判断を保守的なものにしている。 バブル期は、もっと一時の損得感情ではなく、いかにマーケットに勢いを与えられるか、各業界が投機的に動いていたので

          サブスクと花

          2020年11月〜2021年10月まで、葬儀社にいた。 まだ3年目の葬儀社で、私が居た生花部は部署が出来て2年目だった。 変わった葬儀社で、一般的な菊ばかりの祭壇ではなく、顧客と専属デザイナーが打ち合わせをしてデザインを決めていく。 生花部メンバーは私を含めて8人。私は将来的にいけばな祭壇を考えているとのことから入社することになった。 私が主に担当したのは自宅葬だった。華道家として、その場で余った花材や花束を花瓶に飾り直すことが出来るため、自宅葬が入ると私が行くことが

          サブスクと花

          起業について

          「会社やらん?」 すべては土井原のひと言からはじまった。 そこらの経営学部あたりの大学生なら、毎週ルノワールあたりに集まって資金問題やら事業計画書やら人脈についてやらの話し合いがはじまるのだろう。 しかし、私立の文学部と美大生の、それも24歳になって6年がかりでようやく大学を卒業したばかりの2人だ。就職もしていた。 何より私の両親は教師、土井原の両親は画家(父は大学教授)で、経営とは遠いところにいる。 そこで私は言った。 「いいよ」 私が尊敬する歴史上の人物は、

          起業について