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セナ
2021年11月21日 11:04
タカサキモエは鍋の火を止めた。香ばしい香りが漂う。後はご飯が炊き上がるのを待つだけだ。クドウマサキはそろそろ帰って来る頃だろう。厨房を出て、広い店内の一角にある座敷に上がりエプロンを取って座った。ポットから湯を出しお茶を入れ、ふぅと溜息を吐く。窓を見る。落ち葉が風に舞っている。残暑が過ぎ、木枯らしが吹く季節となった。あのリッツホテルの火災から半年。モエとクドウはスーパー銭湯で暮らしていた。
2021年11月20日 10:59
周囲を見渡した。ここで新しい暮らしが始まる。多くの人と暮らす中、またトラブルがあるかもしれない。人間は争わずにはいられないイキモノだ。でも誰もが平和を望む心がある。その為には妥協と寛容と折り合いをつけて他人と付き合っていかなくてはならない。それが種として生き残る術なのだ。全世界を恐怖と悲しみに陥れた卵が由来のゾンビウィルス。人間が激減したことで、これで多くの環境破壊が抑えられただろう。
2021年11月19日 12:05
ひとつ屋根の下、大家族で生きていく。それが新しい世界の暮らし方。何の為に?幸せになる為に。幸せを求めるには、人は自分にも他人にも優しくあるべきだ。幼児が転んで泣き出した。大人は手助けをしない。年長の子供達が抱き起こし、汚れた腕や脚、服の泥を払い頭を撫でた。幼児は嗚咽を漏らしている。1人の子供が幼児に哺乳瓶持たせ、一緒に子牛にミルクを与え始めた。幼児はすぐに夢中になった。2人は顔を見合わせて
2021年11月18日 11:49
「うどんや蕎麦、豆腐も手作りしているんですよ」イトウが微笑んだ。「へぇー!凄いですねぇ」私達も自然と笑顔になった。ミキがナカムラとイトウを見てニッコリ笑った。「何でも子供達を中心にしてやりたい事を皆んなでやるんだよね!」「学校は?」「小学生まで。それで充分だろ?」ナカムラが子供達を見渡した。そうだ。その先習うことなんて新世界では必要ない。子供達を見る。服は土で汚れ放題だ。今
2021年11月17日 11:02
「畑を案内するよ」ナカムラ達が立ち上がった。私達は頷いて後に続いた。農作業をしている多くの人と挨拶を交わした。皆んな笑顔が素敵だ。満足のいく暮らしをしているのだろう。「中庭と表側に作ったんだ」キャベツやネギ、レタス、南瓜、トマトに胡瓜。どれもたわわに実っている。赤々としたトマトをそのまま齧り付きたい衝動に駆られる。子供達がやってきて、こっちこっちと手招きをした。奥に大きな小屋があり、沢
2021年11月16日 12:02
「そっちのリーダーは?」ナカムラが顔を上げた。「ホラ、俳優の…名前なんて言ったっけ?」「ヒュウガレンです。亡くなったんです。火事で…煙に巻かれたそうです」「えー⁈ホントに⁈」ミキが声を張り上げ、ナカムラが目を見開いた。「そうか…。こう言っちゃなんだけど、何があっても死ぬようには見えなかったな。自信満々で」私達は頷いた。「私もそう思いました。生の欲望の強さから強欲って意味のグリー
2021年11月15日 11:27
私は眉間に皺を寄せた。「ヤンキー集団がやって来て、ガソリンを撒いて火を着けたんです。あっという間に燃え上がってホテルはなくなってしまいました」ナカムラ達は驚き、呆れた顔をした。「そんな馬鹿な事をする奴がいるのか」本当に…。一体なんて事をしてくれたんだろう。炎に包まれたかつての住処を思い出し悲しくなった。でも火事が起こらなくても、グリードの血がゾンビ化を招くと分かったらどっちみちコミュ
2021年11月14日 10:44
「なんで?なんで来てくれたの?嬉しい!」ミキは笑顔を向ける。「色々あったの。ホント色々」私達は溜息を吐いた。「こっちも色々あるよ。でも何とか上手くやってる。あ、ナカムラさんは今、畑だよ。行く?」「行く行く!」中庭の菜園では多くの人が農作業をしていた。「ナカムラさーん!皆んな来たよ!」ナカムラが立ち上がった。麦わら帽子を被り作業服。眩しそうに私達を見た。ナカムラは目を丸くして
2021年11月13日 11:24
名古屋に向かう途中でコンビニに立ち寄った。駐車場や店内にはゾンビがバラバラになって散っていた。思わず片付けたくなる。職業病だね、とマリンと笑った。地図でホテルの場所を確認した。空腹になったのでカップ麺を頂いた。事務所でお湯を沸かし、お腹を満たした。野菜が食べたい〜!と皆んなで声を張り上げた。車に戻り再出発だ。話が弾んだり無言になったりして時を過ごした。兎に角、ナカムラのラジオ放送が心の支え
2021年11月12日 09:28
車で我が家の前を通り過ぎた。ああ、あそこに平凡で細やかな幸せがあった。朝起きて1日を送り、食事をして眠る。洗濯、掃除、ガーデニング。犬と散歩。ありきたりの暮らしだったけど、なんて充実していたことだろう。今何もかもを失って分かること。夫と愛犬の幻影がこの目に映る。笑顔で私を見送った。この先どんな未来が待ち受けているの?私たちに希望はあるの?一抹の不安が過ぎる。払拭するかのように青空を見上げた
2021年11月11日 10:28
夜になってしまったので休むことにした。近隣住宅のリビングの窓を割って侵入し、死体のない家を探した。夕食はまたインスタント食品だった。身体が野菜を欲していた。野菜ジュースが未開封であったけれど賞味期限が切れていた。こうやって食べる物がなくなっていく。先細りだ。コミュニティではスーパーから食材を調達していた。新世界になって5ヶ月。まだ何とか賄えたけれど今後は、ほぼ缶詰だった事だろう。その先は…
2021年11月10日 09:59
コミュニティは崩壊したのだ。終わりの始まりなのだ。残る人は新たに居場所を作るだろう。願わくば争わないで。私達は先の事はその時に考えよう。4人はミッドタウンを後にした。ゾンビ駆除が済んでいる港区はとても綺麗だった。乱立するビル群、瀟洒なマンションや住宅、カフェやショップ。6月の陽光は青葉を輝かせている。止まっている多くの車がなければどこを取っても美しかった。これらは人間が作ったのだ。改めてそ
2021年11月9日 12:15
「先生がリーダーになるのが良いと思う人!」シライを囲む人々の多くの手が上がった。「本当にやめて下さい。リーダーになるには素質が必要なんです。僕は役不足です」「じゃあ、暫定的にってことで。兎に角新しい始まりに誰かが引っ張っていかなくちゃいけないんだからさ」「そうだよ!それなら良いでしょ?」暫定的に…。自分にできるだろうか。不安に駆られる。「なぁ!先生!そんなに深く考えなくて良いよ。俺
2021年11月8日 11:02
「先生、リーダーになってくれますか?」医師のシライはコモンのグループ長だった女性にひたと見つめられ、驚いた。隣にいた看護師がシライを見て力強く何度も頷いた。近くにいた人々もやってきて真剣な眼差しを向ける。シライは漸く口を開いた。「いや、僕はそんな器じゃありません」本心だった。「そんなことないよ。先生がなるのが1番良いよ」中年の男性がシライの腕を叩いた。シライは目を伏せた。「僕は