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春巻きの味


得意なわけでもないけど、料理が好き。

その日の気分で食べたい食材を決め、味付けを決め、集中しつつも自由でいられる、特別な時間。

ざっくりとこなしているため調味料をしっかり計ることもしないし目分量が基本。水の量が決まっていても別に計らないし、全ては私の感覚だ。

そうやってなんとなく選んだ調味料の組み合わせやその量はそのときの気分なので、後から何を入れたか思い出すのが大変。すごく美味しくできた料理も、全く同じように再現するのは極めて困難なのである。


それなのに、あの美味しかった料理また作ってみよう!とやってみると味が大きくブレないのだ。
何をどのくらい入れたのか覚えているのか。味見して調味料を足すときに無意識に好みの味=再現に仕上げているのか。


家庭の定番料理であるみそ汁は、特にそうではないだろうか。
何度も作っているけれど、どの食材を入れても毎回"私の味"になる。それもなぜか、いつもと違う味噌を使っても、ベースの出汁を変えても、"私の味"の範囲内での変化だから面白い。



和食が好きでよく作る煮物は、無意識に自分好みの味に仕上げていくと自然と母の味と似ていく。実家で使っている調味料とは違うと思うし、食材も違うのに。舌が覚えているのだろうか。

昔は料理が苦手で、したいとも思っていなかったので子供の頃に母の料理の手伝いをしたことはほとんどない。そのため料理を教えてもらったことはないから、人それぞれのクセや家庭ならでは、といったものを知らない。何をどうしているのかも知らないはずなのに、味が似ていく。不思議だ。


幼い頃に食べていたもので好みが決まるなんてよく言うけれど、本当にその通りだなと思う。"私の味"は、子供の頃から慣れ親しんだ母の味付けによく似ている。きっとその味が食の基本となり、好みとなったのだろう。



普段はどんな料理も無意識で作るけれど、どうしても母の味に"寄せていきたい"料理がある。春巻きだ。
よく作ってくれた料理で、昔も今もめっちゃくちゃに美味しい。これがあるから、店では春巻きは頼めない。そのくらいに美味しい。

大人になってから唯一、どうやって作っているのか聞いた。
母は「適当だよ!」と言って作る工程を見せてくれたけれど、調味料の入れ方もその入れる量もざっくり目分量すぎる感じが私と同じだった。つまり、何をどのくらい入れているかは本人の感覚でしかないということ。


そんなわけで結局入れている調味料は分かっても量は分からなくて。
未だに春巻きだけは、母の味と同じになれない。何度挑戦してみても、私だけの味にしかならない。


今度帰ったら、また教えてもらおう。完璧に同じ味にしたい逸品なのだ。



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