飲みながら考えていたメモ

⑴村上春樹の能力



村上春樹はアルマーニの服をよく知らない癖に、アルマーニを着たがる人種は正確に見極めている。『騎士団長殺し』でも、ジャガーは重要な役割を演じている。春樹の強みの一つとして、「こういうひとはこういうクルマが好き・音楽が好き・服が好き」という性向を見きわめる能力がある。そうした能力はビジネスにおいて重要だ。

⑵あざとい戦略

華道に限らず、芸術に関わる作家全体の課題として「あざとさ」の問題がある。新人賞とかの場合、審査員とか主催者が賞を出しやすい「ツボ」を押さえたほうがてっとりばやく結果は出る。
ただ、そういう「あざとい戦略」を使う癖がつくと、先に行って伸びない。何が受けるかわからない状態で、受ける作品を生み出しつづけていかなければならないのが作家というしごとで、何が受けるか想定できる状況に自分を適合させてしまうのは、長い目で見た場合、自殺行為だろう。

⑶高級バーガーの戦略

高級バーガーが流行しているらしい。新宿の伊勢丹へ行くと、地下の食料品売り場がラッシュアワーのような混みようで、地上の服売り場はあまり人がいない。これはミドルクラスに「お金持ち気分」を売る商業戦略だ。実際、六本木では夏のバーガーグランプリなどをやっていた。
風仙華がこうしたPR戦略と距離を置いているのは、たとえば高級バーガーを買わせることで、売る側と買う側(ミドルクラス)の格差は大きくなるからだ。
六本木でよく見かける、Tシャツとスニーカーの出立ちは、ルッキズム(左派的に政治的な観点)というより、消費文化衰退後の今に照らして作り出されたビジネスのモデル(商品に与える付加価値)だ。
「流行り」のアパレルにはホンネとタテマエがあって、タテマエを信じ込ませることがブランディングだが、タテマエを本気で信じ込む集団は中産層(ミドルクラス)にピタリと当てはまる。
ポイントは、その人がどれくらい金持ちかではなく、商業的PRをどこまで信じているかの度合いだ。六本木は、商業的PRほぼ100%信じてる人が多いのではないだろうか?

⑷戦闘領域の拡大

“戦闘領域が拡大”した先の世界で、どう生きると生きやすいか。
フェミニズムには大賛成だが、そこから新たな問題も生まれている。ウェルベックの時代に感じられていた自由経済による「戦闘領域の拡大」を、フェミニズムが加速させている部分がある(インターネットによる加速も無視できない)。
かと言って、時計の針を逆に進めよと言いたいわけではなく、そうした状況の中で、女性も男性もどうするのがいいのかを考えるべきだろう。
※(ただ、フェミニズムによる「戦闘領域」の加速と、インターネットによる同様の加速が、両方とも問題として意識される背景には、フランス社会の政治的な「闘争」の長い歴史が下地にあって、その先にフランス現代の問題意識がある。"フランスの状況"を「加速」させたのは事実だと思うが、インターネット発達とフェミニズム運動がぽっと出てきて、直接今の現状を生んでいる訳ではない。「加速」する前から領域拡大に向かう「エンジン」をフランス社会は持っている)

⑸フィールド



勝ちになるフィールドがないとなると、あとは根本的な人間関係の力、言い換えれば、孔子的な徳の力が基礎力になり、それに今時のコミュニティブームや寄り添いのトレンドを乗っける形で勝負するのが、おそらくそれが正攻法になる。
戦闘領域を再定義したり、創出したり、あるいは、回避したりする人が増えている時代に、従来的な戦闘領域へ侵攻しようとしていること自体が時代錯誤。

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