蛇17年 蛮軍→大蛇領貌瑛攻略戦
☯蛇17年の戦全容
☯時代背景
昨年蛇16年にこれまでの筆頭将軍の相高軍神を追い抜き、新しく片韓軍神が蛮国筆頭将軍に就任した。
片韓はこれまで相高が敷いていた防衛戦や布陣をすべて書き換え、自分のやりやすいように変換した。実際、相高よりも好戦的な防衛戦で、他国は攻めあぐねていた為、蛮領に侵攻してくる軍は少なかった。
しかし、やはり趙燕国のみは22番領ろ取り返そうと躍起になっていた。
そこで趙燕軍は筆頭将軍の白蓮軍神を総大将に任命し、蛮軍よりも圧倒的な軍勢で攻め入った。
しかし、その脇で蛮軍は23番領に筆頭将軍の片韓自らが趙燕領に攻め入った。これを防衛するのは趙燕軍第二将の袁仁だった。
勿論、この軍も蛮軍よりも圧倒的な数で応戦してきた。
片韓は筆頭将軍の白蓮でもなく、第二将が自分を迎え撃とうとしている趙江援軍に対し、勝利を確信して慢心してしまった。
戦の結果は、袁仁軍により片韓軍神は討ち取られてしまった。
これにより、蛮軍筆頭将軍は相高軍神に再び舞い戻った。相高は再度自身が組んでいた堅実な防衛網を敷きなおした。
22番領がとられてしまった事により窮地に追い込まれた、蛮国は大蛇国に目を付けた。これまで何度も趙燕軍に援軍を送り、戦況を不利にしてきたので、早急に打ちのめすべきと判断したからだ。
しかし、蛮国の要所である19番領も攻められ、自身が総大将を務めるか迷ったが、趙偉龍軍神と南郷政君軍神を派遣することで、応戦させた。
相高は27番領攻略戦の総大将を務めて、これを勝ち取ろうとした。一度、当時の出陣図を振り返る。
20番領の景陀攻略には琉之西大将軍と粘り強さで定評のある大将軍を4名派遣した。これは趙燕軍の足止めを謀る為に派兵した。(③戦)
26番領には今年新しく軍神に昇格した貞昌権軍神を総大将に(④戦)、27番領の総大将には相高自身が執り行った。(⑤戦)以下、相高が総大将を務めた⑤戦の中継である。📹
蛮軍は出兵した③戦は琉之西が足止めを成功させ、開戦4日目に撤退した。④戦は大蛇軍の鎖蛇軍神により撃退された。
☯1日目
先に侵攻した蛮軍を紹介する。
・総大将:相高軍神 (18)
・副将:文陽軍神 (16)
・第一軍長:羅琉金大将軍 (15)
・第二軍長:陀早鱗大将軍 (13)
・第三軍長:厳楼大将軍 (13)
以下、大将軍2名、将軍2名
総勢9将で構成される。
次に防衛する大蛇軍を紹介する。
・総大将:足泉大将軍 (14)
・副将:足臭大将軍 (11)
・第一軍長:蛇丸将軍 (10)
・第二軍長:幽大将軍 (10)
・第三軍長:虎神将校 (7)
以下、将校2名
趙燕軍の援軍の大将軍2名、将軍3名
総勢12将で構成される。
蛮軍は実に蛇11年以来、6年ぶりに大蛇軍と交戦する形になった。
それも筆頭将軍の相高軍神自らが出陣するほど、大蛇軍に対して徹底的に打ちのめす姿勢だ。
対する大蛇軍は趙燕国から李博大将軍一行5将を援軍として迎え入れ蛮軍と応戦する。
以下、当時の布陣図である。
蛮軍は数の上で不利だったが、代わりに歴戦の猛者が集っていた。数よりも質で勝負する模様だ。
蛮軍の先鋒は副将の文陽軍神が請け負った。
大蛇軍は趙燕からの援軍を蛮軍右翼軍を制圧する為に集中して展開した。
万全と思われたが、早速大蛇軍から犠牲将が出た。
後方予備軍に配属された羅琉金は布陣を崩して、文陽と肩を並べた。
これを相手する大蛇軍副将の足臭は完全に気圧された。
なし崩し的に足臭の副官である青鬼将校を羅琉金が討ち取ってしまった。
これが今回の戦で最初の犠牲将となった。
以下、当時の布陣図である。
☯2日目
犠牲を出した大蛇軍はこの日まで影響がでてしまい、援軍もろとも被害を出してしまった一日となった。
足泉総大将はこの戦果を重く受け止め、布陣を大きく変えた。
対する蛮軍は布陣を急いで変えて、はぐれた大蛇軍と趙燕軍を着実に片づけた。
以下、当時の布陣図である。
この布陣の転換が完全に落ち度だった。
相高を総大将自ら足止めをしようとした足泉だったが、力不足だった。
相高は足泉を軽くあしらい、脇で布陣転換を行っていた第一軍長、蛇丸将軍を自ら討ち取った。
大蛇軍の大被害は別の場所でも起こっていた。
後方予備隊から急遽前線へ繰り出された大蛇軍第二軍長の幽大将軍は疲弊しきっていた。
そこを見逃さず、蛮軍第二軍長、陀早鱗大将軍がこれを討ち取ってしまった。
なし崩し的に羅琉金も趙燕軍の将軍1名を討ち取ってしまい、なんとこの日大蛇連合軍から3名も犠牲が出た。
☯3日目
趙燕軍はすでに軍長を2人失ってしまった。
このため、軍編成を新しくするにも十分な兵力が存在せず、本軍と精鋭軍以外は壊滅してしまった。
数の利が開戦二日で逆転された事に対して、足泉大将軍は軍神格の強さを痛感するしかなかった。
以下、当時の布陣図である。
大蛇軍が一転して、総大将を守ることで戦を長期化する作戦に出た。
対する蛮軍は、相高総大将と第一軍を後方予備隊に下げ、三軍で大蛇軍の防衛網をかいくぐろうとした。
この突破力は相高が自ら先頭を行かずとも十分協力に大蛇軍の勢力を削り取っていった。
☯4日目
この日も、引き続き大蛇連合軍は見事な防衛戦を敷き詰め、蛮軍の攻撃を一切受け付けなかった。
相高もこの様子から、冷静になり数日凡戦を連ねる覚悟で、徐々に連合軍を追い詰めていった。しかし、これまで絶えず将を首を挙げていた蛮軍にとっては、全く攻め切れていない戦況に少し業を煮やしていた。
それでもなお、相高は少しずつ確実に敵軍を削り取る事に専念し、この足並みを乱すものがいれば、片っ端から撤収させていった。
いくら何でも慎重すぎるこの姿勢に不満も出てきたが、この日はこれで日が落ちてしまった。
☯5日目
開戦3,4日とも蛮軍は最初の攻勢を保てず、敵軍の守りの強さに困惑していた。
しかし、それはそれで相高はこの日も徐々に凡戦を重ねる事で、着実に大蛇と趙燕軍の勢力を削り、隙を作る作戦に出た。
その為に、蛮軍は数の利を使って、大蛇連合軍を包囲するように布陣した。
以下、当時の布陣図である。
大蛇軍総大将の足泉も当然この状況を分かっていたが、追加の援軍もなく、ただこの状況を受け入れるしかなかった。
しかし、それでも強気な防衛陣を解くことはせず、少しでも蛮軍の綻びを探し続けていた。
この目は決して敗戦を見る将のものでは無かった。
相高は長期戦になることは分かりつつも、大蛇軍の守備の弱いところを探る為に後方に下がって布陣した。
大蛇軍を見渡した結果、どうやら左翼軍の兵の数が薄く、既に厳楼を派遣している右翼軍はむしろ蛮軍を押し返すほどの勢いだった。
そこで、相高は陀早鱗に目を付けた。
陀早鱗は相高から命令を受け、防御の薄い大蛇軍左翼を狙いに前進した。
しかし、これは足泉が組んでいた作戦で、副将の足臭をより蛮軍に近づけ、総大将自ら陀早鱗と交戦した。
陀早鱗はこの危機に早くも気付いて、数回刃を交えた後すぐに後退し、味方の安全を謀った。
以下、当時の布陣図である。
☯6日目
この日も全く首級を挙げられない相高は痺れを切らした。
これまで何度も劣勢の中戦を勝利に導いてきている実績がある中、残り少ない敵軍を前に一進一退の戦況が気に入らなかった。
そこで、この日は総大将相高自ら、最前線に立った。
以下、当時の布陣図である。
まずは前進してきた大蛇軍副将の足臭を相高自ら切りかかった。
これに対し、足臭は身を挺して応戦した。
これを皮切りに蛮軍はこの日、本格的に大蛇連合軍に攻撃を仕掛けた。
しかし、ここで足臭は相高が想定したよりも強力だった。むしろ相高に手傷を負わせる程だった。
これを見かねた蛮軍副将、文陽軍神は相高に割り込み足臭に切りかかり、結果討ち取ってしまった。
いよいよ劣勢の中、大蛇軍副将が倒れてしまった。
それと同時に、蛮軍第一軍長の羅琉金も大きく前進し、趙燕の援軍と交戦を始めた。
以下、当時の布陣図である。
羅琉金はその時の趙燕軍指揮官の廉秋大将軍と交戦した。
廉秋も有力な大将軍だったが、羅琉金の攻めの強さには圧倒された。それと同時に大蛇軍副将が討たれた事により、大蛇軍からの支援も無かった。
その為、勢いそのまま廉秋は羅琉金に討ち取られた。
この2将が討たれた事が大蛇連合軍の崩壊を意味したこととほとんど同義であった。
☯7日目
援軍に来た趙燕将はいよいよ李博大将軍のみとなり、大蛇軍も総大将の足泉大将軍と一名の将校のみとなった。
対する蛮軍は相高が後方に下がり、着実に逃げ場を消していき、大蛇軍を殲滅するようにじりじり詰めていった。
以下、当時の布陣図である。
正直既に大蛇連合軍の勝機は失われていた。
総大将の足泉も兄の足臭大将軍を失った事により、自身の死も覚悟していた。
このように足泉は失意の底にあったが、援軍に参じてくれた趙燕軍の被害も甚大であった事に対する引け目と責任を同時に感じていた。
そこで足泉は李博に持ち掛け、後方に下がり蛮軍との交戦にこれ以上関わらないように命じた。
李博も足泉と同格の大将軍で、この地が自身の墓場と覚悟していた矢先命令に素直に応じる事が出来なかった。
しかし、最後には足泉は半ば強制的に総大将命令により従わせた。
足泉総大将は決死の覚悟で、最後に単身で蛮軍の前に立ちはだかった。
これには覚悟を受け取った相高も下手に全軍で殲滅することはせず、単騎同士の打ち合いで決着をつける様応じた。
そこで、昨日足泉を討ち損じた陀早鱗に命じ、一騎打ちをする運びとなった。
この状況下で総大将の相高自ら応戦しないのも、その慎重姿勢を顕していた。
陀早鱗も討ち損じたことにより、後方予備隊に下げられた責を感じ喜んでこれを受けた。
陀早鱗は足泉より一つ格は下の大将軍であったが、十分な経験を積んでいて実力にも申し分ない豪将である。
これによりほぼ同格の大将軍同士の一騎打ちが始まった。
勿論どちらかが圧倒的であることはなく、まさに一進一退の攻防戦だった。
少し押し負けるはずの陀早鱗も足泉が連戦により既に深い手負いの為、実力は陀早鱗が少し上のように見えていた。
一騎打ちの末、陀早鱗がそのまま足泉大将軍を追い詰め、最後にはその首級を挙げた。
足泉の意思を次いで、残る趙燕軍には手を出さず開放した。
以下、戦闘ログである。
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