野良発達な私の場合
はじめに。
「野良発達」
ある日、Twitterでそんな言葉を見掛けた。
気になって調べてみると、我が子が発達障害なのに診断を付けずに放置して、他害行為などの特性故に、周りに迷惑をかけ続ける親子への皮肉として生まれた言葉の様だった。
私は現在40代半ば。
39歳でADHD・注意欠陥・多動性障害…所謂、発達障害と診断された。
私としては、今までの生きづらい人生の答え合わせが出来た気がして、気持ちがとても楽になった。
しかし私の親は、それでも私の障害を認めなかった。
子供の頃から、
「何でこんな簡単な事も出来ないの?!」
「アンタはほんまに鈍臭い!」
「やる気がない」
「サボっている」
「ほんまにダメな子や」
私は目いっぱい頑張っているのに、そんな事を言われ、毎日怒鳴られ、たたかれ、蹴られ、時には食事や睡眠を阻害され、育って来た。
私こそ、小さい頃から困り事を放置され、生きづらさを感じながら育ってきた
「野良発達」
そのものでは無いか?
そう思った時、「野良発達」で育った私の人生を、書き残したくなった。
自分と同じ「野良発達」 で、生きづらさを感じている子供たち、大人たちを減らしたい。
そんな身の丈に合わない高尚な事を思ったところで、私にはその方法も分からなければ、影響力も無い。
ただ、この日本の片隅で1970年代から令和になった今まで、何度も死のうと思いながらも、醜く足掻いて生きてきた私の体験を、ここに記したい。
「野良発達」で育つと、こうなってしまうという一例として読んでいただけたら、私は嬉しい。
そして、あなたの周りでもし、そんな人がいれば、そっとこの文章をRTして欲しい。
もしかしたらその人の目に入り、その人が気付けば、その人やその人の子供は、「野良発達」ではなくなり、ちゃんとした療育や教育・支援へつながり、より良い人生を歩めるきっかけになるかもしれない。
そんな、途方もない、ただの偶然を、願って。
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