はな

今、華道の諸流派がこぞってtiktok、YouTubeに参入してきている。加えて草月の〈座・草月〉、池坊の〈IKENOBOYS〉、龍生の〈ひびか〉など、一般向けに新しい試みを次々と発表している。

過去の王道作品を拾わず、あの手この手で手っ取り早く収入を見込もうとするのは、市場の"大人の事情"もあるだろうが、やはり経済の低迷が華道界の判断を保守的なものにしている。

バブル期は、もっと一時の損得感情ではなく、いかにマーケットに勢いを与えられるか、各業界が投機的に動いていたのではないだろうか?

中国には、「難解な哲学書を読む」とか「前衛美術を鑑賞する」とかを「クール」と感じる層があらわれはじめていると、中国人の知り合いから聞いた。

日本もバブルのころは、サントリーのCMがマーラーとかランボー(詩人のほうの)をテーマにしたり、「多少、背伸びをしてもハイソな文化に触れること」を「かっこいい」とする風潮があった(らしい)だから、ハイソな文化も当時は金になっていた。(安原顕が『マリクレール』の編集長だった時代は女性誌なのに吉本隆明・蓮實重彦・浅田彰・中沢新一が連載を持っていた)

いまは、文化の階層性みたいなものが、いろんな意味で「ないこと」にされていて、「みんなで話題にするどメジャー」か「ひとりでこっそりたのしむマイナー」だけがあり、「だれもが触れたほうがいいけど、ちょっと敷居が高いもの」は「存在しないこと」にされている。

でも、じつは「敷居が高いけど触れる価値のあるもの」はたくさんあるわけで、それがわかってる層と、「そんなもの今やない」と本気で思ってる層の格差はでかい気がする……。

そもそも、イノベーションというのは「今、金になりそうなもの」だけみていては起こらない。いかにも金になりそうなものだけを追いかけてそれで儲けようとする人間は、いっけん実利主義者のようで、じつは「儲けようとしてる感に酔い痴れて、レッドオーシャンでおぼれていくひと」のように見える。

マーケティングでは、多くの人を惹きつけるものは作れない。マーケティングとか、顧客調査とか、をいくらやっても、人々の意識しかわからない。多くの人を惹きつける表現は、人々の無意識を刺激したり、代弁したりするものだ。

結局のところ、皆で鑑賞する作品のクオリティを下げて、共有される対象を優劣つかないレベル(低い)に落とすことで、仲間内で誰も傷つかない"図式"を生むのが実態だと思うと、何とも……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?