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地元から逃げ出した僕が辿り着いた場所

「今の自分は困っているわけではない。でも面白そうだから話してみよう♪」
この決断と、行動力で今後の視界が、可能性がより開けた青年との出会い。話しを聞いていくと、「本当にそんなことが日本で起きているの?!」と驚愕するようなエピソードが出てくる、出てくる。

  • 今、辛い状況にいるけど「自分(の能力的)には、ここしかないだろう」と諦めかけている

  • 満足のいく暮らしをしているけど、なにか新しい視点を持ちたい

という方にお読みいただきたい記事です。

これが世界の、日本の普通だと感じていた

「ドンっ!!」
「バチンっ!!」
今日も顔を腫らして帰るのか。。でも自分が選んだ1社目の会社だから頑張ろう。
違う環境に行ったとしても同じようなことが起こるのではないか。この会社で出世できる機会を自分を押し殺して待っていよう。

これが日本が創り上げてきた社会だから。
親にも迷惑をかけられないから相談できない。友人にもカッコ悪い姿を見せられないから相談できない。なんとか自分で耐えるしかないんだ…!!

そう思い、数年を過ごしてきたある日。プツンと糸が切れたように逃げ出した。
会社にも親にも連絡を入れずに、少しの荷物と少しのお金だけを握りしめ、どこに行くかもわからず、ただただ今いる場所から遠くの場所へ。

無条件で助けてくれる人がどこかで、必ずいる

辿り着いたのは震災でボロボロになった町。復興支援で一人ひとりが身を粉にしながら、町の立て直しをしている場所。日銭を稼がなくちゃいけない。そんな軽い気持ちで行ったボランティア。数日、食いつなげれば良いな。

「おう。君、うちのところで手伝ってくれないか?」
近所の知人に声をかけるような感覚で、話しかけてくれた地元のおっちゃんとの出会い。服も汚れている。髪もボサボサ。職場からも逃げてきた。おっちゃんから見れば、自分なんて不審者以外の何者でもないはずなのに、どうして声をかけてくれたんだろう。
そんな思いしか浮かばなかった。当時は「ラッキー♪」くらいの軽い気持ちで、そのボランティアを引き受けた。

すぐに気付いた。”住む家がない”
何件も田舎の不動産を回るも身なりも、髪も汚い、職もない自分に家を貸してくれるところなんてなかった。ダメ元で立ち寄った小さな不動産。
相談した途端「絶対見つけてきます!」の一言。家賃予算を考えても、この人にメリットなんてほんの少ししかないはず。むしろ自分が不審者だった時のデメリットの方が多いのに。

「どうして、こんな僕に家を探してくれるのですか?」
自然と聴いてしまった、心からの疑問。
すると、「だって、本当に困ってそうだから。困っている人を助けるのは普通じゃないですか!」と、さぞ当たり前かのように答えた。

(引越しを経験したことがある人は知っていると思いますが、引越手続きから入居までどんなに最短でも1週間はかかるはずなんです。)

でも彼はその日に住む家がなかった。不動産屋の方は多方で活動してくれて、ほぼ即日の入居を実現してくれた。入居前掃除の業者も呼ぶ日数がなく、後日蓋を開けてみたら、不動産屋の人が自分で掃除用具を運び隅々まで掃除してくれていたとのこと。

知らない土地で、知らない人たちに助けてもらった。
止まっていた時計の針が、また動き出しそうな予感がした。

嫌われていた内向きの自分が歩むこれから

ボランティアに複数年従事し、気力を取り戻した彼。この地の人に大きな感謝を告げ、地元に戻る。再度、自分の人生を作り直すべく働き始めた。
自分の役割を見出すべく、とにかく営業に奔走。結果、圧倒的な量で営業成績を勝ち取り、昇格に昇格を重ねる。しかし、1社目での経験しかしていなかった彼は、初めてできた部下・後輩に対して、1社目で自分がされてきたような態度を取ってしまっていた。地方転勤もしながら昇格をするも、どこに行っても後輩からは嫌われ続ける。

ある出来事をキッカケに改心。ようやく、他者と人間らしい会話ができるようになった。人の話を聞けるようになった。すると、地方で起こっている負の側面(地域住民が困っていること)がたくさん見えてきた。

「とりあえずやってみよう」という考えのもと、興味があるところに顔を出し、人との繋がりを形成していく。その一環で出会った、せんのみなとの今回の企画「日本一周キャリア相談の旅」
お困りごとはないけど、面白そうだから会ってみよう♪
フラットに、自分の過去も含めて話し、肯定してもらうことで、ぼやけていたこれからのことが明確になった。

「キャリア」という一つの側面から、山形のインフラを、生活の不便を解消していこう。

地方移住の一つの形

地方移住は「選ばれた人」にしかできないことと思われる傾向があります。それこそ、テレワークが普及し、大手企業が「日本国内であれば、どこでも働いてよいですよ」という制度を導入し始めたことによって「選ばれた人」の地方移住という見え方になってきたように感じます。
もしくは、定年まで働ききり、老後はゆったりとした場所で過ごしたいというセカンドライフ需要。
この二つの側面が地方移住のイメージだと考えていました。

しかし、地方移住には「新しい可能性を増やす」「自分の居場所を取り戻す」という側面もあるということに気付きました。
今回、山形県でお会いした青年は地元から逃げるように地方に出て、複数年を過ごし、地元に戻るも、山形県の暮らしを決意。
「変われなかった自分」と決別するために「変わった自分」を新しい土地から始める。このようなことが実現できるのも地方移住の一つの魅力なのかもしれません。

キャリア支援からはじめる、今、ここから

地方ではインターネットをはじめ、社会インフラにおける多くの負が存在しています。老人が、日に日に新しくなっていく携帯電話を使いこなせない。そこにつけ込み、悪徳業者が高額な月額領料金を搾取していく。不必要なサービスを付随していく。
公共機関の決済システムが流通していないことによる、「移動の足」の減少。それに伴う、県内経済消費の循環が回らず、人口減少に繋がる。

このようなことが日常茶飯事で起きています。
今回お会いした方は「キャリア(携帯事業)」で事業構築を計画していました。しかし、私たちせんのみなととの会話によって、自分の原体験、大切にしている思いや紡いでいきたい価値を明確にしていきました。
そこで見えてきた思い。それが「キャリア(携帯事業)から始める、社会インフラの整備。ひいては地域住民の暮らしの充実」です。
地元の企業から逃げ出し、数年ぶりに見つけた会社で嫌われた青年。多くの壁にぶつかりながらも辿り着いた「手を差し伸べられる社会」への寄与。

私たちが行うキャリア(人生)相談は、今困っていない人にとっても有用だと確信しました。それは、これからの可能性を開くキッカケになるはずです。自分では見えていなかった自分の新しい可能性を見つける時間になっていくはずです。新しい可能性というのは、真新しいものではない場合が多いです。その人が体験してきた、感じてきたことから紡いていける「新しい角度」「今までの延長線上」のお話だったりすることが多いです。

相談が当たり前になっていく世の中になると、社会が豊かになる。
風が吹けば桶屋が儲かる。ではないですが、相談事業の可能性は広く深い。こう確信する出会いとなりました。

誰にとっても、「自分だけの相談」が常に隣にあるよう、引き続き日本一周キャリア相談の旅を続けていきます。

キャリア相談日本一周の旅

45日間で一日一県まわっていく、キャリア相談日本一周の旅。
六日目は山形県山形市で素敵な出逢いをいただきました。
引き続き全国回っていきます。

どなたでもお会いしたい、お話したい。気軽なお話会でも話すことがないかもしれない、と思っている方でも話すことで自分自身の可能性や今持っているものを思い出すキッカケになると考えています。

皆様からのお声がけ、引き続きお待ちしております!

※前回の記事「キャリコンを信じていないキャリコンのはなし」はこちら

日本一周の様子、各種SNSでも発信しています♪ぜひ、応援よろしくおねがいします!



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